創作大賞感想【花畑お悩み相談所/穂音】
穂音さんとは、文フリのときに初めてお会いした。
慌ただしい中でご挨拶し、ほとんどお話もできずにさよならの時間が来てしまった。
あれっ、何だろう、この感じ。
いないと寂しい・・・さっき初めてあったばかりの方なのに。
そんな余韻を残す存在感を持つ、穂音さんは、多才な方だ。
音楽を作り、お話を作る。
(下はウミネコ制作委員会さんのPVの音楽)
正直、穂音さんの物語のすべてを追い切れてはいない。『長夜の長兵衛』のお話を少しずつと、前々回の文フリのときにRyeさんにお願いして手に入れた『Moon River』。直近でそのくらい。
だから私には、穂音さんの物語を、語る資格などない。
そうなのだけど、やっぱりこんなお話を読んだら、感想を書きたくなる。
物語は、心臓をぎゅっとつかまれるような、不穏な滑り出しだ。
主人公・律子の孫、悠人くんは、なんと不慮の事故で意識がない状態。ところが、その悠人くんから律子宛てにメールが届き始める。
そのメールも、「おばあちゃんへ」と言うような手紙形式ではなく、どういうわけか「物語」が書いてあるメールなのだ。
メールは、「赤ずきん」、「7匹の子やぎ」、「3匹の子ぶた」、「フランダースの犬」、「オオカミと少年」、古事記の「天岩戸」などの童話や児童文学、神話がモチーフなのだが、細部や結末が違い、創作童話になっている。
律子は悠人くんがメールを送信するわけがないと思いながら、その不思議なメールの物語に、何か大切なメッセージがあるに違いないと思う。なんとかそれを解明したいと思っているのだが、そこに「悩みを食べる」セールスマンをしているというバクが現れる。
バクは夢を食べる動物と言われている。『陰陽師』の作者夢枕獏さんは、それをペンネームにしている。
バクは「花畑お悩み相談所の麦原麦」と名乗る。人の心のスキマを埋めるという強引な『笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造と違い、耳がぴこん、と動くバク。なんともファンシーな登場だが、律子の「動物としてのバクの知識」は豊富で、ディテールは細かく本物感が強い。
律子は最初こそ懐疑的だが、次第にバクにうちとけ、悩みを食べてもらうことになる。
悩み別に松竹梅のコースがある。会社の花形部門である「夢部門」に昇進できないマレーバクとアメリカバクの「夢部隊」チームのコンビがいい。麦原はマレーバクで、消化しきれない悩みを食べるとお腹を壊すらしい。商売なんだからしっかり、とアメリカバクの麦谷タピーに励まされながら、どこまでもマイペースな麦原に好感が持てる。
お話は、主人公の元教師「律子」と律子の息子の「孝介」、孝介の亡くなった前の妻「奈津」、奈津との間に生まれた「悠人」と「花梨」、奈津の父親の「元治」、孝介の後妻で悠人らの義母「由恵」と、「花畑お悩み相談所」の麦とタピーの二頭のバク(と、仏壇から見守る律子の夫「孝治」)によって、「悠人からのメールに書かれた物語」を中心に展開していく。
バクは、でてくる。確かに出てくる。
それがなにか?と思う。自然だ。
そしてバクは、いないとこの物語じたいが成立しない重要なキーなのだ。
ファンタジー。確かにそうだ。
息子の孝介が小学生のころに夫を亡くし、それからシングルで子供を育ててきた律子は、現在はリタイアしてひとり生活をしていると思われるが、離れていても家族のことを思い、なによりも家族を大切に思っている。
何かと自分で責任を負い、自力で解決しよう、と抱え込むところがあるけれど、だからこそ、物語の謎も解けていく。
ミステリー。確かにそうだ。
でもなによりも、家族の物語だ。
家族の物語は、家族の中の誰かひとりによって語られると、どうしてもそのひとりの視線に偏りがちになることが多い。
しかし、この物語は普通の「家族物」とは少し違う。ある意味「不在」の家族、意識を失っている男の子を中心にした謎解きで語られるという、特異な物語なのである。
花がさく野原に吹く風のような、光に満ちたラストに、あなたはきっと祈りに似た気持ちを抱くと思う。
そんな気持ちを味合わせてくれる小説は、なかなかない。
さあ。
「花畑お悩み相談所」の世界へ、あなたも行ってみよう!
