Answer 「p7」
「p6」前話
2016年11月1日
タクミからLINEのメッセージがあったのは、ハロウィンの翌日だった。
ごめん、と言っているのだから、悪かった、という気持ちはあるんだなと少しほっとする。
でも「これからそっち」というのは、なんだかな、という気持ちになった。こちらの都合はお構いなしなんだなと思う。「当たり前」みたいになっている。
付き合いだして最初の頃は、「映画観にいかない?」とか「仕事の後飲みに行く?」とか、疑問形で誘われていたのに、半同棲のようになってからは、絶対にこっちが断らないと思って言っている言い方に変わっている。約束を破っておいて、次の日のLINEというのも、モヤモヤする。遅くなってもその日のうちに「今日どうだった?」くらいのメッセージはあるんじゃないかと思っていた。人妻と飲みに行って遅くなったんだろうか、とまた勘繰りたくなる。
とにかく最近、はるかの扱いが軽くなっている。それは間違いない。
はるかが「もう来ないで」と言ったら、彼はどうするつもりなんだろう。もちろん、はるかはそんなことは言わない。言えない。だいたい「しばらくっていつまで?」ということさえ、聞けない。
こんな付き合い方でもタクミにそばにいて欲しいと思っているのか、もう嫌だと思っているのか、自分でもよくわからなかった。
そんなはるかに、美咲は時々呆れたように言う。
「同棲なら同棲すればいいじゃない。あっちの都合のいい時ばっかり泊っていくんでしょ?家をホテルがわりにされてるだけじゃない」
確かに一理も二理もある。嫌と言えない性分なのだ。
そんな時、庇ってくれるのは萌だった。でもさ、私も泊めてって言われたら泊めちゃうな。可哀そうとか、悪いとか思っちゃう。——それを聞いて、もしかして先輩とつきあっているのも、強引な押しに嫌だって言えなかったからかな、とちらりと思う。
とにかくしぶしぶ「じゃあ夜は鍋にしようかな。そろそろ鍋食べたいなって思ってたし」と返信すると、彼は思いのほか喜んだ。
2023年のはるかに「ケンカをするな」と念押しされていたし、後から考えると、未来の自分が「ケンカをするな」と言うということは、はるかとタクミの間には、何かがあった、ということだろう。詳しくは教えられなくても、そのくらいは推察できる。
タクミに強く出られないはるかが、本当にケンカなんかするものだろうか――。疑問に思いながら、タクミを迎え入れた。
その夜は、昨日のことなどまるでなかったかのように、ずいぶん穏やかに過ぎた。はるかはタクミをなじらなかったし、追及もしなかった。美咲と行ったよ、と言っただけだ。
鍋を食べているうちに、なんとなくつけていたTBSで『逃げるは恥だが役にたつ』が始まり、エンディングではテーブルの下で足をくっつけながら、手の振り付けだけ一緒にやったりした。
鍋の片付けなんか、いつもは絶対しないのに自分からしてくれたし、やたらべたべた触ってきて、やっぱり昨日なんかあったんじゃないかな、という考えが頭をよぎる。たとえそうでもそうでなくても、やっぱりタクミといるのは幸せで、はるかはあらゆる未来の不安に蓋をした。今が幸せなこと、それがいちばん大事なことだと思えた。
しばらくいられる、というタクミの言葉は嘘ではなく、それから10日ほど経っても、彼ははるかの家から仕事に行っていた。街にはクリスマスのイルミネーションが輝き始め、同期の間では今年のクリスマスはどうする、という話題があいさつ代わりになった。
タクミとは仲良く過ごしていた。ドラマ「逃げ恥じ」の影響でお互いにさん付けで呼んでふざけ合ったり、石田ゆり子の綺麗さを絶賛したり、ガッキーの結婚観にあれこれ言って微妙な空気になったりもしたが、それらを全部自分たちに結びつけるようなことはしなかった。「ドラマだからね」を合言葉に、それは見事に、巧妙に、「ふたり」をすり抜けるようにして、二人は恋ダンスを踊った。
その夜、タクミが寝てしまってもなんとなく寝付かれずに、水を飲むついでにソファに座った。
リビングの暖房をつけっぱなしにしていたのに気づき、起きてきて良かった、と思った。マンションのこじんまりした部屋はエアコンひとつで結構暖まる。少し暑いと感じるくらいだった。エアコンの温度設定を下げ、少し浮かれた気分で久しぶりに手帳を開いた。
あれからは2023年のはるかとは全然繋がらなかったし、もうあんなことはないのかも、と思いながら、これまでのやり取りを眺める。
ハロウィンのことがあったので、はるかはタクミにクリスマスの話題をふるのを避けていた。
それでも会社で同期の同僚たちがクリスマスにはいい店で食事をするんだ、という話を聞くたびに諦めきれず、結局その日の昼間、こっそり憧れのレストランにディナーの予約を入れていた。とりあえず押さえておこう、という気持ちだった。が、予約を入れてしまったものの、34歳のはるかの「ケンカしないで」はかなり気になっていた。
今の毎日を振り返ると、ケンカするような要素がない。
上手くいっている、と思う。
