とあるレビュアーの授賞式レビュー【創作大賞2024授賞式レポート】
ある日、豆島さんからDMが来た。
「吉穂さん、メール見てますよね?」
なにかわくわくした感じのDMだった。
「え?メールって何?」
すっとぼけた返事をした私。創作大賞の受賞者が発表になったので、受賞者には事前にお知らせがあった、と言う話だった。
メールを見て初めて、ヱリさんが朝日新聞出版社賞を受賞したということを知った。それから、ベストレビュアー賞のメンバーの名前を知った。
知り合いがいっぱいいた。笑
最初は「もしかしたら中間選考の残念賞みたいな感じもあるのかな」とも思った。何人かの方は中間選考を通っていた。また「普段からnoteの創作カテゴリを盛り上げている人たちと捉えられているのかな」とも思った。
陽キャのぱーりーに孤独に立ち向かわなければならないと思っていたので、お話したことや会ったことのある、優しい人たちと一緒だと知って心が落ち着いた。
ベストレビュアー賞の受賞に関しては、その前に該当者にメールが来ていた。だがそれも、noteのかたから「メール送ってますので見てください」といったような連絡をうけて初めてメールチェックし、知った(コニシさんもやや同じパターンだったと後から知った。笑)。受賞に全く気が付かず何日か過ごしてしまっていたらしい。
ヱリさんの受賞は、私は「予言」していたのでなんだか当たり前みたいな感じだった。でもやっぱり、現実になると嬉しい。
その時は、やった!みたいな急に沸点に達した嬉しさではなく、ぷつぷつお湯が沸くような嬉しさがこみあげてきた。ヱリさんの突き抜けた才能が認められたことも嬉しいし、予想が的中したのも嬉しい。心の中で、やった、やった、やったでぇ(大阪城だけに関西弁)・・・!みたいなマーチングが始まった。
授賞式にはご招待します、とあった。
でも自腹で来てね、と書いてあった。
今思えば、そこで気がつけばよかったなあ。
このときはまだ、自分が「送り込まれた」ことに気が付いていなくて、自分の「役割」に無自覚だった。
まだ「賞をいただいたんだ」という気持ちのほうが上回っていた。
ん?え?賞、もらったんでしょう、と今、思ったあなた。
賞は賞でも色々ある。ベストレビュアー賞はなかなか独特な賞で、それについてここで一筆書かせていただきたい。そしてそれが、今回の私の「役割」だと思うから。
さて、晴れがましい場に行くことになったが当然ながら服がない。普段は地味に部屋で黙々と書いているだけの日々で、「よそ行き」というものがない。ちなみに「よそ行き」という言葉は今の若い方に通じるのだろうか。「普段着」に対して「フォーマルな場に来ていく服」と言う意味の言葉でっせ(大阪弁のなごり)。
そして何より私の最大の懸案は髪。
なにしろアレだから。
だからいちばん先にやったことはなにか。
縮毛矯正である。
この式のために生まれて初めて縮毛矯正に挑んだ。以前豆島さんに「やってみてください!きっともっと前にやっとけばよかったって思うから!さらっさらのとぅるっとぅるですよ」と勧められていたが、白髪染め優先の私はどうしても手が出なかったのだ。ちょっと我慢してセットすればいい、くるくるドライヤーは最強、的なことを思っていた。
が、やってみて世界が変わった。(←ほら見ろ。笑)
なんと同じこの日に、ミーミーさんも美容院に行っている。
同志!と思った。笑
髪の次は服である。
隣町に行き、比較的親切に接客してくれる店を選んで、言った。
「パーティーみたいなものに行くことになったが、まずはお腹を隠したい。できればカジュアル過ぎず、フォーマル過ぎない格好がいい。履いていこうと思っているスカートはこれ」
お店の人は親切に、今は気候がわかりにくいから大変ですよね、と、あれこれといろんなケースに対応できるよう、インナーとジャケットを揃えてくれた。実際、お腹はまあ隠れていたが、二重顎は無理だった。南無三(あ、ナムサン、と読みます。失敗した、とか、しょうがない、的な意味。ブラック・ジャックが良く使う)。
さて、服を買ったら次は「名刺」。
行くことが決まってから、昨年のベストレビュアー賞受賞者でもあり今回も受賞した豆島さんやはそやmさんの記事を舐めるように読んだ。
「とにかく名刺必須」と書いてある。
名刺は次の文学フリマ用に「青音色」でも作りたいねと言っていたので、作るつもりではいたのだが、豆島さんの記事を読んではっと気が付いたのは数日前。慌てて「オフセット高精細印刷が自慢。11時までのご入稿で当日発送にも対応。豊富な用紙と加工でこだわりの名刺を作成できます」のグラフィックさんで名刺を発注。名刺は、早く欲しい人がいるから、対応が早いんだなと思いつつ、受賞式2日前にして、やっと手元に。
あとは――
あとは別にすることはない。当日行くだけ。ただ、おふたりの記事を読むと、何か出版社の人に「売り込み」をしなければいけないようなことが書いてあり、それに臆した。名刺もそのためのもの。
苦手。すごい、苦手。そういうの。
3年前から自分で作った限界や壁を打ち破ろうとしてきたし、少しずつ、出来ることが増えてきているのだから、頑張ろう、と心を奮い立たせるも、怖いので豆島さんに「直接行きますか?」とおずおずメール。「ちょっと前に集まることにしています」とおっしゃったので、それに入れてもらう。
やっぱ怖いから。笑
その日は吉穂堂に搬入があったので、搬入作業に行った。「神田古本まつり」の前日だったため、こちらも搬入まつり。混んでいた。
売れ筋のウミネコ文庫を搬入!
