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Answer「p3」

「p2」前話


2016年10月1日

 昨夜遅かったにもかかわらず、何とか1回目の目覚ましのアラームで起きることができた。
 昔から朝は弱くて、できるだけ早めにアラームを設定するのだけれど、結局は予定しているギリギリの時間に家を出る羽目になる。
 バッグを引き寄せて前後左右の隙間が微妙に空いている電車に乗り、人の間から座席の手すりに手を伸ばす。
 こういうとき、間に合うんだからいいじゃない、とギリギリまで寝ているのが美咲で、予定の30分前には家を出る準備万端、というのが萌だよね、とふと思った。
 そんなことを思い出したのは、昨夜あれから、美咲と萌の夢を見たからだ。大学時代、サークルで友だちになった美咲と萌とは、大学を卒業してからも連絡しあって会う間柄だ。最近、忙しくて萌にはあまり連絡をとれていないけれど、美咲からはしょっちゅうLINEが来る。新しい彼氏ができたことを自慢したいらしく、ほとんどが惚気だ。
 実を言うと、タクミとも同じサークルで知り合った。大学の枠を越えた合同テニスサークルで、美咲にどうしても、と誘われて、ひとりでは嫌だったので萌を誘って飲み会に行ったのがきっかけだ。なんとなく入ることになって、なんとなく練習に行って、なんとなく遊びに行って。そんなことをしているうちに、後から入ってきたタクミに会った。
 あのころは楽しかったな、と思わず回顧的に振り返る。タクミはイケボで、雰囲気だけはイケメンで、当然だけどモテていた。ハンター気質の美咲はさっそく目をつけていたけれど、タクミは見た目と違ってオタクだったので、全く話が合わなかったらしい。そんな話を聞いた直後に、飲み会でタクミの隣になり、『鋼の錬金術師ハガレン』の話で盛り上がった。お互い、なんでテニスサークルなんかにいるんだろうねと笑った。
 今朝、ソファで洗濯物を枕にしながら口を開けて寝ていたタクミを思い出して、ため息が出た。確かに今でも好き、だけど――タクミのことを考えると、最近はいつも「だけど」がつく。
 会社のある駅で降りてからは、仕事モードだ。あっという間に時間が経ち、ほっとひと息つけたのは昼休みだった。
 会社のビルの下に入っているお弁当屋さんでお弁当とお茶を買い、休憩室でもそもそと食べる。なんとなく鮭弁にしてしまったけれど、隣のタイ料理やのカオマンガイでもよかったなと思っていた。
 食べ終わって、午後の予定をチェックしようと手帳を出したとき、思わず「あ」と声が出てしまった。
 昨日の夜のことを思い出したのだ。
 まるでそこで人が書きこんでいるかのようになめらかに字が浮かび上がった――まさか。あり得ない。あれは夢だ。
 深呼吸をひとつして、10月1日のページを探す。
「うそ……」
 予約を囲んだハートマークの横に、予約不要の文字。それを二重線で消した横に、あの、浮かび上がった文字があり、はるかは昨夜、その文章を二重線で消している。

ハロウィンは行かない方がいいからね
34才のはるかより


「マジか。夢じゃなかった」 
 休憩室のテーブルの周囲には、たまたま誰もいない。それをいいことに、声に出してつぶやいていた。
 夢、という線は大いにありうる。
 なぜならば、自分が書いた覚えのない字なのだが、どう見ても自分の字に見えるからだ。「ハロウィン」「行かない方が」「34才」の、「ロ」や「行」や「34」には、はるか独特の癖があって、見間違えるわけがない。
 寝ぼけて書いたのだろうか。書いたことを覚えていないなんて、それこそ何かの病気だろうか。
 だいたい「34才のはるか」とはどういうことだろう。昨夜の時点でこの文字を見ていない。現在27歳の自分が、わざわざ忠告のためにかどうか知らないが、34という半端な年齢を書きこむ理由が全く分からなかった。思い付きだとしても不自然に感じた。
 じゃあ、夢じゃないのか。
 夢じゃないとして、だ。
 はるかは、思い立ってボールペンを取り出すと、「34歳のはるか」にも二重線を引いた下にこう、書きこんだ。

 34才ってwww
 7年後の自分かよ
 神ってる

 書きながら、まさかね、と思い続けた。ふざけて書いたつもりだった。まさか昨日と同じように、まるで相手がそこにいるかのように反応があるなんて、考えもせずに。
 すると目の前で、滑らかなボールペンの文字が走り始めた。
 はるかは、あまりのことに凝視したまま瞬きすることもできない。

はあ?神ってるとか古すぎ

 はるかは、ごくりと喉を鳴らした。今は家じゃない、会社だ。昼。昼休みだ。怪奇現象のお時間じゃない。
 少しすると、また、例の字が現れた。
 今度は少し焦っているような字だ。

ちょっと待って。検索したら、神ってるマジで2016年流行ってた
マジ?これ、マジ?今、2023年だよ?
あなたは誰?っていうか、わたし?はるか?

