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人一人の何にも替えられない特別さ-『初夜』イアン・マキューアン(英2007年・日本2009年)

 (1,730文字)
 森博嗣のミステリーを読み終えたあと、新潮クレストブックスを読みたいと思った。まだ今の私とまったくの別世界にいたかった。
 イアン・マキューアンは読んだことのない作家だったが、以前、江國香織が彼の作品の書評を書いていた覚えがあり、もっとも薄いこの『初夜』を選んだ。そしてそれは今後の私の読書のために正解だった。もしくは私の人生のために。

あるいは二人は、ずっと一緒に歩いて行けたのかも知れない。あの夜の出来事さえなければ。

 性の解放が叫ばれる直前の、一九六二年英国。結婚式を終えたばかりの二人は、まだベッドを共にしたことがなかった。初夜の興奮と歓喜。そして突然訪れた、決定的な不和。決して取り戻すことのできない遠い日の愛の手触りを、心理・会話・記憶・身体・風景の描写で浮き彫りにする、名匠マキューアンによる異色の恋愛小説。

新潮社HPより

 こんな恋愛小説ならいくらでも読みたい。普段は避けてきた恋愛のジャンルが、これほど面白く貴重に読めたのは悦ばしかった。人物描写が素晴らしいのだ。夫のエドワードから見た妻フローレンスの様子は、人ひとりとはこんなに個性的で興味深いものなのだという、小説を読んでいて一番幸福な実感を再び私にもたらした。

 音楽に関するかぎり、フローレンスはいつも自信にあふれ、流れるようにスムーズに振る舞った。(略)
 それにもかかわらず、生活のそれ以外のことになると、驚くほど不器用で、自信がなく、たえずつまずいたり、なにかをひっくり返したり、どのかに頭をぶつけたりしていた。(略)
 不安になったり自意識過剰になったりすると、しきりに額に手をやって、想像上の髪の房を払いのけるが、ストレスの原因が解消されたあとも、しばらくはそのゆるやかな、ひらひらする仕草がつづくのだった。
 こんなにも奇妙で、温かくて、特別な人間を、痛々しいほど正直で、自意識過剰で、考えていることや感じていることが丸見えの人間を、どうして愛さずにいられるだろう?

『初夜』P.18

 イアン・マキューアン-現代英国作家で最も注目されるこの作者の丁寧な描写に居心地の良さと驚き-こんなにも好きな文章と物語に、もしかしたら出会わなかったかもしれない驚き-を感じた。全編がそうなのだ。読みたい本がありすぎて、私はこの小説を、他の作品と同じく、再読しないかもしれない。
 でも、その予測がむしろ理解できない。私はこの物語の素晴らしさを抱いて生きていたいのだ。この特別さ、繊細さ、丁寧さを、フローレンスとエドワードと同じく持ったまま生きていきたいのに、もしかしたらこの感動を忘れて過ごしているかもしれない未来が怖い。

 過去や境遇について挟まれるのも良かった。エドワードが喧嘩っぱやく、友人のために人を殴ったあとの文章は印象的だった。

 彼が面白い気まぐれ、荒っぽい美徳だと思っていたものは下品な振る舞いにすぎなかった。彼は田舎者であり、ゲンコツでの一撃が友人を感心されると信じる山出しの愚か者でしかなかった。(略)
 大人になりたてのころ、よくある進歩のひとつだが、彼はいままで知らなかった-が、むしろそれに基づいて評価されたいと思う-新しい価値観があることを発見したのである。

『初夜』P.96

 初夜を境にふたりの関係は変化する。が、その後も物語はつづく。
 まるで私自身のように読んだ、この部分。

 彼はただあてもなくふらふらと、半分眠っているかのように、無頓着に、野心もなく、真剣さもなく、こどももなしに、気楽に生きていた。

『初夜』P.162

 彼女はほかには自分があれほど深く愛した人はいなかったし、男であれ女であれ、彼女ほど真摯な人間に出会ったことはないという事実をようやく認めるようになった。

『初夜』P.164

 誰かが誰かを好きになって、それでどうにかなる、など、まったく興味がなかった。そんなのはすべてまやかしだと思っていた。勘違い。錯覚。
 でも、一人の人間の美質を特別さをもって見つけられるのが恋愛なら、私は恋愛小説をもっと読んで、相手を認められるようになりたいと思った。こんな恋愛小説なら、もっと読みたいと思った。私は私自身も特別な人間の一人だと見なせるようになりたいと思った。この小説がもたらしてくれたように、この世を美しいと思えるために。

(2017年・文/転記・修正)

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