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大陸的に生きる
改めて自分の文章を読み返すとネガティブなことを書きすぎて、本当に恥ずかしくなってくる。
基本的には心が動いたことを軸に文章を展開させているため、それだけネガティブな方向に心が動くことが多いのだと思う。
昔『ロミオとジュリエット』に出演したとき、演出家から座組揃って
「もっとカラッと」
「ジメジメしないで」
「イタリア人になって」
と言われ続けていた。
日本人は国民性がジメッとしているから、ネガティブな表現がとても得意らしい。
ぼく自身、日本よりも海外の方が空気に馴染むなんてことを思っていたけど、ものすごく日本人らしい日本人みたいだ。
今ぼくが寄り添っている役に影響されているのか、他者を意識しすぎて自分軸で生きていないのか。
多分、どちらもだ。前者は仕方がないにしても、変えた方が良いのは後者だ。
(あと多分、どんよりとした天気のせいもある)
日常におけるぼくは結構簡単に自分軸を手放してしまう。
多分そういうときってベクトルが完全に内を向いていて、ものすごく心のガードを固める。
普通に生きればいいのに。何もしなければいいのに。別に攻撃されるわけじゃないのだから。
逆に言えば、カラッとすれば良いだけなのかもしれない。
自分がカラッとしている瞬間を考える。
友人と会っている時間は比較的カラッとしている気がする。
あまりネガティブな話をすることもないし、自信満々な発言を思わずしてしまうことの方が多い。
そして家に帰ってきて、ひとりになって、自信満々な発言を後悔するのだ。「何を調子に乗ってるんだ」って。
ひとはそう簡単には変わらない。何かしらの荒療治は必要なのかもしれない。
昔、ぼくは生きることにもっとエネルギーを使っていた。
それは他者に深入りされない、しないようにピエロを演じていたからだ。
それをぼくは【2週間笑わない】という荒療治を施してもらい、少し楽に生きられるようになった。
そのワークの意図は無理してぼくが笑わなくても世界が廻っていることを認識することだった。
今のぼくに必要なのは【ジメッとしたら気づく】という辛抱強い意識づけなのかもしれない。
無理に治そうとしない。でもジメッとしたら、ゼロに戻る。
はい、この文章、ジメッとしてる。
この気づきのおかげで、ちょっと生き方が変わる気がする。カラッと生きる。