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高校生が「読書」の魅力を感じる読書会

(2025.2.25更新)私が日本の公教育から一度離れる前に公立の高等学校で取り組んだ実践内容についてまとめています。この記事では、特に高校生に「読書」の大切さをどのように伝えるのかを記録しています。


「短絡的思考」への危機感

 私が高等学校で授業をしていた頃、学年を問わず「社会とのつながり」を生徒に意識してもらうために、ニュースや自分が読んだ書籍を紹介して、授業の初めにブレインストーミングやディスカッションをする時間を設定していました。

 生徒達にこれまでしてきた「言語活動」について聞いてみると、「自分の考えを強引に押し通して相手を納得させる」ことが話し合いだと思っていたり、「そもそも考えることなんて苦手だから誰かの考えを頼りにする」など、本来の目的を捉えられないまま活動をしていたようです。

 つまり、学校教育(特に授業やテスト)の中で「決められた答え」にたどり着くことはできても、答えが決まっていないことに「自分なりの視点」を持ち、さらに他者に耳を傾けながら「考えを深く巡らせる」機会があまりなかったと言えます。
 ただ、社会に出てみれば、何か問題に直面した時に答えが用意されていることはほとんどありません。自分ならどう考えるのか、自分の選択がどう影響するのかまでを他者の意見や考えも参考にしながら、自分なりの答えにたどり着く必要があります。

 むしろ、「全てに何らかの正解がある」と思い込んだまま社会に出てしまうと、自分で考えて判断する力が養われていないために、他者(特に権威的な人や影響力の強い人)の考えを鵜呑みにしてしまう危険性があります。さらに、1つの視点から捉えたことが全てだと勘違いしてしまい、誤った選択をしてしまったり、最悪の場合、知らず知らずのうちに他者を傷つけてしまう行動をとってしまうかもしれません。

「複眼的思考」は大学に入ってから?

 私が生徒達に伝えていたことは、「入試問題には正解があるけれど、社会に出たら正解なんていうものはほとんどなく、自分なりの答えを見つけるには、ある程度の視野の広さが必要だ」ということです。生徒達もそれは薄々と感じていたようで、感想などを見たり聞いたりすると「社会で求められている力」と「学校の中で受ける教育」との間に乖離があることを十分に理解しているようでした。
 現場の感覚としては、大学生になったからと言って、急に既存の考えを疑ってみたり、物事をあらゆる側面から考えられるようになるとは思えません。それまでに正解のある問題を解くことばかりに慣れてしまっているため、自分から考えるような問いに対して「どう考えて良いのか分からない」と感じている学生も多いようでした。「自由に考える」というのは、何でもありというわけではなくむしろ難しいことです。だからそのためのトレーニングが必要なのです。

深い思考力を育むには「読書」は必須

 授業内の活動では、あるトピックについて考えていく時に、他の生徒との話し合いの中で、直感的なものや経験的なものだけをぶつけ合うことがほとんどでした。
 意見を交換することはブレインストーミングとしての効果はありますが、生徒が持つ情報が不足していることから「深い思考」には繋がりにくいと思いました。やはり広い視野を持つためには、自分とは異なった時代を生き、自分とは異なる世界の見方をしている人の考えに触れることも大切です。そのためには「読書」は必須です。

 生徒からは「学校のワークなどの宿題や受験勉強が忙しくてなかなか本を読む時間がない」という話をよく聞いていました。試験勉強のために知識を詰め込むことに専念し、その知識について考えることは先送りにするような勉強は勿体ないです。何よりも、知識の詰め込みはいつの間にか生徒から思考力そのものを奪ってしまうのではないかという危機感がありました。
 生徒から科目に関する質問があった時に、生徒は事象を正確に理解することばかりに気がいってしまい、「それを自分はどう捉えるのか」について考える余裕を持つのは到底難しそうだったのを思い出します。かつて政治経済の科目で第二次世界大戦後の日本経済の流れを整理する時も、流れを把握することばかりに気がいってしまい、そこから私たちが学べることは何かというところまでの議論には至ることができませんでした。その原因は、試験では知識しか問われないことと、それでも学びたいと思わせるだけの力が不足していたこともあります。

自分の視点を持つということ

 文学でも評論でも、自分の興味のある本について読んで考えたことを友達と話してみる、同じ本を読んで議論する、もしくはその本を読んだことのない人にどんなことが書いてあったという話をする、こういった取り組みはまんだという実感が強い活動です。そういった考えを出したりぶつけ合う活動の中で、生徒達の視野は広くなると思います。

 例えば、1年生の授業の中で「中世と現代の価値観を比べる」というテーマの学習をした時のことです。関係のありそうな本を自由に1冊選択し、それを読んでから先程のテーマについて考えてもらいました。すると、宗教というテーマだけではなく「教育」や「医学(薬)」「色の認識」など、読んだ本の内容を活かして自分なりの視点で比較する生徒がいました。そして、それを全体で共有することで学習を深めることができました。これは生徒の考える視野が広がる活動の1つだと思います。

知識は意見を組み立てる材料、そして議論を楽しむ

 3年生に関しては、今の暗記を主体とする受験勉強(入試改革が上手く機能してほしいと願っています)のあり方では、多くの生徒は読書から遠ざかってしまいます。
 せめて受験勉強が終わり自分で何かやろうと思った時に、「読書」をポジティブな選択として持っておいてほしいと思いました。せめて考える視野を広げる「きっかけ」だけでも提供したかったので、授業の最初にウォーミングアップも兼ねて、社会についてなるべく多くの分野のトピックをニュースや書籍からピックアップして紹介しました。そして、ニュースや書籍に触れて新しいことを発見する楽しさ、それついて保護者や先生、友達と議論する面白さを実感してもらうために、生徒が持つ意見を出し合ってもらう時間を作ったのです。

 正解がないことに戸惑う生徒も一部いたようですが、「完璧な答えを出そうとするのではなくて、自分なりの考えで良いからそれを他者に示し、他者のアイデアと混ぜて納得のいく答えを出してみる」ように促すところから始めました。すると、生徒達は少しずつ意図を理解して取り組むようになり、次第に自分で考えを持つことに楽しみを覚えた生徒が増えて、その時間は盛り上がって話し合うようになりました。
 以前投稿した「受験生指導編」に掲載している生徒からもらったコメントでも分かっていただけるかと思います。

「合意形成(コンセンサス)」ができる人間に

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公立高等学校での実践と経験を有料マガジンにまとめました。授業が成立しなくて悩んだり、働き方に疑問を持ちつつ自分ができることを考え取り組んできました。 ・工業高校で出会った専科の学びの重要性 ・アクティブラーニングで学ぶ受験対策の授業 ・高1世界史での探究授業 ・大学院生と現場教員の交流会 ・受験が終わった高3生との読書会 など学校現場で取り組んできたことを全て載せています。

公立高校の教諭として勤めた8年間(2012.4〜2020.3)の記録です。授業実践やクラス運営における生徒たちとの関わりについて、自分が実…

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