体の声が聴こえる
いい歳して体重がなかなか定まらない。
更年期以降はますます体重が減らなくなるといわれているが、実際のところはどうなんだろう? 子供の頃から体重の増減を繰り返してきた私には分からない。
とにかく、体とはずっと格闘してきた。
ダイエット修行を積み続けたおかげで「安易に痩せよう」なんて欲望はとっくに成仏している。時代の変化と、私自身の経年や経験もあって価値観も自然に変化した。ボディポジティブという言葉が好きだし、 カーヴィーな体型のケンダル・ジェンナーに惹かれると同時に、魅力的なプラスサイズモデルやアーティストのLizzoの登場を心から嬉しくも思う。
言うまでもなく、美しさとは多様なものである。心地良く健康でいられる体重や体脂肪率というものは、結局のところ、人それぞれ。
体にまつわることに関しては、私なりの悟りを開いたはずなのに、中年の今も体重は定まらず、同様に体調や心の在処も時々、定まらない。
いずれも揺れ続け、永遠に定まりきることのないものではあるけれど、ここが私の真ん中であるという基準値を掴むことは必要だと思う。これも1つの自分軸。
体の中で寂しさが鳴っている
私のカラダは、体重や体調はなぜ定まらないのか。
原因は1つではないが、私の飽くなき食欲の存在は無視できない。子供の頃から食いしん坊の大食漢。食欲は本能のみならず、いつも感情に紐づけられていて、喜怒哀楽と食べることや飲むことはいつだってワンセット。とりわけ、淋しさと食への欲望は、私の中で手を繋いでいて片時も離れなかった。
我が人生を遡ること、生後数日。体が弱かった母は出産という大きな山を乗り越えていっぱいいっぱい。生まれたての赤子にかまうこともできなかった。
私は看護師さんの腕の中で最初はよく泣いていたが、与えられたミルクをよく飲んだ。飲んだミルクの量に比例して、長い時間、幸せそうに眠っていたという。
看護師さんも多忙だったのだろう。私に1度に与えられるミルクの量は増えていき、ある日、ありえないほど大量のミルク(通常の数倍とのこと)を与えられた。それでも大食い選手権のごとく、私はスイスイとミルクを吸い込んだ。そこで再び眠りにつくのかと思いきや、ゴボッゴボッと咳き込むと顔を真っ赤にしてミルクを噴水のように吐き出し、小さな体を大きく揺らして悶え苦しんでいたと。
「あの時は死んじゃうかと思ったよ。もともと丸顔なのに赤くなってほっぺた膨らまして、目ぇを見開いてさ、タコみたいだったのよ!」
数年後、祖父はゲラゲラと笑い転げながら少女になった私に教えてくれた。当時は笑い事じゃないと思ったが、振り返れば、気づく。
あの頃から、私の寂しさは食べることによって解消されていたのだ。
幼少期、病弱な母といつも一緒にいられたわけじゃなかった。母が入院するたびに祖父母の家に預けられると、彼らは孫可愛さに妹と私に大量の食事やおやつを用意してくれた。白米、漬物、お肉、おやつはケーキもお煎餅も食べ放題。甘いものとしょっぱいものを交互に食べまくる快楽を私は早い段階で知った。
9歳の時に母が病気により亡くなると、私の食欲は心の空白とともにさらに膨らんでいった。小児肥満児の誕生である。
摂食障害からの再生を経て
その数年後に始まったのが、ハードなダイエット修行の旅。
ありとあらゆるダイエットを身をもって経験して、ダイエットにおいても流行は繰り返されることや、日常的にコマーシャルに踊らされてしまうことにも気づけた。けれど、寂しさに端を発した旅はなかなか複雑な問題を抱えていて、体の脂肪以上に心の脂肪がまったく落ちなかった。頭では何が正解かわかっているのに、それを体に行動に落とし込むことが難しかったのだ。
愛と自己肯定感に飢えていた。しかも生来、物事をぐるぐると考えすぎる性質。かくして、ダイエット沼にハマって抜け出せない日々は長く続いた。
20歳の頃には、軽度の摂食障害や引きこもりを経験した。
しばらくの拒食状態から過食期へと突入して、わずか半年の間に人生最低体重と最高体重を記録(その差、30kg近く)した後、私は東京で1人暮らしをしていたアパートから一歩も外の世界へ出られなくなった。
その後、大学休学やシンガポール留学、世界各国への旅を経験。より広い世界に触れたことで私自身の価値観は地殻変動を起こして、新しい道を見出せた。
引きこもりや摂食障害、シンガポールにおける再生の話はなかなかに壮大なので、次回以降に先送りするとして、あの時、いったん自分の人生をリセットすることで、私は過度なダイエット信仰や美しさへの固定観念から抜け出せたのだと思う。
体は私の味方だったんだ
今も自分の体にとって最適な体重や体脂肪や体調などの基準値を掴め切れていないし、理想のカラダにもたどりついてはいない。いまだ、体と格闘することもある。けれど、それとは別に、自分のことが好きかと言われたら好きだと言える。年々、身近にある愛や小さな幸せを掬い上げて慈しめるようにもなった。
体と格闘して右往左往してきた日々の中で、体に対して、たくさんの理解や気づきも得られた。言葉にとてもシンプルなことばかりだけど、よく理解しておくと、日常や人生を大きく変えてくれることばかりだ。
たとえば、体重は体調や見た目以上に、心を測る目安にもなること。2、3キロの体重は体内の水分量で簡単に変わってしまうし、ストレスやホルモンバランスによって左右され、減らなかったり増えたりするもの。だから体重の数字にとらわれすぎる必要はないけれど、体重が揺れ動く時は、心に過度な負荷がかかっている時だったりする。
それから、体は重さより形が大事であることはもちろん、質感や柔軟性を高めることによってこそ、より美しく見えるし、自分自身も心地よくいられること……etc.
