答えはまた10年後
きっと、こういう話が苦手な人もいるだろう。
僕もオタクだから、そんな気持ちがある。
でも、今日だけは「配信中の僕」じゃなくて「インターネットの前にいないオレ」として語らせてほしい。
なんとなく、次の一年では言わないかもしれないと思ったんだこんなこと。
まだ青い新人にうちに夜野廻ができるまでを聞いてほしい。
2023年の夏が終わるまで
社会に出て何年経ったかわかんない。
そんなに有名でもない大学をでて、学生の時に何かどでかいことなんかできてない僕にとって、真っ白な会社への切符なんてのは、初めから手元になかった。
もがいて、自分を偽って、ようやく乗れたその列車は、苦役と悪路に満ちていた。
朝の4時に会社をでて、4時間後には出社している。
何が楽しいかわかんねぇし、会社に言われるやりがいを自分の言葉だって思い込んで、張り付いた笑顔で、ギリギリ嘘じゃない話をして、子供と母親にクソみたいな将来を綺麗に飾り立てて売る日々。
ヒステリックな上司の罵倒と、年齢だけ上の先輩の偉そうな武勇伝を聞かされて、また朝の4時まで働く毎日。
毎日「飛び込んだら楽になるかな」ってゴールテープみたく見えていた駅のホームのそばで気がついたら倒れていて、医者には「仕事をやめないと死ぬよ」と言われたのを覚えている。
結局、なんにもなれなくて地元に帰って、その日暮らし。
一丁前に文化を嗜むから人間だなんて、虚勢を張って、昔からの趣味だけを続けてたら、今の社長に声をかけられた。
この世界でデカいことをやるから、死ぬほど働けるやつを探してるって言われた。
僕はきっと、昔から何者かになりたかった。
だから、この話に乗った。
そして、やっと抜け出したはずだったのに、新しい苦役列車に乗ったのだ。
それからの日々は文字通り、激怒だった。
一日中仕事のこと考えて、3年くらいは一年の半分以上を気がつけば会社の床で眠ってた。
ただ、あの頃と違ってたのは「嘘がなかったこと」だ。
いつか思ってたこと、そしていつもしたかったことが少しずつ形になっていった。
相変わらず社長はワガママを絵に描いたような人で無茶苦茶なことを言うし、会社の金使いすぎてやばいこともたくさんある。
救急車で運ばれたこともあったし、起き上がれなくなったこともあった。
辞めてく人もたくさんいたし、マジで何回か死んでたかもしれない。
それでも形にはなってきた。
「オレがやったんだ!」って胸を張れることも、増えてきた。
そして5年経ったこの夏。
ずっと担当してきた年1のデカいイベントが今年も終わった。
最初は200人いけばよかった参加者も、ようやく最初に夢見た1000人になった。
なんか充実感と喪失感があった。
そして気づいた。
なんだか「オレがやったぞ!」ってことが増えた。
けど、「オレだからできるんだ!」ってことはまだない気がする。
そうして、まだ「本当に何者でもなかった」あの夏、インターネットの片隅で言われたことを思い出した。
2013年の夏
スマホは普及したけど、配信アプリなんて少なかった時代。
年号はまだ平成で、動画や配信でお金が稼げるなんて誰も思ってなかった。
オレはまだ19歳で、世間のことなんて何もわかってはいから、無敵感だけある小生意気な大学生のガキだった。
大学のある田舎じゃ、刺激的な遊びは少なくて、バイトして、趣味に興じて、それ以外はニコニコ動画に入り浸る日々。
暇を持て余して、何か新しいことがしてみたくて、友達がやってたという理由でニコニコ生放送を始めた。
深夜に話したいことを話して、たまに顔も知らないコメントと喧嘩して、顔が見える違う配信者のところに殴り込んで喧嘩したこともあった。
そんな中で顔の知らない友達が増えた。
よく深夜にSkypeしてたパイセンって呼んでた人が言ってた一言がある
「オレさ。文章書いてて、コレで生きていきたいんだよ。本当は、だからオレを知って欲しくて毎日話してる。お前は?」
「なんもないっすよ。楽しいから喋ってます。
きっといつか就職するし、いつかヤンなくなるかもですね。」
「なんだよそれ…
まぁ、でも普通はそうだよな。
でもさ、味気ないじゃん。それじゃあさ。
自分にしかできないことって、こう言うことでしか表現できないんじゃねぇの?」
「そうっすかねぇ…」
「そうだよ。だからあんなに毎日イキイキ喋ってんじゃないの?お前。」
「うーん。オレ多分愉快犯なんですよ。みんなが楽しそうだから、やってる。それだけ。」
「はぁ。
じゃあ、お前はなんのためにそこに立って喋ってんだよ?