遅れてみなさんの集まっている場所に向かう際、豆島さんから送られれてきたのは写真。「ここです」と書いてある。お店の名前がなく、椎名ピザさんとコッシーさんが映っている。
こ、これは・・・ミステリなのか??何かの謎解き?
困惑しつつも、でも駅についてみたら納得。駅から見える、間違いようがない場所だった。
はそやmさんとミーミーさんとも会い、念願のダフやんとも会って、最初から面白い展開に胸の鼓動は高まるばかり。
さて、いよいよ会場入り。
青豆さんに会ってキャー!、コニシさんに会って「押忍、大将」と挨拶。
ちなみに今回もリアル「なんのはなしですか」は聴けていないことを報告しておく。
それからはnoteのかたが親切に案内してくださって・・・と、まあ、授賞式のときのことはみなさんのレポートのほうが詳しいし、noteさんからも記事が挙がってくると思うので、ここは割愛。その後のことをジョジョのポルナレフ並みに「起こったことをありのまま」レポートしようと思う。
※ちょうど、noteさんから記事があがってました
ただ、授賞式では席が最前列で、作家の「せやま南天」さんの前の席だったことと(緊張!)、受賞者の(特にヱリさんの)スピーチを至近距離で観ることができたことは、一生の宝物。これだけは、書いておきたい。名前が「よしほ」でよかった。名前が昇順で並んでいたので、たまたま私の席が最前列の、ステージのバミリが見えるほど至近な場所だったのだ。写真を撮る時のカメラマンさんのプロフェッショナルで絶妙な合いの手が耳の後ろで聴こえた。芸人さん以外で人を笑顔にする天才だと思った。
授賞式が終わって隣の部屋のパーティー会場へ。キラキラのシャンパングラスが並んでいる――というわけではなくて、ビール缶やペットボトル、軽食がずらりと並んでいる。気さくな感じで緊張がほどけてくる。三々五々、ゆるりと全員集合。あとは皆さんでご歓談を、ということになった。
――と、言われましても、である。
昨年の教訓を活かし、今年こそは行くぞーと言っていた豆島さんとはそやmさんは、果敢に色々な方に話しかけている。noteのかたも何人かご存じの方がいらっしゃって、出版社や編集のかた、受賞者のかたにもできるだけ話しかけようとされていた。コニシさんと野やぎさんは慣れた感じでそれぞれにするするとスマートに動き回り、ミーミーさんも如才なく傍らのかたに話しかけていらっしゃるのが視界の片隅に見えた。
私は何をどうしていいかわからないまま、とりあえず最初は豆島さんやコッシーさんに着いていって名刺を交換してもらった。おそらく吉穂のことは記憶の隅にも残らないだろう。豆島さんの隣に・・・だれかいたっけ、くらいの感じ。やはり昨年のご経験があるというのは一日の長である。さすがのスマートな振舞いに、見惚れるばかり。
そのうち、豆島さんとはぐれてしまい、神崎さやかさんと、青豆さんと一緒にいた。神崎さんは、凛とした雰囲気のある、それでいてい気さくな、とても素敵な方だった。青豆さんはブルーのワンピースがとても似合っていて、なんだろう、えもいわれぬ創作者の華と貫禄がある。青音色のスカウトをするのは今しかないという気配を漂わせていた(ちなみに青豆さんとはこれまでニアミスはあったが初対面)。
我々は今回、式は初めて、の組だ。アルロンさんとも出会い、初めましての名刺を交換させていただいた。アルロンさんやミーミーさんは関東以外から飛行機などでいらしている。大変だったと思う。授賞式があって遠方から来てくださったおかげで、こうして会えて良かった、と思ったし、お知り合いになれてよかった、と思った。そしてアルロンさんは、名刺を見てすぐにnoteをフォローしてくれた。とても嬉しかった。
正直、私たちのほうからは誰が誰だかわからないよね、どうしたらいいんだろう、と言っていると、野やぎさんが私たちが困っているのを見て「出版社のかたにつなぎますよ」と言って、話しかけてくれたり、紹介してくれたりもした。さすが100本の応募作を読んだかたである。営業さんのように如才がなく、よく気が付いて優しいかただった。実はしばらく野やぎさんのマガジンを購入していたことがあるのだが、それは黙っていた(やんごとなき事情があって購入を辞めてしまった後だったから)。
おかげで出版社のかたから色々なお話を聞くことができた。話しかけることは苦手なのだが、お話してくれるとわかったら、お聞きしたいことはたくさんある。質問に親切にてきぱきと答えて下さって、とても勉強になった。