恒例となったが、今からがっつりとネタバレに励む所存だ。
これから読むのだから邪魔しないで、という方はここまでで。
初めてこのお話を読んだときは、うーん、と腕を組んで考え込んでしまった。さらりと読めてしまうが、これは相当に壮絶で深い物語だ。私は、誤読せずにしっかりと読めているだろうか。
心を救う、物語。
チャレンジしてみるが、自信がない―――心配だが、書いてみようと思う。
このお話は家族の物語であると同時に「おばあちゃんの物語」でもあるのだが、主人公律子にはある種の「現役感」がある。ひとり暮らし、ということもあるし、これまでなんでも自分で解決をしてきた自負やがにじみ出ているのかもしれない。
だからこそ、律子の悩みは深い。
独立した息子の家族のこと、口出しはできない、と思いながらも、自分にできることがあれば何とかしたい、自分にしかできないのかも、と思う。
実際、家族の中でそうしたひとがひとりでもいないと、いつまでも家族全員、前に進むことができないだろう。
律子は元教師と言う職業柄なのか、悠人の送ってきた荒唐無稽とも取れる「赤ずきん」の変形物語に、一読して「意味がある」と思い、それを「夢分析」に近い形で読み解こうとしている。そしてバクの登場を受け入れ、「この世界の外側から来た」彼らの話を受け入れる柔軟さを持っている。
「夢分析」と言えば、私にとってはこの方しかいない。河合隼雄先生だ。先日、穂音さんと、互いに河合隼雄先生を尊敬していることが判明して小躍りした(たぶん、穂音さんも小躍りしていた。笑)。仲間を見つけ(笑)、ものすごく嬉しかった。
今回のお話を読んでいて、思い出したのは河合先生の『明恵 夢を生きる』だった。かなり以前に読んだのでなかみはだいぶ忘れていて、今回、改めて読み返してから、感想文に取り組むことにした。
実は二頭のバクは、悠人が実母・奈津からもらったぬいぐるみなのである。
そのバクのぬいぐるみたちは、悠人と花梨にとっては新しいお母さんである由恵が来てから、律子の家の仏壇に箱に入れてしまわれ、隠されていたものだった。が、ぬいぐるみは実体化して律子たちの前に現れる。
律子の息子の孝介だけは、どうしてもその存在を受け入れがたいが、少なくとも二頭のことは見えてはいるし、話も聞こえている。
謎に満ちた悠人のメールは、バクのうちの一頭であるアメリカバクの麦谷タピー(彼女は夢部隊なので夢を食べることができる)が「新しいお母さん」である由恵の依頼を受け、意識のない悠人くんが見ている夢を食べ、それを書き起こして家族全員に送っていたものだった。
それは、悠人と由恵のSOSだった。
悠人の実母ではない由恵は、こうすることでしか悠人の危機を家族に、とくに父親の孝介に、知らしめる方法がなかったのだ。
そのSOSをしっかりキャッチしたのが、おばあちゃん、おじいちゃん世代の、律子と、奈津の父親・完治だったというのは示唆に富んでいる。
「当事者」たちは、気が付くことができないし、たとえ気が付いても、それを客観的に考えることができない。感情に支配され、物事を冷静に整理することができないのである。
これは、なにも孝介に限ったことではない。みんながひとりひとり、気を使ったり忖度をすればするほど、こうあらねば、と頑張ってしまえばしまうほど、ズレていってしまうものなのだ。
悠人は昔から色にこだわりがあり、特に暖色系の色を好んでいるにも関わらず「男の子だから」と寒色系の色を強いられたり、作り話や空想が好きなことを良く思われないなど、アウトドア系の親にインドア系の自分を完全否定されて生きて来た。実の両親に、本質を理解してもらえなかったのである。たまりにたまったフラストレーションがそう言わせてしまったのだ。必ずしも悠人が「悪い子」で「わがまま」とは言い切れない。
そういう積み重ねを、穂音さんは少しずつ丹念に描いている。
それでもこの事件によって、悠人は自分を許せなくなってしまう。
新しいお母さんの由恵とは気が合うが、彼女と仲良くなるのも、奈津に悪いと思う。そして逆に由恵にも、奈津への執着を感じさせる二頭のバクは見せるわけにはいかない。それで、仏壇に隠してしまったのだ。
悠人は実母が亡くなって以来、激しい後悔と罪悪感、自分への攻撃的なほどの自責の念を押し殺して、周囲の大人たちに対して、忖度し、隠蔽し、取り繕って生きていたのだ。
