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【植物が出てくる本】『ボタニカ』朝井まかて

今年2023年4月から、植物学者の牧野富太郎をモデルにしたNHK連続テレビ小説「らんまん」が放送されます。今回ご紹介する『ボタニカ』は、その牧野富太郎の一生を描いた小説です。
著者は、以前ご紹介した『花競べ』など、植物を題材にした時代小説を執筆されている朝井まかてさん。どんな牧野博士が描かれているのだろうと、ワクワクしながら読み進めました。

『ボタニカ』朝井まかて(2022年:祥伝社)

土佐で生まれた牧野富太郎は、幼いころから植物に興味を持ち、野山で植物に語りかけていた。小学校中退ながら独学で植物の採集、研究を続け、雑誌の刊行や新種の発見・命名など、日本の植物学の発展につながる成果をあげていく。また、天性の画力による植物画は専門家を唸らせるほど。しかし、学歴がないことによる苦労や多額の借金など、次々と困難が訪れて……。

500ページ近くあるため、今回はkindle版で購入してみました。独特の土佐弁や時代背景の描写にもすぐに馴染み、いつの間にか、長さが気にならないほど小説の世界に没頭していました。

(ここからはネタバレを含みます)

牧野富太郎の生涯については、色々な本などで紹介されているので、ご存じの方も多いかもしれません。日本で初めて植物の新種「ヤマトグサ」に学名を付けた方であり、その後数多くの新種発見、命名を行った「日本の植物学の父」。しかし、その生涯は波乱に満ちています。

幼くして両親を亡くし、酒造業を営む「岸屋」で祖母に育てられた富太郎ですが、家業には興味を持たず、もっぱら野山を駆け巡っては熱心に植物を採集する日々。
小学校の学問は物足りないと学校を退学。小学校の臨時教員を務めたのち、東京へ出て東京大学の植物学教室に出入りを許され、研究生活の大きな後ろ盾を得ることになります。
やがて、同じ家で育ったいとこの猶と結婚しますが、結婚生活も二の次で研究に明け暮れます。

驚かされるのは、その植物に対する好奇心と情熱です。

「物心ついた時分から無性に、ただひたすらに植物が好きで、もっと知り合いたいと思うて、植学の道に入りましたき」

朝井まかて『ボタニカ』本文より

と富太郎自身のセリフにある通り、見返りを求めるのではなく、ただ純粋に植物に惹かれ、どこまでも追い求めていく富太郎の姿が力強く描かれています。

富太郎は「テーブル・ボタニー」と呼ばれる机上の学問を嫌い、自分の足でフィールドに出て、実際の植物に触れることを何よりも重んじています。
独学で書物を紐解いて身に着けた植物に対する圧倒的な知識や、野山を歩いて集めた膨大な標本の情報量、さらには精密で正確な植物画を描くことができる天性の画力。さらに、植物を語り始めると止まらなくなり、植物のためなら大胆な行動も辞さない、明るくパワフルなキャラクター。周囲の人が思わず手助けし、応援したくなるのもうなずけます。
在学生ではないにもかかわらず、東京大学植物学教室に出入りを許されたり、出入りを禁じられてもまた呼び戻してもらえたりと、ピンチの際には周囲の人が富太郎に救いの手を差し伸べ、富太郎の研究生活は続いていくのです。

一方で、読んでいて、モヤモヤしてしまった点もあります。
まずはお金に関すること。富太郎は植物に関する本を買うためには金に糸目をつけず、湯水のごとく書物につぎ込む日々。その生活が原因で、多額の借金を抱え込むことになり、生活は困窮します。一人目の妻の猶や、二人目の妻の壽衛は、富太郎から求められるままにお金を用立てますが、それが原因で家業の「岸屋」をたたむことになったり、壽衛は借金取りへの対応に奔走したりと苦労の連続。特に、一人目の妻の猶の気持ちを思うと、気の毒になります。
壽衛は内助の功で、献身的に富太郎の研究を支えます。その感謝の気持ちを込めて、富太郎は自らが発見した新種のササを「スエコザサ」と命名します(TOPの写真:練馬区の牧野記念庭園で撮影したものです)。
有名なエピソードではありますが、美談にしていいものか……と思ってしまう部分もあります。
例えば、興味の対象が植物ではなく、ギャンブルや、ブランド品だったら、どうなのか? 「好きなものをただ追い求めて、際限なくお金を注ぎ込む」その対象が富太郎にとっては、たまたま植物だっただけなのでは?

もう一つは、周囲の人に対する態度。富太郎は、世渡りという点ではやや不器用な面があったことが、小説に出てくるエピソードからうかがえます。
富太郎の研究に力添えをしようと、様々な人が援助してくれるのですが、その気持ちに応えよう、恩義に報いようという気持ちはあまり感じられず、悪く言えば自己中心的ともとれる行動によって、結果的には反感を買ってしまうことになります。
家庭においても、常に助けてくれる祖母や妻に恩返しをするでもなく、助けてもらう一方です。

これは私の単なる個人的な感想ですが、富太郎には、今で言う「発達障害」のような傾向があったのかもしれません。
周囲を戸惑わせたり、自分自身が困難な状況に陥ったりする、いわゆる「生きづらさ」を抱えていながら、その豊かな才能と情熱で、偉大な成果を上げた富太郎。実際のご本人の写真を見ると思わず「ああ、この笑顔に、壽衛さんや、周囲の人は惹かれたのかな」と感じてしまう、子どものようなチャーミングな笑顔です。

利益や意味を求める気持ちとは無縁な、無垢なパワーが、周囲の人を魅了する、そんな力が富太郎にはあったのかもしれません。

百年後に役立つか、二百年後か。いや、いったい、いつ役に立つか判然とせぬものを大切に見つめて考えて、この世に残していくのが学問というものです。

朝井まかて『ボタニカ』本文より

と、小説の中で富太郎は語っていますが、まさしく現在の私たちがその恩恵を受けています。「ハキダメギク」や「ワルナスビ」など親しみやすい命名は、私たちが身近な植物について関心を深めるきっかけを作ってくれています。
周りの人が困惑することはあったかもしれないけれど、富太郎は遠慮したり、あきらめたりすることなく、ただ好きという気持ちだけで突っ走った。だからこそ、私たちは、今、豊かな日本の植生について、たくさんの情報を得ることができる。
その不思議な事実を思い知らされ、そしてやっぱり富太郎を好きになってしまう、そんな小説でした。

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