誰の為なのかの勘違い
Aさんがやった仕事の途中経過を見て、Bさんがダメ出しする。Aさんは「なるほどー」と表向きでは聞き入れているように見えて、内心ではそれを受け入れる気は、ない。Aさんが意志を入れて一生懸命にやった仕事なので、寸分の指摘も受けたくない、っていう感じの場面です。
若いヒトたちがやる仕事あるある、なんですが、こういう光景を社内で見かけると、ついつい苦笑いしてしまいます。
Aさんも、Bさんも、まさに同じころの『自分』だから。
自分の場合、もっと気性が荒かった(正確には偏っていた)ので、自分のやった仕事をヒトから指摘されたりすると、それこそ流行りの『倍返し』で応戦して歯向かっていました。もはや喧嘩です(反省:そのせいでたくさんの方々に嫌な思いをさせてしまいました)。
そういう自分を見兼ねて、あるとき上司が「おまえの仕事はぜんぶ反対になっている」と。いったい何が反対なのか聞いてみると、このときの自分は「仕事プロセスをお客様のためにやって、仕事結果を自分のためにやっている」らしく、これは大きな『勘違い』らしい。
その反対を考えてみると、「仕事プロセスを自分のためにやって、仕事結果をお客様のためにやる」ということが『正しい』になります。言われた直後は理解不能だったものの、なにか心に引っ掛かるアドバイスだったので、それ以来、ずっとこのことが付き纏いました。
そのうちだんだんと分かってきたのですが、『仕事プロセスをお客様のためにやる』は、いかにも信念と献身に溢れた仕事姿勢のことを意味しそうですが、周りの指摘や助言を受け入れる気がない、という意味や判断に使うなら、単なる『仕事の私物化』なんです。
もちろん、仕事を任された本人として自信を持つことは大事なことですが、誰からの指摘や助言も受け入れたくない、ということは「会社単位の仕事にする気がない」ことを意味します。これって、自分程度がやる仕事の完成度や通用度が一体どれだけのものなのか、という客観視点や謙虚さが伴わない驕った気持ちの現れでもある、と考えられます。
やっぱり、本当に自分の為を思って取り組むなら、そして、本当にお客様の為を思って完成させるなら、『仕事プロセスは自分のために、仕事結果はお客様のために』が正しい、ということになりそうです。
そんな自分も、今だに周りから指摘や助言を受けると、ムッとした表情を出してしまう厄介な大人なんですが、「ここを受け入れて更に良いものができるかが真価の問われどころ。自分の為に逃げずに受け入れよう」と心がけて、みんなと付き合っています。
で、これを繰り返していく結果は、単独(私物化)でやった仕事よりも確実に上回った仕事にできるし、周りとの集団思考を活かしてやり遂げた仕事を届けることで、ようやく「お客様の為」が成立します。
Aさん、まだまだ修行が足りないね(←かつての自分と同じ勘違い状態)。Bさん、ヒトの努力と自信を尊重したところから指摘や助言ができるようになるといいね(←自分がギラギラしたいだけではダメ)。
自分も同様、どちらもまだまだ青いです(笑。
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