ところが斜面で足を滑らせて滑落するという事故に際し、一番近くにいた「ママ」である由恵の前で、思わず「お母さん!」と叫んでしまう。彼ら兄妹は、由恵のことは「ママ」、奈津のことは「お母さん」と呼んでいたのだが、自分が命の危険にさらされた時に発したのは「お母さん!」だったのだ。
このことは、おそらく悠人の自罰に輪をかけた。
悠人は確かに事故で意識を失ったのだが、それはきっかけで、実は悠人は、自分の意志で目覚めたくないのだ、ともとれる。実際由恵はそう思っている。象徴的な意味において子供の自殺、とも取れる話でもあり、錘に触れて100年の眠りについた「眠り姫」の物語でもある。
「眠り姫」は王子様のキスによってしか目覚めない。誰かが助けに来てくれるまで、眠りから覚めることはない。
悠人の切実な胸のうちは、様々な物語の形をとり、悪夢となって現れる。童話は残酷なものが多いが、その残酷性は、悠人自身の心の中の壮絶さを物語っている。
そのシンボリックな内容を細かく分析するには、この記事ではとても足りない。赤にこだわった自分への攻撃、新しい母に甘えてしまうことの罪深さ、無意識に実母を求めてしまう心への罰などは、犯罪者のような紅子の存在と、白い粉やけしの花に代表される麻薬的耽溺への抵抗として現れる。そして執拗な刑事のように登場人物を追い詰めようとする狼は、律子は孝介、と考えていたが、実は誰でもない、悠人自身なのではないかと、私は思う。
そしてこの物語を知り、家族と共に受け入れることで、孝介も救われているのだと思う。なぜなら孝介もまた、子供のころの傷ついた心を抱えている律子の「こども」だから。
また、このできごとすべてを仏壇から眺めている視線も、時折感じる。たまにろうそくの火をふっと動かす律子の夫で孝介の父、孝治は、映画『インターステラー』のように「向こうの世界」で家族に向かって「気づけよ」と念じているような気がする。ひょっとしたら、バクを送り込んできたのは、孝治なのかもしれない、という想像もしてしまった。
最後のお話は「てんとう虫星人」である悠人が、自分を守るもの全てが崩壊したと感じ、自分の内側にこもりながらも、外に出るきっかけを伺っているお話になっている。
現実的には、誰も悪くない。
みんなそれぞれに家族を思い、自分なりの努力を精一杯するがゆえに、追い詰め、追い詰められる。
ちょうど現在の朝ドラ『虎に翼』の主人公、寅子が、そんな感じの「ズレ」を経験している。家族のために、この世の女性のために必死に働くことが自分の使命と心得て仕事に邁進する寅子は、知らず知らずのうちに家族に犠牲と忖度を強いてしまっていた。世間的にも態度が傲慢と受け取られ、周りから人が離れていった。それらをすべて兄嫁の花江に指摘され、寅子は衝撃を受ける。
すべては無意識だったからだ。
麦原麦と麦谷タピーは、寅子のもとにも出張するべきだったかもしれない。
無意識の深さと恐ろしさ。
そして「夢を生きる」ことで人の心が救われること。
穂音さんは、この物語でそれを描き切っていると思う。
「バクに食べられた悠人の夢」である「お話」の、なんと素晴らしいことか。
ラストシーンは、律子の庭で、なでしこの先にいたてんとう虫が、律子の指から飛び立っていくシーンだ。
悠人の目覚めは近い、という予感が、余韻となって残る。
「花畑お悩み相談所」は、依頼された仕事に対してはきっちりお金を取る。そこは夢物語ではないのである。タピーが受けた由恵の依頼は、100万円コースである。由恵は実際にお金をおろし、それをタピーに支払っている。悠人の悪夢を食べて欲しいという律子の依頼を含めた家族全員の依頼は、300万である。
このことは「現実」と「夢」を繋ぐ大切なことで、夢が現実に作用し、現実が夢に作用することをリアルに体現している、と思う。「夢を生きている」。
私の愛読書の『ブラックジャック』には、「おまえさんは(大切な人の手術に)いくら払うんだ」という「命の対価」を問うセリフが多く出てくる。ブラックジャックは、大切な人が助かるためなら、自分の財産や命をなげうっても構わないという「心の真実」を求める。
大切な人の心を救うのに、現実には存在しないかもしれないバクに100万でも300万でも払う。
夢だろう、何を言っている、現実じゃないだろう、ばかばかしい。
そんなことを言っているうちは人の心は救えない。家族の、とくに子供のいのち、心を救うには、大人には想像もつかない荒唐無稽な夢やファンタジーの内側に入るしかないのだ。
この物語は、私たちにそう訴えかけているように思う。