【エッセイ】希死念慮と生きてる
大学に入学したのは2015年の4月。
うつ病と診断されたのは2016年の6月ごろ。
もうずっと、希死念慮と生きてる。
希死念慮とは、漠然と死にたいと願う状態のこと。らしい。
もちろん多少具体的な悩みはある。
たとえば今の病気のこと、将来のこと、お金のこと。これはこれで漠然としているけれどまぁこんなところだね。
だいたいはお金があれば解決されると思ってるから宝くじ当たらないかなーってぼやいてる。宝くじ買ったことないけど!わはは。
でもたぶん、わたしのこれは間違いなく希死念慮だから大富豪になっても死にたいと願うんだろうな。
よく「死ぬことはいつでもできるからとりあえず生きてみようと思う」って言ってる人いるでしょう。それがまったく理解できなかった。だって死にたいのはいつだって〈今〉なんだから。
でも最近そうかもって思えるようになったんだよ。
生きることがえらいなんて、死ぬことが悪いなんて、これっぽっちも思わない。
このごろ気分がフラットだからこんな考えができるようになったのかな。生きててもまぁいいかなって。
すごいことだよ、わたしがそんなふうに思えるなんて。
在宅ワークのサイトで貰っているお仕事が出来てて、SKIMAで売ってる小説を書く能力が売れたこと、それも作用しているんだろう。
お小遣い程度にも満たないけれど自分の力でお金を稼いでいるという事実は、めちゃくちゃわたしの自己肯定感を高めてくれる。
だからって希死念慮がなくなるわけじゃない。
SKIMAで購入者の方がかけてくれたあたたかくて有難い言葉たちがわたしの自己肯定感を過去最高に高めてくれたときも希死念慮はそこにいた。
愛着すら湧いてくる希死念慮。久しぶりに近くにすり寄ってくると「ひさしぶりやん!」って思うくらいにもうわたしの一部になった希死念慮。
わたしを殺そうとするそいつを何度も恨んできた。
でも今は大事にしたいって思ってる。
わたしが成長して、病気と向き合って、だから芽生えたこの感情はたぶん愛だよ。
自分と希死念慮に対する愛だ。
希死念慮が運んできたのは苦しいしんどい気持ち、世界への呪い、自分を傷つけてあまつさえ殺そうとする手、大切な人に心配と迷惑をかけてしまうこと。
それから、そのままの自分と死にたい自分を愛する気持ち。
もちろんうつ病になんかなりたくなかった。
希死念慮なんて持ちたくなかった。
でもそうじゃなかったらたぶん、わたしはずっとすべてに曖昧なまま生きてたんだろうな。
それを考えると、良いこともあったかもしれないね。
感謝なんてしないよ。しないけど、愛したいよ。
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