恐れや不安のパラドクス、罪悪感の正体
将来への恐れや不安。
あるいは、周りや自分への罪悪感。それらこそが、自分を照らすアイデンティティであることに気づいていない。
信念からズレた行為にはキチンと違和感を抱けるパラドクス。
本当はちゃんとわかっているのです。
親や先生や上司が言うこと、社会の常識といわれるものに違和感がある。
つまりは、自分に何が合っていて、何が合わないのか明確に知っているのです。だから自分自身の違和感や嫌悪感に罪悪感を抱かなくていいんです。
自分にとって必要だから自分の中からそれら感覚がやってくるのです。
それは紛れもなく、自分だけの感覚。
周りはどうであれ、ある意味自分だけは絶対に間違わない。もちろんその感覚に素直に身を委ねれば、ですが。
自分の感覚に素直に従わないからこそ、失敗したり、何もせず後悔、そんな毎日を繰り返しているのです。
自分の中の負の感覚、それが人生の羅針盤。
自分が気持ちよくなることばかりに意識を向けず、同じだけ負の感覚にも寄り添うことだ。
人生は、死ぬことと見つけたり
一度死んだ気になって生きてみよう。
もし今日死ぬとしたら、どうするか実際にそんな一日を過ごしてみればいい。その日を境にまるで違った生き方が始まるだろう。
頭で考えることを手放し、世界の流れにただ身を任せる。
ただの一日でいい、そんな日を過ごしてみてほしい。
行きたかった場所や、やりたかったことをやってみよう。
「どうせ今日死ぬのだし」そう言いながら、普段とは違った感覚で物事に触れてみよう。
『愛する人にそれを伝えよう』
『周りの人への感謝を言葉にしよう』
『ひとりぼっちなら神社にいこう』
『神仏が苦手なら公園や海などの自然とふれあおう』
人生なんてあっという間だ、クヨクヨしている暇なんてない。
好きな音楽を聴いたり、美術館や博物館に出かけたり、美味しいものを食べたり、スポーツ観戦やライブに出かけたり、友達と無意味な話をしたり、映画を見たり。
たまに旅行したり、仕事を頑張ってみたり、恋愛や勉強や育児、なんだっていい。
人生は自分だけの体験の集大成だ。
誰にも恥じることなく、自分らしくどうどうと生きればいい。
どうせすぐに死ぬのだから。