今日の明け方に見た夢。 いつも夢を見る時は、私の場合わりとそれが夢だと認識している事が多いが、今日見たものは全ての感覚がリアリティを持っていた。 目覚めてから時間が経っても、一つ一つの場面が細部まで思い出せる。 今の自分の頭と心を整理するように、潜在意識にあるものを表したものだったかも知れない。 見終わってから(という言い方も映画みたいで可笑しいが)ホッと深い安心感を持った、そんな夢だった。 最初は職場にいる場面、後輩の子と机を並べて仕事中で(フロント業務という職業柄、私
ユンギさんを検索すると初めに出てくる画像が、あの警察暑前でのフォトラインに立った時のものだ、と海外アミが悲しみと憎しみを込めて言っていた。 そしてそれこそが、彼らマスコミやアンチ達の目的だと。書き立て、責めるのに格好の材料にされた、と。 私達ユンギペンにとってあの日から、 生きた心地がせず、でも彼のしてしまった事へは擁護はできなく、しかしそれを猛省してもの凄く後悔して、メンバーとアミへの申し訳なさで潰れそうになっているだろう彼に、何もしてあげられない無力さに、ただ必死にこの
彼はこれまでに毎年毎年欠かすことなく 様々な困難苦難、貧困や病気を生きる人々や子供達の為に多額の寄附をして来た事とか、 もっと若い頃には日本の熊本で地震災害が起きた時どうにか現地に手伝いに行けないかと訴え 周りに止めらながらもずっと心を痛めていたとか、いつか自分のように鬱などで苦しむ子にかけたい言葉があるから、と心理カウンセラーの資格を取りたい、など誰かの為に役立つ何かをしたい、と常に思って来た人。 そして自分のファン達の幸せをいつも願ってくれていて。 そんな人柄でいながらも
ユンギさんの事について 第一報を聞いた時には、身の安全と怪我はなかったかを一番に心配した。 そして何よりも悲しかったのは、 彼が自分を大切にしなかった事、だった。 私達にとって本当に何より大切な人で、そしてまた彼もファンをとても大切にしてくれるし、私達が幸せでいる事をいつも願ってくれる。 ユンギさん、同じだよ。私達もあなたが自分を大事にして幸せでいてくれることがとても重要なのは。 今はなんだか、悲しいとか、辛いとか、心配とかを通り越している感じ。 私、いつからかユンギ
最近のとあるやり取りを見ていて思う いや、正直には 気分が悪かった 本人は気づいていないのかもだが 人の感じた想いを真っ向から否定してる 寂しさも愛しさも共有しながら 今この時間を 愛しい人の事を語り合い過ごす それを正か否か、なんて 人に判断されたくない 自身の正当性を証明したいのか 誠実だと思われたいのか 意見に賛同賞賛してもらいホッとし 承認欲求を満たすためなのか どうあるのも自由だけど だからって他の人が思った気持ちまで 間違いだと言うのは傲慢じゃないか な
この頃特に感じている。 推しという存在は 自分を輝かせる道具でもなく 自分の生きている価値を高めるために 存在するものでもない。 その存在そのものに価値があって 私達はその存在を愛し応援する事で 自己の幸福度を高めているのであって それは推しに限らず他の誰かや 更には何かしらの形ある物に求めても 自身の中身が伴わないならば 結局それはあくまでも物質的な満足に過ぎない。 そこは履き違えずにいないと、と最近特に思う 。 だからこそ益々、 ユンギさんが해금(へグム)に乗せ
気づいてしまった 「自分軸」という自身の中の基準は 両刃の刃となる事に 推しに対しても 愛する誰かに対してだとしても 重すぎる想いは ものすごい負のエネルギーを生むのだと それは下手すれば 自身だけじゃなく周りの事も 侵食し 暗くて醜い感情で覆い 何もかもを 何よりも自分自身を 潰してしまいそうになる 「推しが自分を幸せにしてくれる」 「彼は自分の為にいてくれる」 共に推すアミ友にさえも 「もらう」ことが「与える」ことより大きいほど きっとその苦悩は深く 重く そして激