 しばらく、じっと手帳の方眼のページをみつめていた。長い文章だったので、このまま文字が続くかもしれないし、ここで終わりなのかどうか判断がつきかねたのもある。でもなにより、何と返事をすればいいかわからなかった。返事——まさにこれは、トランシーバーの応答のようなものだった。自分は今、誰かと手帳で繋がっている、誰かと。
 ―—誰かって――誰だろう。
 わたし?自分?未来の?2023年?何言ってんの?
 そう思うが、それよりなにより、目の前に「自分の字とそっくりな字」が魔法のように現れることの方が、よっぽど奇怪極まりない。
 自分で書いているのだろうか?そういう病気、あったっけ?
 ストレス?

 しばらく待ったが、もう続かないようだったので、はるかはついに、少し震える手で、手帳に「返事」を書いた。

 わたしは、2016年の吉平はるか
 2016年の手帳に、リアルタイムで字が浮かび上がってる

 また、しばらくの間があった。数秒なのか、数分なのかわからない。昼休みが終わる前にこの状態をなんとかしなければならない気持ちになっていた。こんなおかしな状態のまま、疑問だらけのまま、午後の仕事に向かえそうにない。

ねえ。書き終わったら、最後に「どうぞ」をつけて
トランシーバーみたいに
終わったかどうかわからないから

 どうやら相手もこの状況を受け止めることにしたらしい。なにかそのとき妙に素直に相手を「自分だな」と思った。この受け入れの早さは、「はるか」らしい感じがした。

今、2023年
こぎん刺しの2016年の手帳を開いてる
そこに書きこんだら、書いた字に二重線が引かれてた
でも「わたし」なんでしょ?「わたし」ならわかる
この状況・・・
わたしも「吉平はるか」。2023年の。どうぞ

 はるかは、茫然と手帳を見つめたが、かろうじて、昼休みであることを思い出した。

 なにがなんだかわからないけど
 どうぞってめんどくさいから、pでいい?p

何?pって。どうぞ

 pleaseのpでしょ。p

2016年のわたしって、結構アホだっけ?
トランシーバーの応答って、overでしょ。oだよ。どうぞ

そうなの?
2023年のわたしがちょっと賢くなってて嬉しい気がする。o
「終わり」の意味で「end」でもいいけど。e

自分に褒められてもな
なんか「o」とか「e」だと「。」と区別がつかないから、pでいいや。p

 馬鹿にしつつも、なんだかんだ言って最後に「p」をつけてきた。思わずくすっと笑ってしまう。

 もう昼休み終わるから、悪いけど話は終わり
 なんかよくわかんないけど、面白い
 未来のわたし?未来のこと教えて
 今どこにいるの?今なにしてるの? p

とにかくハロウィンはやめて p

 2023年のはるかは、妙にハロウィンに固執していた。
 この状況を、どうせなら面白がって楽しめばいいのに、と思う。
 聞きたいことや知りたいことはいろいろある。今でもタクミと一緒なのか、とか、もしかして結婚してるの、とか。聞きたいような、聞きたくないような複雑な気持ちだけれど、わくわくする。
 そんな気持ちに、冷水を浴びせるように、2023年のはるかはハロウィンのことばかりだ。

なんで?もう予約しちゃったし。
今さらキャンセルしないよ
なんかあるの?命にかかわること?
事故に遭うとか? p

そう言うのじゃな

 2023年のはるかからのメッセージは、そこで突然終わった。
 そういうのじゃな?
 そういうのじゃなあ、というおじいさん的な?
 「p」がついていないから「そういうのじゃない」と言う言葉の途中で切れた?

どうした?なんか、字が出てこないよ?p

 そう、書いてみたが、それ以上はうんとすんとも、字は浮かび出てこなかった。

 はるかは時計を見た。13時少し過ぎ。別に数字がそろっているわけでもない。SFやファンタジーなんかでは、こういう不思議なことには時間の制約や回数の制約があったような気がする。『時をかける少女』のアニメ映画をぼんやりと思い出した。どうせなら、あんなふうに「タイムリミット」的なものを知らせる何かがあればいいのに。ああでも、『時をかける少女』の原作では、タイムリープの鍵は「ラベンダーの香り」だった。
 はるかは、少し鼻をくんくんとしてそのあたりを嗅いでみた。
 鮭弁の匂いしかしない。
 ラベンダーの香りと鮭弁の匂いでは、ロマンティック度合いに雲泥の差がある。
 それから昼の終わりの時間の13時30分まで手帳を広げていたが、何も起こらなかった。はるかは諦めて、手帳を閉じる。
 午後の仕事に戻ったが、正直手帳が気になって仕方がなかった。いつ、返事が来ているかもしれない、と思ったけれど、その後はしばらく、手帳で未来の自分と繋がることはできなかった。

 ――また再びあんな面白い体験、できるだろうか?
 その時のはるかは、まだ、どこかで本当のことだと信じていなかった。これまでしたことのないオカルト体験を、誰かに話したくてうずうずしているような状態だった。
 手帳を見せれば一目瞭然——のはずなのだが、問題はどれも全部自分の字に見えるから「はるかが書いただけでしょ」と言われればそうとしか思えないことだ。証拠としてのパワーに欠ける。
 それで、日々の忙しさもあって誰に話すこともなく、時は過ぎ、ついに「その日」が来たのだった。

 その日——つまりは、ハロウィンの日が。

――続く












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