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中学社会科のネタ帳その26〜承久の乱、政子の演説〜
鎌倉時代は後半、北条家が権力を握ります。北条家は将軍の補佐をする役職である執権(しっけん)という役職に就き、実質的には将軍を操り、政治を行っていました。
前回の話にもあった13人の合議制の中でも北条氏は権力を握ります。しかし当然、その中には北条氏をよく思わない者もいます。そういった者たちとの対立にも次々に勝利していきます。
特にこの合議制をまとめあげていったのが政子の弟で二代目の執権、北条義時。大河ドラマ、鎌倉殿の13人の主役でした。
この北条氏の政治をよく思わなかったのが、後鳥羽上皇です。そもそも武士が政治を行うようになっていた事が、朝廷は気に入らない。
鎌倉=東日本にある。それに対して、自分たちも朝廷を中心として西日本の武士をまとめた。これを西面の武士という。
やがて、この西面の武士をまとめあげた後鳥羽上皇は、北条義時追討の命令を出します。これにより、幕府vs朝廷の戦いが起こる。
1221年に起こったこの戦いを承久の乱と言います。
この戦い、当初は幕府に使える武士たちは動揺します。朝廷を敵に回す。それは動揺しますよね。
この時の北条政子の演説が有名です。教科書にも出てきます。
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「皆の者、これが最期の言葉である。頼朝が関東を草創してから官位や俸 禄をもらってきた。その恩は山よりも高く海よりも深い。今、逆臣の汚名をかけられたが、名を惜しむものは京都を攻めよ。‥」
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政子は頼朝に対する恩を訴えた。その恩は山より高く海より深いだろう、と。その恩に応えよう、と。そのために、朝廷と戦おう、と。
現代でも政治家の名演説は、印象深いものはyoutubeに残っています。例えば小泉総理が行ったガリレオ演説。その後、自民党は選挙で大勝します。演説は時に人の心を動かします。
(そんな風に授業で歴史を語ると、公民への興味関心につながると思います)
政子の演説を聞いて、幕府に仕える東国の武士は奮い立ち、戦に挑んだそうです。
(ちなみに政子の演説シーンは大河ドラマでもあります。内容はアレンジされていますが、名シーンの1つです。)
承久の乱の結果はどうなるのか。その後、世の中はどう変化していくのか。次回に続きます。