『ボーイフレンド』に恋した2024夏。Boysたちは、少女漫画みたいな“夢の現実”を生きていた
SNSが支配する世界でリアリティーショーにハマった私
毎日、蜃気楼の中にいるのかと錯覚するほど暑かった2024年の夏は、Netflix『ボーイフレンド』に夢中だった。
私の場合、むしろ、大人になってからリアリティーショーを楽しめるようになった。
映画もドラマもドキュメンタリーもそれなりの本数を観てきたし、いまだに日々、楽しんでいるけれど。エンタメの最果てにあるようなリアリティショー ならではの魅力……虚と実、ロマンと下世話さが入り混じった世界には思わず引き込まれ、複雑な感情や妄想をかき立てられてしまう。
リアリティショーが人気を博す世の中は、SNSが支配するこの現実と地続きだなと感じる。
出演者が大統領になってしまう(ドナルド・トランプ氏は不動産王時代、リアリティショーで知名度と人気をあげた)世の中ってポイズンだけど、それならば、出演者がカメラの前で誓った愛だって真実かもしれないし、何か予想もつかない未来へと連れて行ってくれるかもしれないーーそんな妄想に耽ってしまうのだ。
とはいえ、近年は世界中でありとあらゆるリアリティショーが作られ、消費されすぎたせいか、食傷気味だった。演出も出演者の欲望も、受取り手の反応も、面白いと言い切るにはさすがに度が過ぎている。このジャンル自体、好きから嫌いに転じる寸前だった。
そんな最中に心をさらってくれたのが、Netflixで配信中の「ボーイフレンド」。本作の素晴らしさについて、夏が終わってしまう前に書き残しておきたい。
Boysたちは、少女漫画みたいな“夢の現実”を生きている
本作は、日本初の男性が恋愛対象である男性たちによるリアリティーショーである。私は5話が配信されたあたりで見始めて、一気に沼落ち。最終回を待たずして、自らの音声配信「Voicy」の生放送にて、やはり本作にハマったというLGBTQ当事者の友人・吉井奈々ちゃんと番組や出演者の魅力ついて熱心に語り合った。
最終回の配信後も未公開映像を観て友人たちと語り倒し、いまだに、出演者たちのインスタグラムやYouTubeを楽しんでいる。その間、同じくNetflixのドラマ『地面師』も2周したものの、私の心はいまだグリーンルームにいる。
グリーンルームとは、彼らが本作の中で住まう海辺の一軒家のこと。
私は、あの家にいたBoys全員のことが大好きでたまらなく愛おしくなったし、できれば、あの家に住んで、ずっと彼らを眺めていたい。
こんな気持ちはリアリティーショーでは味わったことのない感情だ。
ドラマなら? 映画なら? いや、漫画でこそ、味わった記憶があるような。
そう、本作は、私の大好きな少女漫画に近いのだ。
海と空が織りなす青のグラデーションの中に佇む一軒家。Boysたちはここで約1ヶ月の共同生活を行う。生活費の一部は、自分達がキッチンカーのカフェを運営して賄うことがルール。その他、大きなルールはなく、定期的にイベントが行われる以外は、自由に過ごせる。恋愛はしても、しなくてもいい。自分なりのゴールを見つければ、それでいいという。
Boysたちは、全員、色合いの異なる個性を持ちながら、チームとして完璧なアンサンブルを奏でている。個々に生っぽい人間味はありつつも、みんな根っこが素直でチャーミング。思慮も思いやりも深い。ルックスだって清潔感があって、それぞれのスタイルがありかっこいい。
ストーリーに派手な起伏は少ないものの、繊細で優しい彼らの恋愛や友情は、悲喜交々の全てが温かく美しい。恋のみならず、人間としての切実な葛藤や成長もかいま見えるなど、人間ドラマとしての奥行きもある。
本作を構成するあらゆる要素が良質な少女漫画的。リアルファンタジーなリアリティショーだと感じた。おそらく、本作にどっぷりハマったのも、少女漫画が好きな大人が多かったのではないか。
ロマンティックな恋がしたいなら、恋愛感情は見せても性癖は隠すべき?