途中、神崎さんたちともはぐれて、コニシさんとゆっくり話をする機会があった(帰りも一緒に帰ったんだけどさ)。
コニシさんは「noteの会社の中でも、かなり『なんのはなしですか』が知られている。noteのAさんも積極的に広めてくれているらしい」と言っていて、ひと安心だった。
路地裏の皆は、このことを、なにより聞きたいだろうと思う。
わたしもそれが、なにより気がかりだった。
コニシさんが「ベストレビュアー」ということに「あれぇ?」と思っていた路地裏民は数多かったはずだ。
あれだけ、noteの一大ムーブメントを形成し、noteの「書く」ということへの恐怖心を取り払い、「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする。」に貢献したコニシさんだもの。
でもコニシさんは、ちゃんと、認められていた。
私はそれがとにかく嬉しかった。創作仲間として、恩人への尊敬を越えて、もはや子、孫の誉、の気持ちである。
出版社や編集さんの誰もを虜にしたヱリさんが、取り囲む人々からいったん逃れたときにコニシさんと会い、私のところに行ってみようと言ってくれたことも嬉しかった。ヱリさんは本当に輝いていて、こちらもまた、友人として、noteの創作仲間として、を越えて、姪や娘、孫の誉を見るような思いで胸がいっぱいになってしまった。なんとこのとき、コニシさんとヱリさん初対面だったそうで、私はそれもまた嬉しかったのだった。
初めて組の中では神崎さんが積極的に声をかけてくださったので、他にもいろいろな方の名刺をいただいたり、社長の加藤さんともお話することができた。
私は実は、このときがこの会の中で最も印象深かった。
なぜか。
加藤さんは私のようなものの名刺も、ちゃんと「神崎さん」「青豆さん」「吉穂さん」と名前を読み上げるようにして受け取ってくださった。小さなことに思えるが、肩書のない生活をしていると、こうしてくださる人に出会うことは少ないのだ。感激する。「ここにいていいのだろうか」「場違いなところにいる」と思っていた私にとっては、とても温かみのあることに感じられた。
また、私が「noteでたくさん友達が出来ました。ありがとうございます」と言うと、「それこそが私がnoteでしたかったことです。そう言ってくださって嬉しい」と言ってくれた。
その時、確信した。noteは、確かにこうした創作を後押しする、というイベントを企画しているけれども、そのために東奔西走してこうして各賞のみなさんやレビュアー賞にも心を砕いてくださっているけれども、何よりも「出会う」場であり、志を同じくしたり、創作という同じ趣味や目的を共にする人と出会う場なんだ、ということを。
出会いは人生の宝である。
実際、私はnoteで多くのかたがたと知り合った。ベストレビュアー賞のかたがた、ヱリさんとも、創作を通して知り合うことができた。賞よりも賞金よりも、もうそれだけで素晴らしい宝をいただいている。
そして、その時はっきり気づいた。
授賞式に招待された、ということは、自分が書いたレビューがどう、といった話ではなく、「この授賞式を見聞してレビューせよ」と言う指令だったのだと。「受賞」というより「任命」だったのだ。
すごい賞をいただいてしまったものだ。
それならそれと、先に言ってくれれば!と思ったが、ベストレビュアー賞を受賞した面々は、言われなくても必ず、レビューするのである。それも、確実に素晴らしいレビューを。それを、ちゃんと見込まれている。
ベストレビュアー賞とは、そういう賞だった。
そして、この「レビュー込み」「出会いこみ」の素晴らしい賞をいただけたことを、改めて深く感謝している。
このたびは、ありがとうございました。
※※※
最後になりましたが、各賞の大賞受賞者の皆さま、また、入選されましたみなさま、授賞、本当におめでとうございます。
一介のnoterの目線でのリアルレポートに徹したため、皆様の授賞式でのお姿を細かくレポートすることは叶いませんでしたが、これからのご活躍を心からお祈りしております。
また、note株式会社はじめ、運営の皆さまには、大変お世話になりました。素晴らしい授賞式に立ち会えましたこと、沢山の方々に出会えましたことを、なにより嬉しく思っております。編集者のみなさま、出版社のみなさまも、名刺の交換をしてくださったり、気さくにお話をしてくださって、不躾な質問にも答えてくださり、心から感謝しております。
良い経験をさせていただきました。
皆さま、ありがとうございました。