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中学社会科のネタ帳その30ー元寇(文永の役と弘安の役)ー

元が成立した後、東アジアにおける権力の拡大を狙い、日本との関わりを深めようとしました。
当初の元の日本に対する姿勢は「支配」というより「東アジアの権力拡大に協力しろ」「属国になれ」というスタンス。
しかし、当時の幕府はこれに対して無視の姿勢でした。そのため、元と日本で対立が起こります。2度、日本と元は戦っています。
1274年に起こった戦いを文永の役、1281年に起こった2度目の戦いを弘安の役と言います。
この2度の戦いを元寇と言います。元の侵攻を日本は食い止める事に成功します。何故か。
以下、理由として挙げられる様々な説を紹介します。
①元軍の自慢の騎馬隊を使えなかった。
→島国である日本に対して侵攻するのに、馬は使えなかった。これでは得意の戦法が使えません。
②暴風が味方した。
→当初、火器や集団戦法で元軍は優勢に戦いを進めていたが、暴風により船が大破した。これにより選挙区が苦しかった。
③元軍のモチベーション。
→巨大化した元において、軍人の士気の統制がとれなかった。中には元に支配された人々も軍として連れてこられたため、モチベーションが低かった。

教科書にも載っている、有名な蒙古襲来絵巻というものがあります。よーく見てみると、様々な人が元軍にいる事がわかります。巨大化しすぎた事により、統制をとるのは難しかったのだと推察されます。

神風は吹いた?吹かなかった?等、様々な説がありますが、紹介します。色んな説があるのもまた、歴史の面白いところですよね。

上記のような理由もあり、元の侵略から幕府は日本を守ります。しかしこの元寇が、その後の日本に大きな影響を与えます。
次回に続きます。



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