他にもまだまだあるが、私の中で最も大きかった気づきは、それまで格闘してきた体、ある種、敵扱いしていた体に、実は自分が助けられてきたということである。
体は、いつも私の味方だった。
心の処理能力を過信しない
心はいつも平気で嘘をつく。
「ママがいなくても大丈夫だよね?」
「太ったら可愛くないよ」
「友達がいないなんてかわいそう」
「勉強しないと良い大人になれないよ」
私たちは、この世に生まれた瞬間から、さまざまな外的要素にさらされる。誰かの放った何気ない言葉や行動、こうあるべきという社会の規範やムードを浴び続ける。さらには、個人としても悲喜交々の経験を味わって、心は次第に硬くなっていく。
そして、心は嘘をつき始める。こうあるべきだ、こう生きるべきだという圧を自らにかけて、いつの間にか、元来の自分であることから遠ざかってしまうのだ。
大人になったらなおさらだ。経験値によって、心の処理能力が上がっていると思うのか、ますますハードな負荷を自分にかけていく。
でも、ほんとうは?
たしかに、経験や思考によって心は深くも強くもなっていく。でも、だからと言って、心の本質、柔らかさや繊細さはそう変わらないはずだ。そんなに急いでいっぺんにハードな諸々を処理できたりしないのではないか。
そうして、自分の知らぬまに痛みや苦しみは蓄積して心をちょっとづつ壊してしまう。
そんな時、助けてくれたのは、いつだってカラダだった。
心が壊れかけていることに気づけない時、あるいは、気づかないふりをしている時。体はいつも先に声をあげて、私のほんとうを教えてくれた。
寂しさゆえに飲みすぎたミルクを吐き出した時も、食べ続けて小児肥満になった時も、無茶なダイエットを続けて軽度の摂食障害に陥った時もそう。
思えば、心の毒素を吐き出し、方向転換を図るべきという体からのサインだったのだ。
体重の増減だけじゃない。恋愛や人間関係における違和感を、相手に触れた時のざわざわとした触感で教えてくれたり、理不尽なハードワークが限界に近づいてきた時も蕁麻疹や高熱、子宮筋腫で知らせてくれたりもした。振り返ってみれば、そんな例は枚挙にいとまがない。
どうすれば、体の声が聴こえるの?
体は私を愛していた。私が愛と敬意を向けずとも、酷使しようとも、心よりも上手に愛してくれていたのだ。
だからね、もしも、人生に惑ったら、まずは、体の声を聞けばいい。
心の真ん中にあらためてこの言葉を置いてみる。
うまく食べられない時や眠れない時はもちろん、人生の決断や愛することに迷ったり惑ったり、日々の出来事に違和感を感じたりした時も。心が声を失った時は、体調や身体感覚など体に意識を向けてみると新たな気づきがきっとある。
でも、どうすれば、うまく体の声が聴こえるのか。
まずは、アンテナを立てて聞こうとするだけでいい。街に流れているヒット曲から身近にいる人の言葉まで、日常ゆえに流れがちなものも、意識を持って聞こうと思えば、きちんと細部まで聞こえてくる。それが音であり、声というものだ。
これからの私は、日頃から体の声を聴いておく。
小さなサインも見逃さないよう、日々、優しく耳を傾ける。そうして、この先は、その声を生活の中で生かし、人生に反映させていく術をより探っていきたい。