わたしが美人だったら、わたしが作家だったら、わたしが特別だったら-『ベル・ジャー』シルヴィア・プラス(1963年作/2024年新訳)
(1,972文字)
英文科を卒業した友だちに好きな小説を聞いたら、『ベル・ジャー』(2004年版)を教えてくれた。
それは数日前川上未映子さんのInstagramで紹介されていた作品だった。偶然にもわたしはその投稿をスクショしていた。新訳が出たタイミングだった。川上さんは「絶対読んでほしい」と繰り返しアップしていた。
さらに偶然、そのとき『天才たちの日課』(2014年)で、作者シルヴィア・プラスの習慣についての文章を読んでいた。
わたしは『ベル・ジャー』に取り囲まれていた。
精巧に作られた、すべてが詩のような文章。
素敵な表現に小さな付箋を貼っていったら都会の星空みたいにまばらに色がついた。
うつくしいと言わずにはいられない、一文も油断のない文章はエスターの差し迫った心模様のようだった。
また、目を惹く比喩がふんだんに書き込まれている。
ディテールの素晴らしさは他に類を見ないほどだ。それは「わたしはぜんぶ覚えている」(P.361)と書いたエスター(=シルヴィア・プラス)が、切迫した精神で生きていたことの証だと思う。しかし読者はエスターの目を通して書かれた中にこの世界の美しさを見るのだ。
小刻いい皮肉がとてもいい。恋人である医学生の出産見学についていったシーンで、妊婦が陣痛の痛みを緩和する薬を飲んだという説明をうける。
60年前にこれだけ正直に怒りを書いたことに驚き、安心した。男や気に入らない外部の人間に対する痛烈な物言いは随所にあり、そのたびわたしは感心した。
そしてもちろん、この小説はディテールや比喩や文章そのものの美しさだけではなく、物語全体がわたしたちをとらえつづける。
同じだと思った。
わたしが美人だったら、わたしが作家だったら、わたしが特別だったら、あの人たちはわたしを無視しない。
死ぬことが解決ではないはずなのに、死ぬ以外の夢はつらい。叶わないから-
エスター、わたしも同じだよ、わたしもと、彼女の手をとって、涙を滲ませて言いたかった。
後半はわたしがいちばん脆かった17の頃を否応なく思い出させた。そのときの教師や看護師、医師や将来への不安などを。そして混乱した。
わたしは『ベル・ジャー』にあてられた。
シルヴィア・プラスの自伝的小説のため、読者はこの小説の続きを知ることができる。
『ロミオとジュリエット』に「なにもかも駄目になってしまっても、まだ死ぬことだけはできるわ」というジュリエットの言葉がある。
そう、わたしになにもなかったとしても、文学だけは常に、わたしのそばにある。
翻訳:小澤身和子
購入:10/11
読み:10/11〜10/19
note:10/19・10/21
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