なぜ、こんな夢みたいなリアリティショーが生まれたのか。
そこに関しては、前述の通り、VoicyにてLGBTQの当事者である友人の吉井奈々さんともたっぷりと語っているので、ぜひ聴いてほしいのだが……端的に記しておくと、最大の理由は、やはりキャスティングだと思う。
ドキュメンタリーもそうだが、リアリティショーのキモはやはり出演者、そこに生きている人間の魅力だなと改めて。Boysたちの魅力については、これだけで1本のnoteが書けるほど。1人1人が人間としてカラフルでチャーミングだし、クセやめんどくささも抱えていて面白い。
もう1つだけ理由を上げておくと、編集面において、リアルの見せ方と隠し方が絶妙であること。
BoysたちはLGBTQの当事者であり、マイノリティだ。まだ若くとも背負ってきた人生は複雑、それぞれに辛い経験や葛藤を抱いてきた。それは、本作のさまざまな場面で見てとれるし、彼らも本作の中で率直に語り合っている。
視聴者としては、その場面に共感したり感動したり思い入れつつも、一方では、彼らの存在や物語自体には、過度な湿り気や重さは感じない。
それは、おそらく編集において、見せる部分と見せない部分の切り取り方が絶妙だからではないか。
たとえば、彼らは自分達がゲイなのかバイセクシャルなのか、自認はHe(彼)なのか否かは開示しているし、お互いにどんな男性がタイプであるかも語っている。けれど、自分はセックスにおいてはどんな役割を果たし、どんな性癖を持っているのかまでは(画面の中では)語らない。
自らの性癖を語らないなんてリアリティーショーでは当たり前の話ではあるのだが、吉井奈々曰く「ゲイにとって性癖の開示は大切なのよ。直接的に語らずとも、そこは伝え合わないと恋愛も始まらないから。視聴者としても知りたいところよね。でも、やんわりとでも語られていないのは、視聴者の想像力を掻き立てるためなんだと思う」と。なるほど。
この例はさておき、本作においては、あらゆる面において、全てを見せすぎていないことで、保たれている美しさや品格や面白みはたしかにある。だからこそ、リアリティーショーでありながら、少女漫画的な夢も宿ったのではないか。
シュンは愛情不足だけど、自己肯定感は高い
本作の魅力について、最後に記しておきたいのは、やはり、ダイとシュンのラブストーリーだ。9人のBoysの中で恋愛面において本作の主役となり、今や世界中にファンが増え続けている彼らについて。
ダイとシュン、ともに23歳。
ダイは、両親に愛されて健やかに育ったであろうことが何気ない言動や行動から見てとれる、笑顔が可愛くて人懐っこい男子。でも実は包容力や冷静さも併せ持っっている。バイセクシャル。
シュンは、生まれた時から両親がいない。幼少期に愛された記憶が薄いせいか、思考も言動や行動もいちいちひねくれている。けれど、自分の気分や感情には至極、素直で、姫のような猫のような自由さと可愛さ、高慢さを漂わせている。
そんなシュンにダイは一目惚れするものの、シュンはなかなか振り向かず、一途なダイの愛を試すような行動を繰り返す。ダイは振り回されながらも、さらに思いを深めトキメキを寄せ続け、シュンも少しつづ心を開いていく。
2人の関係性こそが、最もリアルなファンタジー。「ああ、恋愛って!」という甘酸っぱい気持ちにさせられる。
恋も遠い日の花火となった身としては、憧れのような感情もわきあがる。
とりわけ憧れるのは、シュン。自分の気分や感情を、ダイや他のBoysたちにありのままぶつけていく彼は、視聴者を戸惑わせるほどに、空気を読まずに周囲を振り回していく。
日常において、恋愛において、あんなに自分本位に身勝手に振る舞えるなんて(しかも、全世界に配信されるNetflixで)、何て無防備で勇敢で可愛くて尊いんだろう! 身近にいたらだいぶ厄介だけど、やはり、引き込まれてしまうに違いない。
しかも、シュンは面倒な人だけど、なぜだか嫌な奴には全く見えない。
それは美しい容姿もあるが、彼の行動原理がピュアでひたすら素直であることも大きい。さらには、健やかな自己愛を保っている人であることが言葉や行動、表情からも伝わってくるからだと思う。
幼少期に愛情に飢えていた人は自己肯定感低くなりがちだが、必ずしもそうではないのだろう。
