プレコグ #シロクマ文芸部
読む時間だ、という声とともに、耳障りな音を立てて格子のはまったドアが開く音がした。外界と隔絶され、拘束服を着た僕にとっては、ドアの向こうからやってくるものは空気すら新鮮だった。思わず勢いよく鼻から息を吸いこむ。口輪の嫌な匂いまで一緒に吸い込んでしまったが、それでも鮮度の高い空気は良かった。
係員に両脇を抱えられ、いつもの部屋に歩かされるが、目隠しをされているのでどこなのかわからない。おそらくは地下室。
部屋に入って座らされ、厳重に扉が閉まった後で目隠しが外されると、部屋の灯りが目を射た。窓のない部屋。椅子以外に何もない。
部屋の電灯はLEDではない、蛍光灯だ。時々、ぶぅん、パチッと音がして、ちかちか点滅する。確かに2001年にはまだLEDが普及していなかったな、とぼんやり思う。
目隠しの次に口輪も外され、楽になる。楽にはなるが、拘束服だから涎も拭けない。いつも涎で汚れていて、本当に不愉快だ。ハンニバル・レクターより厳重すぎる拘束だが、僕に対する彼らの反応としては妥当、と言えるだろう。
捕まる時に僕は銃でハチの巣になっても死ななかったし、逆に向かってきた気の毒な軍人たちをフンコロガシが牛の糞を丸めるように吸着してしまった。彼らは恐怖した。あそこで早々に退避すればよかったのだが、人間玉に力を使い過ぎて僕のパワーがダウンしてしまったために、こんなことになってしまった。早くこの状況を打破したいものだが、残念ながら今日この日までパワーが十分ではなかったのだ。致し方あるまい。
さあ読む時間だ、と部屋の中に声が響く。お前の頭の中の書物を読め、と命令口調だ。だいたい他人に物を頼むのに命令するなんて間違っている。
その声の主のことは知っている。僕が人間玉を拵えてヘマをして捕まった時に最高司令官だと名乗った男だ。国防総省がなんたらと言っていたな。
事情聴取の時に「僕の頭の中には地球について書かれた書物があり、その書物を読むことで正確な予言ができる」と言ったら、じゃあ次に起こることを言ってみろというから、三日後二つのビルが飛行物によって崩れ去ると教えたのだが、彼らが本気にしなかったせいでやはり悲劇は起こってしまった。
人間は変な生き物だ。本当のことほど信じない。しかしそれが事実だと分かったとたん、彼らは僕に利用価値ありとみたのだろう、弱った僕を拘束し、独房に閉じ込め、決まった時間にこの部屋に呼びだして、予言をさせることにしたらしい。
僕はあの後も丁寧かつ親切にその後起こることを雰囲気のある詩のようにして教えてやった。ノストラダムスへのリスペクトを込めて。
先に知ったところでどうせ彼らに災厄を防ぐ手立てはない。プロメテウスから火をもらっておいてプロメテウスの忠告を聞かないやつらの子孫だ。
僕の予言は、年代をランダムにしたので当たるものもあれば当たらないものもあった。当たらない、というが、単に彼らの物差しで近日中に起こらないというだけで、遠い未来のことはまだ起こっていないだけのことだ。僕の忠告でいくつかの小さなことを防ぐこともできて、彼らは至極満足そうだった。彼らは僕を「プレコグ」と呼び、便利に使役しようと決めたようだ。
愚かな。本物のプレコグニションに対する態度ではない。これならシャーマンを崇めたアニミズムの古代の人々の方がよほどその力の真価を知っていたというべきだろう。フィリップ・K・ディックも『マイノリティ・リポート』も好きだったから甘んじたけれど、機嫌が悪かったらただじゃおかないところだ。
次は古代に行こう、と思い、僕はそろそろ帰ろうと決めた。こんな時代で遊んでいる場合ではない。うっかり『羊たちの沈黙』と『マイノリティ・リポート』ごっこに興じてしまった。僕は地球のエンタメは大好きなのだ。いつも宇宙図書館で三昧し、帰りが遅くなってママンに叱られたものだ。だからこそ地球に的を絞って営業しているのだが――なかなかどうして、賢い人間というものに遭遇しない。
残念だけれど今日は本が開けない、と、僕は言った。声は肩透かしを食らったように、今までそんな日はなかった、と言った。
「そんな日だってあるんだよ。今までなかったことがこれからもないなんてどうして思うのかな」
いつもと雰囲気が違うことを察したのか、声は答えずに黙った。
「ねえ、僕の荷物を返してくれない?分析は終わったんでしょ」
「荷物?ああ、この黒い板か」
どうやら声の主が持っているらしい。僕はそれがないと調子が出ないことがあるんだよ、と言った。僕から取り上げたその「板」を、散々こねくり回してエックス線だの放射線だので調べつくしているはずだったが、どうせ何も出てこない。ちょうどあと6年もしたらこの世に出現するスマートフォンによく似た形状だが、スマートフォンではない。あれはこの時代におけるモノリスの欠片だ。置いていくわけにはいかない。
どちらにせよ、彼が持っているのなら好都合だ。手間が省ける。
「どうせ拘束されている。こんなもの、持てないだろう」
声は言った。あ、こいつはアレに魅入られたな、と直感した。たまにそういう人間がいて、そういうやつは麻薬常習者のようにそれなしでいられなくなる。どうせ手放せなくなって今も持っているのだろう。
「ちょうどいい機会だ。きみは初めて会った時、僕が何者か聞いたね。ぼくはね、銀河売りだよ。銀河を売ってるんだ」
それを聞いた声の主が突然、ヒッと言った。今頃おそらく、身体が硬直していうことが効かなくなっているはずだ。銀河売りの言葉を合図に、板が反応したのだ。
「君はこの部屋に入ってきて。それで僕の拘束を外すんだ。権限者はきみなんだろう、簡単さ。武器なんか役に立たないことはもう知ってるよね」
まるで操り人形のように部屋に入ってきた男は、およそ大人の男の振舞いとは思えないほど滑稽な動きをしていて、僕は思わず笑いそうになった。軍人教育を受けたことがあるのだろう、必死に僕の力に抵抗しているのがわかる。それでも僕の言葉に逆らえない。黒い板を持っているからだ。
「それを、僕に」
男は震える指先で黒い板をつかみ、ぐねぐねした腕の動きで僕の前に黒い板を差し出した。
僕はずるずるした袖をたくし上げてそれを受け取ると、艶めかしいほどに黒く光る面を彼の方に向けた。
「僕、前に、ここにひとつ、銀河を落っことしちゃったんだよね」
その言葉が終わるやいなや、誘惑に抗えずのぞき込んだ男は板に吸い込まれて姿を消した。おそらくは別の部屋で成り行きを見守っていた軍人や役人たちは、茫然としていることだろう。
男は消えた。
僕は黒い板をつるりといっぺん、撫でた。
長居は無用。
そして、耳の後ろを触った。
今頃、おそらくは蛍光灯がちかちかするあの部屋には拘束服だけが虚しく床に残されていて、部屋の様子を見守っていた人々は口々に言っていることだろう。
Why am I here?
了
書いていたら突如こちらの続編が出来てしまいました。
小牧さん、今回もよろしくお願いします。