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【詩】詩趣は剥ぎとられた

言葉狩りの追っ手が
じりじりと忍び寄る夜
私からポエジーが剥ぎとられた

「ポエジー泥棒!」
大声で叫んでみたけれど
彼はシソーラスの言語の海に
ささっと隠れて見えなくなった

泥棒のシルエットは
まるで個性のないピクトグラム
なにかを記号的に指し示すだけで
手がかりはほとんど得られなかった

彼は人生からポエジーを剥ぎとっていく
剥ぎとったものはどこかの闇市か
インターネットのオークションで
適当な値段をつけて売られているだろう

詩趣というものを奪われた私の
夢にある日、ポエジー泥棒は現れた
頭の中身を覗き込んで
「蠢いているな」
と言った

勝手に私の頭の中を覗き込むのは
やめてくれないか、と思ったが
ポエジーが奪われた後も
まだなにかの着想が蠢いているのを
うっすらと感じ取っていた
ポエジー泥棒の言う通りだ

そもそもポエジーとは何か
辞書には詩情・詩趣
美や感情を喚起するもの
おもむき、とある

若かりし頃
目に映るあらゆる現象がヴィヴィッドで
五感を刺激するように思われた
ひりひりとした皮膚感覚で
世界を眺める
感傷のフレーム越しにみる景色は
ゆらめき滲んで
独特のエフェクトをかけていた

そのエフェクトのことを
私自身のアイデンティティだと思い込んだ
だがふと気がつくと
センチメンタルは枯渇しており
わずかばかりのポエジーも
盗人に剥ぎとられてしまっていた

いろいろな出来事が
私の上を通り過ぎていった
人が生まれ人が去り
結び目がつくられてはほどかれ
そうこうしているうちに
抵抗することをやめ
諦めることを知って
事実を淡々と受け止めるようになった

私はかつての私と同じですか?
あの時の詩情を有していた私と

同じ器
同じ名前
ひと連なりの記憶を保有する一個人として
私は同一の存在だけれど

「そんなことはみんなマーヤーだ」
インドの思想家・シャンカラのふりをして
記号的な盗人が脳内に語りかける
「マーヤーとは幻影、迷妄、
事物には実態がないことのたとえ」
と今度はシソーラス的にたたみかける
なんだい、ピクトグラムのくせに

自己同一性という幻想から離れ
ただ手元にあるものだけを見つめる
いまここにあるもの
ポエジーなしに蠢いているもの
それを育ててみよう
出てくるものが私かどうかなど
物好きな評論家に任せておけばいい

こうして私は内的真実の距離を
今日も測り直している
ほんの感触でもかまわない
蠢いているものを捕まえて書け









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