社会貢献や弱者救済という名のビジネス
今の世は資本主義、欲望渦巻く社会、人間が作り出す以上それは必定。
国家規模、地球規模の平和や愛なんてほとんど存在しない。
勿論、全くないわけではない。
仮にそうした活動が存在していたとして、自分たち庶民にはほとんど無関係で、かつ理解できる内容ではない。
なぜなら、そうした地球規模の慈善活動家は、生まれながらに数兆単位のお金を個人の自腹で動かせるような、おおよそ一般人の感覚を超越した意識の中で生きているため、彼らの活動の真の意味を理解することなどできないからである。
そもそも彼らの活動は表に出ることもなく、あくまでも水面下で想像を絶する速さと規模で動き続けている。
それもそうだろう、ビジネスですらないのだからわざわざ喧伝する必要もなく、どうせ理解もできない民衆に説明の必要もない。
互いに説明しあわなくても理解できるもの同士で誰にも知られることなく活動するほうが遥かに有意義で、時間もお金も責任も面倒事もすべて回避できるのだから。
このような人々がこの世界には確かに存在していて、おそらく1%くらいの人たちだ。そうした彼らのことをして、闇の支配者だとか、いろいろ言う人たちが世界に相当数いるが滑稽の極み。
この不公平を一体どうして法やメディアが許しているのか、と怒るのも筋違いである。所詮は各法律やメディアは限定的な存在にすぎず、1%の人々は遥か上の存在だからだ。
法を作る立場、メディアの大株主、こうした立場の人々のさらに上の上の存在。たとえ各分野の上層部になった人々にとっても都市伝説的な存在として認識するような存在。
何よりも信じがたい1%の人々の究極の秘密、それこそが宇宙的な世界観に生きているということだ。
地球規模の競争などあまりにも小さな話で、彼らが遥か太古から対峙しているのは、地球外の存在であり、宇宙規模の話。もし仮にこの話を少しでも信じられるなら、直感的に無意味さを感じられるだろう。
遥か昔から、地球に高次元の存在が介入していたのだとしたら、人間同士の戦争やビジネス競争など大した意味のないものなのだ。
将棋の歩が前にしか猪突できないように、その盤面を遥か上から眺めている存在、そんな世界観で生きている存在が、今この地球に1%も存在しているということ。
誇大妄想だと笑える人は幸せな人だ、むしろこの程度の想像力がないのであれば、何を考え行動しても所詮は井の中の蛙である。
すべてはマネタイズ詐欺
前置きが長くなった。
そろそろ今回の記事の内容の本筋に入りたい。
真の意味で、世のため人のためという活動を実際に行い、その力を兼ね備えている人たちは1%程度である、という前提を話した。つまり、それ以外の99%の人々は文字通り、ごく普通の人々だ。
それなのに、あたかも自分は1%の存在であるかのように喧伝する輩はただの詐欺師、あるいは虚言癖のある人たちだ。
その割に世にはその手の活動が溢れている。夢は大きく、よりよい生活のため、とそう当然のように吹聴する輩たち。
友達が少なく、異性とも健全な関係を築けてこなかった、情操教育にも恵まれなかったようなオタク君たちでは、経済はなんとかできても政治は無理。
お勉強しかしてこなかった人間や一部分のマニアがテクノ・リバタリアン的なことをいくら提唱したところで机上の空論。テクノロジーの進化は大事、それゆえテクノ・リバタリアン思想の人々にさえ援助が集まる。
いくらお金持ちといっても数兆程度、火星どころかせいぜい月に行ける程度にすぎない。
彼らの経歴をよく見てみると、学生時代モテなかったとか、その他大勢に埋もれたことに反骨して形振り構わず活動した結果、数千億円売り上げて時の人になっただけの輩に過ぎない。
たかが数千億円では何もできないに等しい、現に彼らが何か人を助けた事実などほとんどない。
できないからである、単純にお金が足りないから。この世を変えるには、数千兆円を自在に動かせる人々が知恵を絞って手と取り合ってなお、途方もない時間がかかるのである。
1%の人々がいつも重要視するのは、中庸、最終的には融和、それゆえ彼らが提唱しているようなトランスヒューマニズムのようなことにはなりようがない。
意識の正体をわからぬが故の愚かな行為。
