へいわとは……とはいへ
平和とは
へいわとは
大聲で笑へること
とるに足らないものが
流行ること
世界中のあらゆる
音樂が聴けること
愛や希望を歌へること
伸びやかに踊れること
他愛のないことに
惱めること
数多、萬から
撰べること
雨が降つても
獣がゐても
安全な處で
ぐつすり眠れること
何時でも
食べ物が有ること
おいしいね
といったら
おいしいね
と言ふ人がゐること
好きな時に
どこへでも行けること
誰とでも
會ふことができること
言つてはいけない
ことがないこと
いじめは
許されざる罪と
暴力を
暴力で終わらせるのは
間違ひと
誰もが知ってゐること
甘いと蔑まれても
理想主義と罵られても
本来 反戰を訴へるのは
過去に他國を侵略し原爆を落とされた
この國の使命なんだらう
でも 實際は
どうやらそんなふうに
ぐわんばれないやうだ
くるくると卷かれて
卷き取られてゆく
地球が悲鳴をあげてゐる
その間にも
嗚呼どんなに焦がれ
手に入れたことだらう
どれだけの努力を
したことだらう
今となつては
その価値も知らず
普段私たちは
無念に死んでいつた誰かを
忘却の彼方に押しやり
思ひ出さない
二度と繰り返さないと
誓つたことも
過ぎ去りし日の
出来事のやうに思つて
とはいへ
さういふこと
なんだろうか
へいわとは
ほんたうの
へいわとは
ぐるぐると
廻り廻り
問ひ続ける
平和とは
とはいへ――
※「とは言え」――とは言うものの。
「ぐはっ」と叫びました。お題を見た瞬間。
ちょうど、以前この記事を書いてから1年で、戦争と平和について何か書こうか書くまいか、逡巡していたときでした。
常に中庸を心がけているつもりですが、実際に書き始めると、変な偏りを感じさせたり思想的だったり、綺麗ごと過ぎたり――とても難しい。
平和とは――。
NHKのウクライナ人プロデューサー、ノヴィツカ・カテリーナさんの番組を観てからずっと心の中にわだかまることがありました。
ウクライナ人の「平和」は日本人の言う「平和」と違う。とても違和感を感じる、と彼女は言いました。
戦争に「勝利」することでしか、ウクライナの平和はない、と。
日本人として、どう考えればいいのか。
戦争は、ダメ、絶対。
日本人にとっては、それが平和だと体と心に沁みついています。
彼らの「平和」が「勝利」なら、日本人の「平和」は「反戦・不戦」が根底にあるのだろうな――
こんなこと、あってはならない。
早く終わって欲しい。
愛する人を守りたい。
そう願い祈る気持ちは同じなのに、すれ違う心。
あれから考え続けています。
正統派ゆえに難しい「平和とは」。
斜め上からとか、横から下から、色々考えましたが、結局詩と言う形になりました。
うまく書けてはいないけれど、躊躇い続ける今の気持ちです。