意味のあとづけ
上記リンクの記事内で、
と、書きました。
でも、実際のところ、この世で起きていること(事象)に意味なんてなくて、それに意味を後づけしているのって自分自身なんですよね。
そして、自分でつけたその意味にとらわれてしまうとツラくなってしまうことがある訳です。
突然ですが、カラスの鳴き声を聞いて何かを連想するときってありますか?
あったとしても、それぞれの立場や経験によって後づけされた意味は異なるものでしょう。さらに、それが子どもの頃に意味付けされたものであれば迷信であったり、怪しいものの場合もあったりします。
その一方で、カラスに関連して特にイヤな体験をしていなければ何も感じないことが殆どなのではないでしょうか。
(ちなみに、イラスト右下は将棋の羽生九段です。羽生九段は対局中、考えているときに外から聞こえてきた音をそのままオウム返しのように呟くことがあると聞いたことがあります)
ところで、例で示したイラスト。なかにカラスの鳴き声に対して自分自身で後づけした意味により、余分にツラい思いをしている人がいます。どの人でしょうか。
今回はカラスの鳴き声で例えましたが、実害(今回の例であれば生ゴミが荒らされたり、距離が近くてつつかれる)がない限りは、どんなことであっても右から左にサラッと流してしまうことが、ご自身のメンタルにとって優しい対応でしょう。自分で意味を後づけしないこと。以前、自分で後づけした意味に惑わされないこと。人間の心のことなので分かってはいても出来なかったり、ついつい忘れてしまったりすることですが、とっても大切なことです。
それを思い出させてくれたのは、麻雀の小林剛プロの本でした。
悪いこと・イヤなことがあったときに気持ちの切り替えや割り切りが苦手な方には、「こういう考え方もあるのね」と参考になる本かな?と思います。
この本を読んだあとに「やっぱり、今、私が麻雀に興味を持ったことに意味はあるんだ!」なんて言ったら、小林プロにはオカルト扱いされてしまいそうですが。笑
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