日常の中にいるユンギさん。 ユンギさん あなたはいつも 私の日常の中に確かに存在する。 それがなんと言っても嬉しくて。 あなたは私にとって 愛を表す「概念」なのかも知れない。 見上げる青空の小さな希望みたいな飛行機とか 控えめに小さく優しく咲く道端の花とか 曇り空の一部がひらけてもうじき晴れそうな空の色とか 早朝の薄雲から下界に差す天界からのお告げみたいな無数の光の束とか 淋しさで遠くを見る夕暮れ時 心を優しく慰める橙色と青の空のコントラストとか 夕方皆が一
死ぬ気でやってみない?と背中を押され 思い切って羽ばたき海を越え 最愛の彼の声と音とその存在にやっと逢え 一緒にあの感動の場で心震えたのに その後いきなり三か月も音信不通で その間随分心身を病んだよ 他にも色々あったからだけど やっぱりあなたの事が一番こたえたよ チケットが当たらず やれる全てを尽くしても見事に全滅し 本当に辛かったけど 運がなかっただけ なのに 当たらなかった事 彼の事を恨んでる やっと行けたライブからの帰りなのに そう聞いた時は本当にショックだったよ
この春夏より諸々な事からメンタルを崩した私は この過換気症候群という、時々息苦しくなり動悸がするものに罹り、パニック障害と近いカテゴリーに入るらしく、これを患ってから心が弱っている、 と自分では思っていた。 でもそれも違うのかもな、と思うようになった。 最近は会社が配慮してくれて働き方を少し変え、 日数も勤務時間もこれまでの半分程にセーブして ゆっくり回復を待っている。でも退勤し帰宅した時の夕方が、最も症状が出やすいタイミング。それは毎日早朝に出勤する夫が私より帰宅が早い
ここの所、XのTLにはユンギさんの兵役に関してのたくさんの呟きが溢れ、皆の想いがたくさん。 ある方の言葉にとても荒れ、私もさすがにそこは あんまりだと思い絶句してしまったが… 兵役に就くこと、軍隊に入隊するという事は、どれ程の事か。戦いに備える要員として、訓練する場。 もしかして、学校の部活動みたいな感覚で苦労や理不尽を乗り越えたら強くなる、みたいなスポーツ根性論、しかもかなり古い今どきならコンプラになるものと同義のように並べているのではないか、と思ってしまった。 それは世
昨日は一週間ぶりに仕事に行ってきた。 薬を飲みながらそろそろひと月、息苦しさと動悸はまだ時々軽めなのがやってくるし、しばらくは夜になりやすかったのに、最近はそれが特段不安とか焦る時に出る訳でもなく昼夜問わず現れたりもする。 自律神経という調整機能はまだ工事中で、しばらくはかかるみたいだ。 まだ暑さ残るとはいえ確実に秋の足音は近づいてきた。朝晩の空気が少し冷たさを帯び、ホッとする。 早朝に海のそばの橋から、たくさんのトンボが飛び交うのを見た。秋だ。その先のデッキの足元に、見た
今年の初めの頃に「気」を診てもらう、という機会があり、そこでもらった言葉。 「…これは、転機だからね。」 どうにも心も身体も重たくてそこから動けない苦しさでもがく私を心配してくれた方からの一石で、気やエネルギーを診る方の元、不思議と長い間大人になるまで押し込めていた、「表に出してはいけない」と信じていた自分を解放し始めた瞬間だった。 その約半月後位に、ユンギさんの「大きな挑戦」、世界を巡るソロツアーをすると知る。 しかも「解禁」し、「D-Day=始まりの日」だと言う。
今日、実は誕生日を迎えまして。 まぁ幾つになったか?などの細かい事は置いときまして笑。 そこで自分のここの所の想いを振り返ってみたんです。 あまりに長くて重くて、Xには収まりきらないし、TL(今はなんと言うのだっけ)を荒らしてしまうし でもなんだか今年は、最愛のあの人と共に過ごしている(と勝手に思ってる)この半年、人生の一大事だったのでは、と思うほどには…濃くて重くて苦しい、だけど愛しくて身を切る程に切なくて、とても熱い時間を過ごしていて。 だから言葉にして、私のこの時期