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文章で大事なのは、技術じゃなくて個性、だと思う

文章は「技術」が大事なのだろうか?という疑問について、改めて考察してみます。

近年、「ライター志望」という人がたくさん目に付きます。

本業だけじゃ収入が厳しい人や、今の仕事がしんどいので自分で稼げるようになりたい、という人が増えているんでしょうね。

それに加えて「副業・複業」ブームです。
一過性なのか、今後はずっとそういう時代なのかは分かりませんが、おそらく後者で、今後の社会では1人が複数の収入源を持つのが普通になるのでしょう。

そこで、ライターやモノ書きは、「元手がいらない」「リスクが少ない」「素人でもすぐに始められる」という理由で人気なのだと思います。

そこで少し気になるのが、まず最初に「文章教室に通う」とか「ライティングセミナーを受ける」という人がいますよね。
もしくは、「文章の技術」を書籍で勉強するとか、ノウハウ記事を読むとか。
それはどうなのだろうという疑問。

何を隠そう、その手の本は、私も読んだことはあります。

タイトルの付け方とか、リード文の重要性とか、PREP法とかね。
「てにをは」「こそあど」とか、慣用句、カタカナ言葉、略語、重ね言葉に注意とか。

もちろん、読みやすい文章や、正しい言葉づかいで書くのはとても大事。
すごく大事。

しかし!

それ以前にやるべきことが、おろそかになっていないか?というのが今回の主題。

技術 < 個性

いくら文章のテクニックが上達しても、そもそも「書くネタがない」という場合は宝の持ち腐れ。

かといって、「この内容で書いてください」という、他者からの依頼に基づいて、材料を集め、うまくまとめても、おそらくですが「面白いコンテンツ」にはなりにくい。
うまい文章は書けるかもしれないけど。

足りないのは熱量。そして個性
その人にしか書けない、というオリジナリティです。

熱量を込められた、その人にしか書けないユニークなコンテンツであれば、多少の誤字脱字や乱れた日本語が入っていても、些細なことのように思えてきますね。

あとは、以前投稿した件、本人の意見や体験という一次情報が大事。


先日、いろんな投稿記事をザッピングっぽく見ていたら、とても丁寧に書かれた文章なのに、なぜかすごく薄っぺらく感じた記事があることに気付きました。
「スキ」も少ししか付いていません。

ちょっと考えてみて、おそらく「本人の思い」が入っていないからかな?と思い当たりました。
上手にまとめる能力はあるのに、ちょっと残念ですよね。

・・という出来事が、この記事のきっかけです。

私も偉そうなことは言えません。
自分自身に向かっても、気を付けたいことです。

テクニック以前に、自分ならではの視点、自身の体験を踏まえるように、心がけたいと思います。

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