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千手観音の陀羅尼

最近は、朝から読書の毎日で、まったく無職の境遇というのは良いものだなあと毎日が豊かに感じます。

遊びに行きさえしなければ金は減らないし、図書館で本を借りれば無料であらゆる本を読むことができる。またAmazonのkindle unlimitedに登録していれば、いくつもの本や漫画も電子書籍リーダーを使えば読み放題。

これで家賃さえ払う必要さえなければ、今ある貯金だけでも軽く一年は本を読んで過ごせそうです。

刑務所に入ったと思って、「行」をするかのように本を読みまくるのもいいかもしれません。



本当に良い時代になったと思います。



最近は本当にいろんな本を読みます。手あたり次第に興味あるものを片っ端から読むし、時間があるうちに書いてしまおうと思っている私の2冊目の著書の資料として読まなければいけないものもあります。


私は、昨年、自分が四国八十八箇所を歩いたときの話をAmazonのkindleで出版しました。


この本のあとがきにも書いたように、2016年の真夏に逆打ちをしたときのこともまた書いて出版しようと思っているのですが、その参考にとkindle unlimitedで四国八十八箇所の逆打ちについて書かれているある本を読んでみました

この話は、四国の逆打ちを始めたある僧侶が、山小屋で「佐伯」という老人と会い、その老人が昔逆打ちしたときに体験した奇妙な出来事が滔々と語られるというストーリーで、まるで不思議な仏教説話を聞いているようで、お伽噺の世界に入り込んだかのような錯覚に陥る、なかなか面白い内容でした。

話の中で、この佐伯という者が逆打ち中に無念のうちに行き倒れた無数の霊にとりつかれ、雲辺寺のあたりで護摩を焚いき祈祷してその霊達を昇華させていく話がありました。



佐伯が祈願したのは千手観音でした。


佐伯は修法の間、「大悲心陀羅尼 (だいひしんだらに)」という陀羅尼(呪文のようなもの)をあげました。



この物語の内容自体も大変面白かったのだけれど、私はこの「大悲心陀羅尼」とは一体なんだろう?という興味が湧きました。


というのも、最近私は観音菩薩にまつわる不思議な体験をしたからです。

私は先月、友人と熊野古道を歩き、那智の滝のある那智大社と青岸渡寺を参拝しました。

神仏分離がなされる前は、青岸渡寺も那智大社も同じ一つの霊場であり、観音の地といわれたところです。

個人的には熊野三山(熊野本宮大社、速玉大社、那智大社)の中でも、那智の滝が一番有難い感じがしたもので、ここにある青岸渡寺の本尊は如意輪観音で、那智の滝自体が観音の浄土と形容される霊地です。

そして青岸渡寺から少し離れたJR那智駅近くには、かつて「補陀落渡海(ふだらくとかい)」で有名だった「補陀落山寺」というものがあります。 

(補陀落渡海(ふだらくとかい)というのは、南の海の果てにあるという観音菩薩の浄土「補陀落(ふだらく)」に向けて舟を漕ぎ続け海の果てで死に果てる捨身行のことをいいます。ちなみに「補陀落(ふだらく)」とはサンスクリット語のポータラカを音写したもので、ダライ・ラマが住んでいたポタラ宮もつまり補陀落ということです。 )


この那智勝浦の補陀落山寺は、補陀落渡海(ふだらくとかい)のメッカでもあったのです。

紀伊半島を横断する熊野古道中辺路(なかへち)の最終地点ともいえるこの那智勝浦にたどり着いたとき、私たちはある幸運に恵まれました。


私たちがその寺に着いたときに、そのお寺の世話人の方が、「これから団体客が来て、補陀落渡海(ふだらくとかい)の講義を聞いていかれます。あなたたちも一緒に話を聞いていかれますか?」。また、「ここの秘仏でめったにお目にかかることができない千手観音様もご開帳するので、見ていってください。」と。こんなことはめったにありませんよというのです。

私たちは、もちろん参加することに決めました。ここに来る前にコンビニに立ち寄りをし、本来ならそこからこの補陀落山寺に直接向かうはずだったのに、どういうわけか間違って一度那智勝浦駅に行ってしまい、そこで「ああそういえば、補陀落山寺にきたかったんだった」ということに気がつき、再び引き返してこの寺にやってきたのです。もしコンビニから直接この寺に向かっていたら、この団体客と時間が合うことはなく、おそらくこの世話人の老人も私たちにここの秘仏を観ていかれませんか?などと尋ねてくることはなかっただろう、と思うと苦労して踏破した熊野古道の最後の最後に運良く観音菩薩の秘仏を観られるというのは、まさに不思議な巡り合わせで、大袈裟にも「もしかして俺たちはこの観音様に呼ばれたのではないか?」とまで思わせるような衝撃でありました。

