“映画効果”ー『ナミビアの砂漠』監督:山中瑤子 主演:河合優実(2024年)
(1,688文字) ※いっこネタバレしています。
8月、押山清高監督・藤本タツキ原作の映画『ルックバック』を観た。パンフレットを読むと、主役の藤野の声を担当した河合優実の主演映画が公開されるという。観ようと思った。
『ナミビアの砂漠』は自動的に出てくるInstagramの広告でよく見かけた。スマホのアルゴリズムにもサブリミナル的に後押しされて観なきゃと思った。
近くの映画館では上映してなくて遠出する必要があること、1日1回しか上映されないこと、わたしの気持ちが落ちてたり、用事のついでに観ようとしてもその日は映画館が休館などで、なかなか観に行けなかった。運命じゃないのかもしれない。
しかし今月号の文學界で監督の山中瑤子と金原ひとみが対談している(未読)ので、やはり観るべきだった。
大阪では梅田スカイビルの「テアトル梅田」でしかやってない。知らない道は怖くて寒くて、これでつまらなかったら最悪だと思いながらチケットを購入すると、明日で上映終了と書いている。運命かも。
わたしは映画を観ながら映画館の暗闇の中でメモする習慣がある。その瞬間に感じたこと、良かったセリフ、気になったシーンを忘れないために。
観始めてからまずいことに気付いた。暴力やセックスシーンがあったらどうしよう。映画は(小説より)直接的だから逃れられない。画面に映る登場人物を嫌いになったら延々不快になるし、耳を塞いでも殴られる音は鼓膜に届く。
わたしは表情に乏しく、何を考えてるかわからない人といると不安になるのだが、そんな主人公が感情を爆発させるシーンを観て安心した。
自堕落に思えるカナが、カウンセリングに行くってことは、そんな感じでも良くなろうとしてるってことだと思う。「人が頭の中で考えることは自由なんです」とカナのために話すカウンセラーに、「ロリコンが女の子犯したいって考えるのは悪いことじゃないってことですか?」と訊く。これわたしも言ったことがある。「強姦する奴って生きる価値なくないですか?それでも“人間に価値”があるって思うんですか?」カウンセラーを試したいわけじゃない。単純に良くなりたいから、どうにか理屈を教えてほしいのだ。
映画に詳しくないが、撮り方が特殊だと思った。主人公を遠くから撮ったり、追いかけずに撮影したり、ズームアップしたりする。長回しのシーンが多くあり、「これにどんな意図があったんだろう」と考えながら観た。小説でも詩歌でも、「この意図は」とよく考える。そこに作品を(作者の考えを)理解するための真意があると思うから。
全然ちがうかもしれないけれど、津村記久子のデビュー作『君は永遠にそいつらより若い』を思い起こした。だるい日常を物語にするって難しいけれど、日常は大抵だるいはずだ。
理解するために監督の言葉を読みたい。誰か解説してほしい。パンフレット買うべきだったか。
家に着いたらカナみたいにめちゃくちゃ不機嫌になっていた。すぐ影響受けるんだから。
自分のしている行動、仕草にすべて意味があるような感覚ーわたしが「映画効果」と呼んでいる違和感を得た。
すべての仕草に意味を感じる。だから生きていて苦しくない。意味があるから。本のページをめくる、パソコンの電源ボタンを押す、歌詞カードを見る、それを机の端に押しやる。Tシャツ一枚を着て過ごす、目を擦る仕草、自転車に乗りながら何気なく月を見上げる。そんな動きすべてに写す価値を感じる。カナの退廃的な生活みたいに。意図を感じる。だから虚しくない。わたしはこの映画効果を感じたくて、映画を観るのだ。
鑑賞:11/13
note:11/14