つまり脳が誤解されている、脳がなにかもわかっていないというのに。
そもそも人間として生まれてくることの意味や意義。
永遠の命や神人計画的な思想。
勿論、これまで通りでいいなんて言ってない、健康寿命の続伸や病気の克服、体の不自由な人々のための補助器具として期待するところは大きい。
………つまるところ、真の互助と友愛とはそういうものなのだ。
悲しいかな億単位のはした金では何もできないのだ。
きっと一時の運で小金持ちになってしまった人々は不幸であろう。そのはした金を守るため、やりたくもないことをやり続けねばならないから。
1%人々のことに全く触れないメディアも、99%の小金持ちには容赦しない。その情報を見た詐欺師たちが小金持ちに群れ、ぐうの音も出ないほどに搾取される。
身の程をわきまえなかった結果、そうなるのだ。きっかけはただ有名になりたい、モテたい、ただそれだけ。
………つまり欲である。
人間には欲望がつきものだ。
冒頭に述べた通り、この世は欲望渦巻く世界。
若者の何かしなきゃという情熱を食い物にする。
たかが数千億の小金持ちが、何も知らない若者を搾取する小さな世界、それがある意味でいう資本主義。すべては、マネタイズのための誘導であり、その甘言に過ぎない。
「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」という言葉がいまに残される通り、愚民にいかに崇め奉られようと無意味。何かをしようとしている時点で愚かであることに気づけない。
何もしたくないから言い訳しているように聞こえるが、そもそも何かをしようとしている時点で意欲的になっているのだから、自分の軸から確実にずれている行為だ。
かつての宗教がいまやビジネスと名を変えただけ。夢も希望もないくだらない世界、でもそんな世界に自ら身を任せて生きているのもまた事実。
反転する世界99%から1%が生ずる
99%から1%に行ける方法があるとしたら?
可能性はほとんど0、でもまったくの0じゃないとしたら?
1%の人々も実は元々99%の人々だった。
もともと99%の中から現れたのだ。
99%から1%に移動するたった一つの方法は、1%の人々に認められるということ。決して表には表れない1%人々、直接会うことはない。だがしかし、ある日そうとしか思えないことが起こる。
急に思いもよらないビジネスチャンスがやってくる、思いもよらない人と出会う。1%の人々が最も重要視するのは『ご縁』、偶然はないと知っている1%人々。彼らはいつも人と人とを結びつける力を最も大切にする。
1%の人の目に留まるための方法はたった一つ。
『今この瞬間を懸命に生きる』
その一瞬の輝きを見たとき、1%の人々はあらゆる手段を用いてサポートを開始する。決して表に出ない、矢面に立たない彼らだからこそ、誰にも知られない方法で、彼らなりのやり方で。
1%の人々はいつだって探している、新たな1%の資質を持った仲間を。そうなるための近道こそ、1%の人間だと心にもない嘘をつくのではなく、あたかも1%の人間であるかのように振舞うのだ。
自分や周りを騙さなくても、本当に1%の人間であるように生きるのだ。他の誰かを犠牲にすることもなく、誰にも迷惑をかけず、ただ自分が1%の人間であると信じやり遂げるのだ。
もし本当に1%の人間になって、地球の平和を願うなら、その覚悟があるのなら、ただそう生きればいい。けれど、くれぐれも注意せねばならない、もしほんの少しでも自己欺瞞の念をもつのなら、身の丈に合った生き方を選択することだ。
身の程をわきまえず、自分や周りを騙し利用した者たちが、最後にどうなったかはこれまでの歴史が証明し続けてきたことだ。はじめは誰もがよりよい人生をとそう願い、その結果いつしか詐欺まがいの人生を歩んでいるのだ。
背伸びして無理な人生を歩んだ結果、後戻りできなくなり破滅の道を選ばざるをえなくなるように。1%の幻想に惑わされず、しっかりと地に足をつけ、一歩ごとマイペースに歩むことだ。
自分は所詮、自分以外にはなれない。
何よりも尊いのは、自分が自分であることに気づくことだ。
自分らしさやありのままのすばらしさに気付けることだ。
さぞかし綺麗事に聞こえるだろう、けれど結局はそういうことなのだ。