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闘う気は無いが負ける気はしない

今の私の心境です。

【闘う気は無いが負ける気はしない】


これまでずっと私は、
闘ってきました。
一体何と闘っていたのかと聞かれると、

なにと闘っていたのでしょう?
よくわかりません。

ですが私はずっと闘い続けてきました。
闘わなければ、勝てないし、
闘わなければ、生きてゆけない。

常に
勝たなければという想いを持っていました。

いつも
戦闘態勢で、
張り詰めて、
気を抜かないように、
睨みを利かせていました。


怖いですねぇ(笑)
もちろん人のことを睨んだりはしていません。
向かってくる何かを睨みつけていました。


闘うと言っても、
私は人との競争は大の苦手で、
人と何かを競わなければならなくなったとたん、
相手に勝ちを譲ってしまうような性格です。
誰かと競うくらいなら、
どうぞどうぞと、自ら負けてしまう。
劣等感と無価値観がそうさせていたのかも知れません。


では何と闘っていたのか。
己と闘っていたのかも知れないし、
人生の荒波と闘っていたのかも知れません。

だけど人生の荒波は誰にでも訪れるし、
誰もがそれを乗り越えて行くものだと思います。

問題だったのは、
その闘いかたです。

私は乗り越えるべき波がやってきた時に、

死ぬ気で立ち向かっていました。

いつも死ぬ気を出していました。

なぜ死ぬ気を出していたかと言うと、
それしか方法が分からなかったからです。


死ぬ気を出せるので、
何でも出来てしまいます。
死ぬ気でやるというのは、
自分の時間も感情も体力も睡眠も食事も余力もすべて無視をするということです。
それが出来てしまいます。
死ぬ気でやるというのは、
文字通り最悪死んでもそれまでだと思っているので、
怖いものがありません。
だから何でも出来てしまうのです。

人並以上に努力をするので、
結果が出ます。
そして周りから称賛され、驚嘆されます。

以前の私はそれを、
自分の能力だと勘違いしていました。
厳密に言うと、
『私はあらゆる能力が人並以下の人間であるから、人の3倍はやらないと人並に出来ない』
という信念を持っていました。

そしてその信念のもとに、
死ぬ気を出して努力して結果を出せることを、
自分の能力だと思っていました。

ですがおおいなる勘違いでした。
私が死ぬ気を出せるのは、
自分を大事にしていなかったからです。
普通の人はそこまでやりません。
自分を大事にしているからです。


このことに気付けずに、
ずっと闘い続けて、
死ぬ気で自分を追い込み続けて、
正常で居られるわけがありません。

私は心身ともに限界を迎え、
そこでようやく自分の内面と向き合い、
自分を受け入れ、今に至ります。


これは自覚があったのですが、
私が死ぬ気を出していた時、
その原動力は怒りでした。

肚の底にマグマのような怒りがあって、
いつでもそれが私を突き動かしていました。
鼻血が出そうなほど、
怒りがこみ上げてきて、
それを死ぬ気の原動力にしていました。


きっとそれは癒されていない私の、
幼少期の傷であったと思います。
それが完全に癒えたわけではないと思いますが、
完全に癒えるということはないのかもしれないけど、
私は自分と向き合うことにより、
その傷を癒せたのだと思います。


私を突き動かしていた怒りは、
もう出てきません。
かわりに私の根底には今、
安心感があります。

理由のない安心感です。
何があっても、自分は大丈夫だと思えるのです。
私のポンコツさも、社会への不適応加減も何も変わらないのに不思議です。

自分を取り巻く状況は厳しいかもしれないし、
これからも色々と起こるんだろうけど、
『大丈夫』だと思える。

めいっぱい踏ん張って、鼻血を出しながら死力を尽くさなくても、
そんな闘いをしなくても、
私は私で生きて行ける。

闘う気はもうないけど、負ける気はしない。

そういう心境です。

マグマのような怒りを抱えて死ぬ気で闘うよりも、
根底に安心感を持って、闘わず、ありのままの自分で居るほうが、
最強なのですね。


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。











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