贈与論【読書のきろく】
最近読んだ本に、続けて出てきたのが、マルセル・モースの『贈与論』。SNSでちらっと名前を見たくらいで、本も著者も知らなかった。だから、気になって気になって、読んでみました。
難しくてなかなか進まなかったけど、何が書かれているかをつかまえたくて読み終えたところです。
モースは、未開社会や古代社会の生活様式を題材に、贈る・受け取る・返礼する、の一連のやり取りを研究しています。贈り物をもらったら、お返しをする。そこには、「お返しをしなければならい」という力が潜んでいると言います。
実際に、家族間や部族間で、贈る、受け取る、返礼する、の流れが厳格に扱われている社会もあり、それによって立場が決まったり、それ自体が儀式として成立している文化もある。表面的には、純粋に無償で贈与するという装いをまとっているけど、実態としては義務が生まれている。中には、返せないほどの贈り物をして、財産のすべてを出し尽くさせることを目的とした行為まで存在する。
そこには、やり取りされた「物」の力や、人と人のつながりの力が影響し合っているようです。
反対に、市場経済の貨幣での売買行為は、その場のその時点で、取引を完了させます。物の欠損がなく、提示された金額の支払いがあれば、それ以上の交流やしがらみが生まれない仕組みです。効率がよく、分かりやすい。でも、人の関係は生まれない。
ただ、現代社会も、そのような市場の売買行為だけでなく、誰かに贈り物をすることがあります。そして、お返しも。返礼を義務化したり、全財産を取り立てるような過激なことはしないけど、その物とやり取りを通じて、心が動きます。冠婚葬祭や、節目のお祝いが、なじみが深いと思います。
そうやって、読みながらいろいろと考えていくと、人と人が関わっていく社会の中では、お金だけで解決できないこともまだまだ多いなと思い至ります。物の売買だけでなく、何らかのサービスも。
モースが言いたかった『贈与論』、まだ入り口の部分しか理解できていないというのが率直な感想です。
心の残っているのは、「ギフト」の単語が、「贈り物」と「毒」の2つの意味を持っているということ。贈る・受け取る・返礼するの行為を見つめると、何となく分かるような気もしてきます。
人と人が、何かをやり取りするときに生まれる力。もっと真剣に向き合いたくなりました。
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『贈与論』に触れていた2冊、『ゆっくり、いそげ』『うしろめたさの人類学』のことが、前よりも少し分かったような気がしています。
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