就活とかでも聞かれるぜ。きっと。似たようなこと。」
「じゃあ就活までに考えておきます。」
結局、彼の言ったことは、就活の時にもわかんなかった。
でも10年経って、なんだかようやくわかった気がした。
そして仕事以外にも「オレにしかできないこと」が欲しくなった。
2023年10月某日
仕事以外に何かできるの?
この質問に答えられなくなって、何年経つだろう。
だから真剣に考えてみた。
絵は描けないし、音楽なんて作れない。
文章はちょっと書けるけど、小説なんて書く気には今はなれなかった。
でも、つらつらと仕事以外でも喋ることはできそうだったし、なんだか喋りたいこともたくさんあった。
幸いにも大勢の前で喋るのは仕事だし、慣れてもいる。
だから、あの言葉を投げかけられたときみたく、配信してみようと思った。
もう一度、今度は自分にしかできないこともやってみよう。
そしたら、あの日の答えも見つかるかもね。
そう思ったけど、困ったことがある。
限界社畜には金がないから、機材やLive2Dなんて発注できない。
んで、画力が絶望的なんで、絵が描けない。
そんで、調べたらIRIAMってアプリで立ち絵が用意される事務所があるって聞いた。
だから受けたら、受かった。
というわけで11月28日に配信することになった。
マネージャーという人にいろいろ聞きながら、名前とかを考える。
気の利いたことを考えられないと思ってた時に、昔に書いてた小説を思い出した。
朝海還という幽霊の見える青年が、夜野廻という中年の幽霊に巻き込まれて、オカルトな世界に飛び込んでいく話だ。
当時の僕は朝海の心境で物語を書いてた。
でも、今働いて死にかけて、くたびれて、斜に構えた自分には夜野の方が似合う気がした。
だから、彼の名を借りようと思った。
そして、11/28に初配信として、ようやく配信者をはじめることになった。
2023年11月30日
朝の4時に鶏よりもけたたましくスマホが鳴り響く。
社長は海外で遊んでるからお気楽で、こっちがさっき寝たのも関係なく、あーだこーだと新しい仕事をどんどん発生させていく…
数日前に後輩くんがやらかしたトラブルがようやく片付いたばかりなのに……
11/26に後輩くんが発生させたトラブルにより、11/28の初配信は今日にズレ込んでいた。
早起きして、相変わらず唐突に発生する仕事やトラブルに対処していく。
やってもやっても終わらないなぁ…
と、天を仰いでみたり。
それでも今日からなんとか配信を始められそうだ。
帰宅して準備をして、配信のボタンをあと押すだけだ。
まだ知り合ったばかりなのに暖かい同期や先輩、知り合いも少しはできた。
なんとか昔みたく、またやっていけそうかな。
2024年10月16日
そんなこんなで配信を始めて1年がたちそうだ。
みんなが思って僕とは違って、すぐに化けの皮が剥がれて昔みたいなバカをやってるけど、それでも受け入れてもらえるのは嬉しい。
日々を過ごして、イベントに入賞したりなんかもしてると、ニコ生時代にパイセンに言われたことを思い出す。
「じゃあ、お前はなんのためにそこに立って喋ってんだよ?」
結局、僕にとって配信はやっぱり趣味で、楽しいからやってる。
だから僕は未だに愉快犯なんだろう。
でも、やりたいことや、目標みたいなものは、あの頃よりある気がする。
だから次の1年が過ぎたら、答えは見つかるかな?
そんなことを思いながら、今日も机に座ってアプリを開く。
お決まりの配信の挨拶を言うために。
【追伸】
この文章、本当は来月に控える1周年を迎えた時に「初配信を振り返る」という形で出そうと思っていました。
しかし2024年10月12日に何気なく昔のTwitterアカウントを久々に開いたら、文中に登場する「パイセン」の訃報が届いていました。
顔も本名もお互いにしらないネットの友達の死に、なんとも言えない悲しみを感じつつ、彼と話したいろんなことを思い出して、過去の話を急遽多く書いて投稿することにしました。
なんというか
余計なことかも知れないですが、僕なりに彼のことを残したかったからのような、単に気持ちの整理のような…
そんな感じです。
パイセンに問われたことの答えは未だに見つからないけど、パイセンが酔ってよく言ってた「配信者なんてオモロイ話をして、オモロイことをしてなんぼだろ!」って言葉は引き継いでこれからもやっていきたいと思ってます。