もしケンカになるのなら、やっぱりイベントごとに関することではないのか――なんとなくそんなふうに感じていた。
思い立って、手帳に「クリスマス、『ベイビュー』予約しちゃった」と、書きこんでみる。
すると急に、また前のように字が浮かび上がった。これまで全く音沙汰がなかったのに、唐突だなあと思う。いったいどんなしくみで繋がっているのだろう。
その後に文字が浮かび上がった言葉を読んで、はるかは凍り付いた。
前回、優しい言葉をかけてくれたから、まさかここでNGを出されるとは想像もしていなかった。苛立つような気持ちと、やっぱり、というような思いが心の中で渦巻いている。
ハロウィンのことがある。
2023年のはるかは「未来」にいる。嘘は言わない。間違っていない。それがわかっていながら、とても信じられなかった。
はるかは、長袖のTシャツだけ身に着けた裸の身体が急に冷えるのを感じた。さっきまでタクミが触れていた身体。火照って熱いくらいだったのに。
2023年のはるかからは、何の音沙汰もない。
それが、2016年のはるかの言葉を裏付ける、何よりの証拠だという気がした。
はるかは翌日、横浜の夜景の見えるレストランの予約を取り消した。
2016年11月12日
ところが週末になって、タクミが「クリスマスなんだけどさ」と言ってきた。
「ハロウィン、悪かったからさ。クリスマスは一緒にどっか行きたい、とか、なんかそんなこと思ってて」
タクミは、ちょっともじもじとそう言った。2023年のはるかの言葉にすっかり怯えてしまい、クリスマスディナーはなくていい、家で鍋でも囲めばいいと思っていたはるかは、つい、警戒したような反応になってしまう。
「どっかって、どこ?」
「いや、はるかが行きたいとこ」
「わたし、どこか行きたいなんて言ってた?」
「つき合ったばっかりの頃、夜景の見えるような高いとこのレストランでクリスマスディナー食べてみたい、って言ってたよね」
そんなこと、言ったんだっけ。よく覚えていたな、と思う。覚えていてくれて、それはやっぱり嬉しかった。
「実はちょっと前に予約しちゃったんだ」
そう言って、彼が口にしたのは、驚くべきことに先日はるかが予約してキャンセルした、あの横浜のレストランだった。
「え。うそ。すご……」
思わず両手で口元を覆い、そう口走っていた。
それを、タクミは驚きすぎて喜び過ぎたゆえの反応、と捉えたらしい。
「あー、良かった。正解だった。ハズしてたらどうしようと思ってたんだ」
違う。あまりにドンピシャで同じところを予約したから驚いただけなんだ、と説明しようとしたが踏みとどまる。
素直に、嬉しかった。どう考えても、ふたりが一歩前進するためのイベント、だと思った。つまりは、プロポーズ。タクミはプロポーズするつもりなんだ、と思った。
「あれ?なんかあんま、喜んでない?」
タクミがはるかの顔を覗き込んだ。
「え?そんなことないよ。ただ、驚きすぎちゃって――」
手帳の文字が頭をよぎる。でも、そこはダメ、行っちゃいけないんだ、なんてとても言えなかった。第一、手帳のことを説明できるはずもない。タクミはすっかりはるかが喜んでいると思い込んでいる。その笑顔を見たら、やっぱり好きかも、離れられないかも、と思った。
未来のはるかがいうことを信じるなら、クリスマスにはいかない方がいいんだろう。
でもこれは、はるかが計画して予約したわけではなく、タクミが考えてくれたことだ。それに「行かない」「行きたくない」などと言えるだろうか。しかも、さしたる理由もないのに、だ。第一、断れない性格の自分が、せっかく相手が用意してくれたプレゼントを無下にできるわけがない。
夜になって、タクミが寝入った後にまた手帳を開いた。
考え考え、そう書いていた。
今度は間髪入れず、という感じではなく、数分後に返事が来た。
2023年のはるかも、まさかの事態に驚いているようだった。
2023年のはるかは、少し考えているようだった。
しばらくして、返事が来た。
なんとか意思疎通を図ろうと努力したけれど、どうしても字が抜けてしまって良くわからない。とにかくタクミのすることをすべて許すことが出来れば、ふたりは安泰、ということなのかもしれない。
いや、安泰かどうかはわからないが、とにかく激しい衝突は回避できるということなのかも――
2023年のはるかは、今度もまた数分、考え込んだ。
考えているから数分かかっているのかはわからないが、とにかく数分後、返事は届いた。
少なくとも、2016年のこの時点で、2023年のはるかが経験したこととは別のことが起きている。2023年のはるかは、自分が予約したレストランで「なにごとか」が起こり、タクミを許せず、ふたりは別れた――のだろう。
でも今は、少なくとも「タクミが予約した」という「違い」がある。もしかしたらと、2023年のはるかも希望を持ったのかもしれない。
そうだ、未来は変えられるのかもしれない。
2023年のはるかの「今」を、わたしが――
もしかしたら。
――続く
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