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僕が研究者を諦めた理由。これから進学、今頑張っている学生に唯一無二のアドバイス。
大学院をやめた僕に、科学を語る資格なんてないと思っていた。生命科学の研究者になることを諦めて、今はこうして模索している。でも、携わってきた以上、好奇心が持てる世界だったし、決してつまんないとは思わなかった。それでも研究者になることを諦めた。仕事としてではなく間接的な立場で、科学と付き合っていきたい。その方が僕は楽しいことに気づいた。
来年、大学院に進学する大学4年生、修士2年生。非常に素晴らしいご決断です。勇気のある行動です。お節介ながら、最初のアドバイスとしては、決して専門職や大学教員、学芸員になることが科学者としての花形ではないこと。趣味のレベルでも良い。科学を通じて、人生の糧にしてもらいたいのだ。
そして、本気で進路を考えてほしい。これから夢を抱いている学生さんには、科学に対してクリーンに携わってもらいたい。
僕が今回紹介するのは、研究に携わる学生だったころの、辛い部分・汚い部分と思ってもらいたい。前半は能力の限界について、後半は大学院時代の内情を特定要素を伏せて書く。これは、アカデミアに嫌気が指した原因だ。最後に進学を考える学生さんへの堅実なアドバイスを送る。ここからはかなり具体的な内容(暴露に近い)なので、有料記事にさせていただきます。
後半に関して、半分憂さ晴らしで内情を吐露するが、別に復讐をしたいのではない。復讐するなら、堂々個人名と研究室名をバラして、既に裁判沙汰にしている。もしかしたら、服役しているかもしれないのだ。
価格は「300円」に設定した。相場よりも高いと思うが、簡単には見せられない内情です。ご了承を願いたい。
この記事を書く真の理由は、僕のようにならないためにも、事実を知っていただきたいだけなのだ。僕は元来だらしない性格で招いた可能性があるが、誰にでも起こり得ることである。それを赤裸々に書く。すべて事実である。
申し訳ない点としては、LINEやメールのやりとりは既に削除してしまったということだ。みるのも辛すぎて消した。論より証拠とはよくぞ言ったものですが、やりとりの記録はあくまで「口伝」という形にさせていただきます。取りあげたら大問題にもなりかねませんし、そもそも辛いことがなければ今回のような記事は書きません。
研究室を持っておられる先生などの参考にもなればよいと思うし、研究についてあまり知らない一般の方々にも知ってもらいたい。断っておくが、所属したのも、辞めたのも自己責任だと思っているので、恨み言は言うが、決して他人のせいには一切していない。
誤解を招くようなことを言ったら申し訳ありません。何かあれば遠慮なくコメントをいただきたい。それに合わせて、内容を改訂します。あくまで私側から見た意見ですので、ご了承願います。
その1. 将来設計がぼんやり
僕の将来設計はここまでしかできなかった。僕のモットーは、そのときにならないと分からないという考えだ。だから、後先何にも考えていない。何となく海外で研究できれば良いなあと、ぼんやりとしたアイデアしかない。
そこまでの見通ししか立てられなかったため、諦めてしまった。ポスドクとしての修業が何年になるか分からない。とにかく不安でしかなかった。
あとは、その環境で没頭できなかったことも大きい。夢中になれば楽観的になれるからだ。
その2. 優秀な人がゴロゴロいる
T大大学院を含めて、旧帝大の研究室は、国から企業から研究資金が潤沢なうえに、非常にアクティブな学生が多い。
そこに在籍する学生は、死ぬほど研究が好きで、勉強熱心だ。一方の僕は、中途半端な勉強量、当時の教官には申し訳ないが、俯瞰してみれば、さほど多くない研究費(あくまで有名大と比べたらの話)。僕が研究助成金に採択されたこともあるが、雀の涙程度。学会に参加して、発表を聞いて痛感し、劣等感を感じた。
正直にいうと、「これってどういう現象なの?」って言われて、答えられない。具体的には言えない。化学式もかけないし、計算の原理を知るのも苦手だ。もちろん調べれば理解できるが。
優秀な人は、こんな基礎的な説明が簡単にできてしまう。ついでに言うと、情報猛者だ。最新テクノロジーはもちろんのこと、常に科学誌や論文を読み漁って、自分の研究活動の糧にしている。
その3. OBの先輩が優秀すぎる
指導教官から、OBの先輩と常に比較されていた。先輩は休まずにずっと研究をしていて、学振も採択されて、すんなりと卒業したそうだ。卒業までに論文4本って僕からみたらとってもすごい。しかもそのあと、すんなりと出世。
そんな血の滲むような努力を一生かけてやるのは、実際やってみて、僕にはできないと感じた。365日実家に帰らずに(本当に一年間は帰らなかった)、頑張ろうと思っていたが、身体は壊す一方で、データは全然出ない。無駄に時間を貪っていた。
お金がない研究室では、研究に没頭できる人、手先が器用でない限りは、博士号をとることは無理に等しいです。
その4. 技術的に限界を感じていた
僕はどちらかと言えば、アイデアマンである。研究に対して、仮説を立てて、計画するくらいのアイデアは売るほどあった。
ところが、技術が追いつかなかった。ポジティブコントロールを取るのに徹夜したこともある。修士2年の終盤くらいで気がついてしまった。どんなに良いアイデアでも、伴わなかったら意味がない。
それから実験の詳細計画を立てるのも無理だった。細かいことの繰り返し、長時間の拘束は苦痛でしかなかった。
だから博士課程で頑張るのも、卒業することも不可能と感じ、これからアカデミアや民間で研究しても、やっていけないことを想像した。
別に人にレスキュー(助けを求めること)しなかったわけではないが、それでもできなかった。研究者になるには、技術は絶対必要だ。
研究者を諦める人のほとんどが、自分の不器用さを痛感したからだそうだ。たとえ、東大で首席卒業出たとしても、ずっとポスドクだったって話もある。
その5. 文献を読み漁り、何か書いているときが楽しいと気づいた。
データがなかなか出ないと、実験が楽しくなくなります。そうなると自然に勉強の方が楽しくなります。NatureやScienceなど、IF (インパクトファクター:要はランクが高い雑誌ほど、すごい研究と評価される)が高い雑誌に掲載されている論文をPubmedで検索して漁り、知識を得ること、読破することに快感を覚える。これはある種の現実逃避である。研究がつまらないと思うと、これが癖になってくる。
noteを普段から頻繁に更新しているように、書き仕事が僕は大好きだ。報告書を書いたり、研究助成金の申請書に創造力を働かせることがとっても楽しかった。
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