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空っぽなことばたち

ワクワクしない一日をワクワクさせられるのは結局のところ自分である。

モチベーションの上がらない日。身体が全く動かない。
やるべきことはある。それを今やれば数ヶ月後の自分にちゃんと返ってくるはずなのだ。
それなのに頑張れない。

自分のため、他者のためになることなのに頑張れない。

それは多分、他者の顔が具体的に見えないからなのだろうと思う。
結婚したり、子供が産まれたりすると頑張れるのはそういうことなのだろう。

残念ながらぼくには今、その予定はない。

その時、ぼくは自分のために頑張るしかない。

自分のことを他者と同じくらい大切にしてあげられていれば、自分のために頑張れるのだろうか。

労働をするということは他者への貢献につながる。
その貢献は自分の人生の充実感と幸福感にもつながっていく。

…なるほど。なにもない日に書く文章は本当に空っぽだ。笑けてくる。

空っぽな一日で終わるのが嫌で、夜の空港にやってきた。
空港に来ると自分がどこか旅に出るんじゃないかという錯覚に溺れることができる。

今日はこのまま一晩、空港で本や台本を読みながら過ごすつもりだ。

こんな行動になんの意味もない。
でもぼくにとって“場所”という要素からもらえるエネルギーは非常に多い。

それで言うと“家”は自分にとってどんな存在なのだろう。
改まって考えてみると深く呼吸のできる場所にはなっていない気がする。

自分の身体と思考に対して必要以上に隙を与え、無意識になってしまう場所。
怠惰感はそこから生まれているのかもしれない。

自覚的に生きていない。

それなら場所を変えるしかない。
それがぼくにとっての空港であり、浜辺であり、二子玉川のスタバなのだろう。

空っぽな一日だったからこそ、夜の空港に来て、本を読むという選択ができている。

薄氷を踏む思いで、何かがある一日を積み重ねている。

他者と関わることの尊さ。
日常を生きていると本当に忘れてしまいそうになる尊さだ。

夜の空港でひとり、誰かのために本を読もうと思う。

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