シュンの健やか自己愛については、テホンなど他のメンバーの口からも語られている。両親に愛されて育ったが、ゲイであることはカミングアウトできずに生きてきたテホンが、「自分が自分であることを肯定して自信を持っているシュンがうらやましい」と語る名場面もあった。
愛に飢えていても自己肯定感は高く、愛される才能にも恵まれている。それでいて、ユニークさも合わせ持った孤高の存在。
そんな複雑な魅力を持ったシュンに憧れるし、普段は自身もやんちゃで無邪気なのに、シュンの全てを包容力を持って愛そうするダイもまた最高なのだ。
そういえば、恋愛の醍醐味って、自分という存在を丸ごと相手にぶつけられること、相手にそれを受け入れてもらうことだったよね(遠い目)。
ダイシュンの恋物語、それは『風と木の詩』
Voicyの生放送で彼らについて熱を込めて語っていた時のこと、とあるリスナーさんがコメントをくれた。
「シュンはジルベールのようですよね」
そうか、似ている。BL漫画の草分けであり、少女漫画の金字塔である『風と木の詩』のジルベール。あの小悪魔感はシュンに重なる部分があるし、ダイもその想い人となるセルジュ的な一面があるような。
『風の木の詩』を再読しながらダイシュンに想いを馳せていると、今度は友人の漫画家・ひうらさとるさんが、「シュンは『日出処の天子』の厩戸皇子にも重なる」と言っていて、再びひざを打った。同じくBL漫画のパイオニア、不朽の名作であり、歴史と愛の深みを描いた少女漫画『日出処の天子』の主人公・厩戸皇子(聖徳太子)!
シュンとジルベールと厩戸皇子。
3人の共通点は、美しさ、深い孤独、複雑な内面、そして、自分を理解してくれる相手へと向けるピュアな愛。さらには、無邪気な可愛さやユーモア、女性へのほのかな嫌悪感を滲ませているところ(シュンに関しては想像です)……etc. 枚挙に暇がない。
少女たちの憧れを集めてしまうところも共通点だ。
『風と木の詩』や『日出処の天子』が少女漫画として普遍的な傑作と言われる理由の1つは、少女は美しい少年に憧れているからだという説がある。『風と木の詩』においては「思春期の少女の内面世界を表現し切った作品である」と高明な心理学者が語っていたが、その通りだと思う。
シュンも、『ボーイフレンド』という作品も、あの2作のように大人の心の内にもある“少女心”を揺さぶりながらも、潤わせ満たしてくれる。
そういえば、吉井奈々ちゃんも本作がとりわけ女性に人気を集めた理由として、登場人物がゲイであることも関係しているではないかと語っていた。「もし、シュンが女だったら、もっと嫌なやつだと決めつけていた人は多いと思う」と。
私はミソジニーが極めて少ない方だと思うが、大方、消したつもりの「女とはこうあるべき」という呪縛が心どこかにシミのように残っていて、だからこそ、女性(的なもの)がたまに鬱陶しく感じられることがある。
そんな不自由さを感じているからこそ、ジェンダーのみならず、さまざまな「こうあるべき」を超えている、そのままのいびつで孤独な自分のままで生きて、恋をしているシュンや、ジルベールや厩戸皇子に憧れるのだ。
そして、そんな彼らをまるごと包容して救ってくれる、セルジュ、蘇我蝦夷、そして、ダイにも惹かれてしまう。
自分の存在をかけた恋は“永遠と一瞬”だから
ところで、名作漫画の中の恋は2つとも成就せず、悲劇的な結末を辿るのだが、ダイシュンの恋は順調そうだ。
2人のYouTubeを観ていると、日を追うごとに、ますます愛を深めているよう。シュンは来世はダイの猫に転生するのではないかと思うほど、彼の前でゴロゴロと甘えている。ますます可愛くて尊いな。
2人の関係がずっと続いて欲しいと願いながら、激烈な恋ゆえに、いつかは終わってしまうのかもしれないと、あの夏の花火を見るような気持ちで2人に思いを馳せる。
それでも、恋は“永遠と一瞬”だ。
ありのままの自分で、魂でぶつかり合った恋を経た2人は、ますます、魅力的な大人になって、羽ばたいていくに違いないーーそんな妄想に帰結した。
『ボーイフレンド』に想いを馳せた2024年夏、ダイシュンフォーエバー。
※サムネ画像はNetflix公式サイトよりお借りしました。
Voicyでは、作品の魅力や裏側についてもディープに語っています。