そして、その秘仏の観音菩薩は千手観音でした。

そして話は戻りますが、この小説の主人公佐伯が千手観音に祈願し「大悲心陀羅尼」を唱え続けた場面を読んだとき、当然思い出したのは、この補陀落山寺の千手観音でした。
そして当然「大悲心陀羅尼」とは何だ!?という疑問も湧いてきます。


色々と調べてみると、大悲心陀羅尼というのはサンスクリット語の音をそのまま漢字に音写したもので、これだけ読んでも全く意味がわからない。漢文ではないのです。

「南無喝囉怛那哆羅夜耶。南無阿唎耶。婆盧羯帝爍鉗囉耶。菩提薩埵婆耶。摩訶薩埵婆耶。摩訶迦盧尼迦耶。唵。薩皤囉罰曳。數怛那怛寫。南無悉吉利埵伊蒙阿唎耶。婆盧吉帝室佛囉楞馱婆。南無那囉。謹墀醯唎。摩訶皤哷。沙咩薩婆。阿他豆輸朋。阿逝孕。薩婆薩哷。那摩婆伽。摩罰特豆。怛姪他。唵。阿婆盧醯。盧迦帝。迦羅帝。夷醯唎。摩訶菩提薩埵。薩婆薩婆。摩囉摩囉。摩醯摩醯唎馱孕。俱盧俱盧羯蒙。度盧度盧罰闍耶帝。摩訶罰闍耶帝。陀囉陀囉。地利尼。室佛囉耶。遮囉遮囉。摩摩罰摩囉。穆帝隸。伊醯伊醯。室那室那。阿囉參佛囉舍利。罰沙罰參。佛囉舍耶。呼盧呼盧摩囉。呼盧呼盧醯利。娑囉娑囉。悉利悉利。蘇嚧蘇嚧。菩提夜菩提夜。菩馱夜菩馱夜。彌帝唎夜。那囉謹墀。地利瑟尼那。婆夜摩那。娑婆訶。悉陀夜。娑婆訶。摩訶悉陀夜。娑婆訶。悉陀喻藝。室皤囉夜。娑婆訶。那囉謹墀。娑婆訶。摩囉那囉。娑婆訶。悉囉僧阿穆佉耶。娑婆訶。娑婆摩訶悉陀夜。娑婆訶。者吉囉阿悉陀夜。娑婆訶。波陀摩羯悉陀夜。娑婆訶。那囉謹墀皤伽囉耶。娑婆訶。摩婆唎勝羯囉耶。娑婆訶。南無喝囉怛那哆羅夜耶。南無阿唎耶。婆盧吉帝。爍皤囉耶。娑婆訶。悉殿都。漫哆囉。跋陀耶。娑婆訶。」


そしてこれを聞いているときに、「あっ!」と思ったのです。

「Mantra of Avalokiteshvara (観音菩薩のマントラ)」という曲に似てると思いました。

Namo Ratna Trayaya,
Namo Arya Jnana 
Sagara, Vairochana, 
Byuhara Jara Tathagataya, 
Arahate, Samyaksam Buddhaya, 
Namo Sarwa Tathagate Bhyay, 
Arhata Bhyah, 
Samyaksam Buddhe Bhyah, 
Namo Arya Avalokite 
shoraya Bodhisattvaya, 
Maha Sattvaya, 
Maha Karunikaya, 
Tadyata, Om Dara Dara, 
Diri Diri, Duru Duru 
Itte We, Itte Chale Chale, 
Purachale Purachale, 
Kusume Kusuma Wa Re, 
Ili Milli, Chiti Jvalam, Apanaye Shoha

この曲はチベット文化圏にいけばどの街中でもかかっている音楽で、このリリックと、大悲心陀羅尼が似ているなということに気がついたのでした。

きっと「大悲心陀羅尼」の

「とらやーやー」はTrayayaだろうし、

「菩提薩埵耶(ふじさとぼーやー)」はBodhisattvaya

「魔訶薩跢婆耶(もこさとぼーやー)」はMaha Sattvaya

「もこーきゃるにきゃーやー」はMaha Karunikaya

「なむおりやー」はNamo Arya

なのでした。

当然、陀羅尼というのはサンスクリット語が元なわけなのでチベットに伝わるお経と似ていても当然なわけですが(笑)、チベットと日本に歴史と時空を越えた繋がりがあるように思われ、信仰の力を感じます。

ちなみに、変な奴と思われるかもしれませんが、私は四国八十八箇所を回っているときになぜだか無性に観音菩薩を有り難いものとして拝みたくなる時がありました。 それ以来、観音経の経本を手元におき、読むこともありますが、観音菩薩の加護を感じたりしたこともあったのでした。(たぶん私の妄想ですので読み流してもらって結構です笑)

でもそういえば、母親が私の出産祈願をしたところが、福岡県は篠栗町の八十八箇所のお寺祖聖大寺という観音菩薩が本尊のお寺だということも思い出しました。観音様との縁が強いのかもしれせん

不思議なものです











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