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立ち向かう
ユンギさんを検索すると初めに出てくる画像が、あの警察暑前でのフォトラインに立った時のものだ、と海外アミが悲しみと憎しみを込めて言っていた。
そしてそれこそが、彼らマスコミやアンチ達の目的だと。書き立て、責めるのに格好の材料にされた、と。
私達ユンギペンにとってあの日から、
生きた心地がせず、でも彼のしてしまった事へは擁護はできなく、しかしそれを猛省してもの凄く後悔して、メンバーとアミへの申し訳なさで潰れそうになっているだろう彼に、何もしてあげられない無力さに、ただ必死にこのひと月半程を過ごして来た。
苦しい、心には暗くて大きくて深い闇が広がっているようで、冷たく重い鉛の塊をお腹の底に抱えているようで、私の場合はずっと何を食べてもあまり味がよく感じられない。
でも、それを辛いと言えず、あそこまでの仕打ちはあまりに酷く、ユンギさんをどうにか守りたい、でも他のメンバーやそのファンの方達もまた、この先どうなるか、グループを存続出来るか、来年からの全員揃っての活動は開始出来るのか、不安で心配な気持ちは同じはずだし、彼に対する思いが良いものばかりではなく複雑、なのかも知れず、それは理解出来るし否定も出来ない。だから辛いとも苦しいとも言葉に出す事ができずに来た。
そしてフォトラインのあの写真は、この先々の未来にもずっときっと延々と、あらゆる場所に使われ、
事あるごとに、ない時にも、いやむしろ順調な時にこそ、アンチ達や彼や彼らの煌めきや成功を邪魔するための材料にされてしまうのだろうな、と。
そう考えるだけで、氷水を注がれたみたいに、心の底が冷たすぎる温度まで冷え切ってしまう気がする。
そして彼が「この先それを悔いながら生きていきます」と言った言葉を思い出す度、悲しみの影がぐんと濃くなる。
フォトラインに立つ事は、その位にあまりに大きい影響を及ぼす事も、その代償がその後の彼のアーティスト人生に付いて回ってしまう事も、判っていただろうし、彼らBTSがその位の大物アーティストが故に、他の人や一般人が同じ事をしたとして、それと同じようなやり方で謝罪と償いをしても、騒動が収まるのは難しいのかもで、ましてやあのようなマスコミの過熱が熾烈を極め、彼や会社としても避けては通れなかったのかも知れない。
しかし、会社はもっとしっかり、アーティストを守るその方法を模索出来なかったのか、とも思う。
しかし又、途方もなく膨大な数のあの記事は、酷すぎて世界のファンからのみならず、他国のマスコミからさえも猛批判があるレベルなのには驚愕したが皮肉だがやはり存在感の大きさを数字で示したのだろうとも思う。
その後に葬送の花輪設置や脱退要求トラックの広告掲示等、想像を超えた憎悪に晒されて、大袈裟でなく生きた心地がしなかったが、それでも抗う事はかえって事態の悪化を招くという本国の文化的感覚に、じっと沈黙を守り耐えるあの国のARMY達に伴走する思いを何とか保ち、
ある時のアンチの一斉告知攻撃に対抗する為の、これまた一斉声明文でタイムラインを埋めるという呼びかけまでは耐え、あの時に放たれた宣言の声明文に大きな違和感や抵抗もあった人も多かったとは思うが、WeverseとXのタイムラインが紫色一色に染まって、それはすごい光景だった。そう言ったなるべくポジティブな方法を使って、憎悪の闇に太刀打ちし、彼と彼らを守ろうというやり方に、私自身は賛同してそのように行動した。
でも出来るだけこの先は、もっと優しくて愛溢れる言葉や想いや画像の紫色で染めたい。そう強く願っている。
無難に、程々に、あまり過激な事はしたくないと思う人は多いし、それは確かにそうだ。攻撃に反撃するみたいで抵抗があって自分には無理だ、というのも良く分かる。私も出来るだけ、世界中に発信するのは優しい温かな言葉で、にしたい。
でも今回ばかりは、大事な人を、その人があまりにも傷つけられ虐げられる事を許すわけにはいかなかった。たかだか掲示する事しか出来なかったけど、彼を攻撃するのがマスコミとアンチ達の嘘と罠と欺瞞に満ちた言葉という槍や銃弾ならば、私達が彼を護るのもまた、愛が根本にある、強い意思を示す
言葉という彼を守る盾とシールドだと強く思ったから。
けれど、こうも思っている。フォトライン、あれはもしかして、ユンギさん本人の自らの意思ではないか、と。
それも、マスコミの大騒ぎを収める為ではなく、いやそれも又あるかもだが、それより、顔を見せてきちんと謝罪をしたかったのではないか、と。
あの強いフラッシュの嵐の中に立ったのは、彼の覚悟だったんだろう、と思った。
あの彼のやつれ憔悴し切った顔、そして一番ショックを受けたのは、光を失った目とその表情。
一生忘れられない。いや、一生忘れないでおく。
彼がそんな顔を見せてまでも、強い責めのフラッシュという光を浴びせられてでも、ファンとメンバーに自分の姿と言葉で伝えたかったのではないか、と思ったから。彼はそういう人なのではないか、と。
これはあくまでも私自身の思いで、彼の真意は誰にも分からないけれど。
でもその後にWeverseに彼が載せた、深く心から詫び真剣に書かれた直筆の手紙を読んで、きっと彼なら過ちに真摯に向き合い、必ずまた立ち上がって進めるだろうと思えた。
何より、「生きていきます」という言葉に
またすごく泣いたけれど、安心もし、共にまた行くという意思を固め直す事ができた。
人の人生での正念場は、波に乗っていたり上手く行っている時より、寧ろ失敗したり過ちを犯した時、怒りや悲しみなど、ネガティブな事柄が起こった時こそ、本当の力の見せ所なのかも知れない。
その渦中にいる時には、この世と自分のいる世界の終わりかと思うほどに苦しくて悲しく、虚無感も酷い。
けれども試練は、乗り越えたその先に咲く花が必ずある。
人生はそんなに簡単ではないし、ずっと長い事試練の中にいると感じている人がほとんどかも知れない。いつも同じ事や感情、人環境などに悩み、息をするのも苦しい生き方の人も、きっと多い。
でも、それを見つめる視点を少しずらし、つまり自分から動き変化する事で、その変わろうとする「気」に、物事や人もまた変わって行くのではないかと思う。つまり、自分を取り巻く周囲のエネルギーや環境が、自分の発した変化のエネルギーに反応して変わる、化学反応のようなものがきっとあるのではないか。私はこんな風にずっと思って来ている。そして、変わるぞ、良い方へ変わりたい、変わって見せるぞ、としっかり意思決定する事で、物事は転がって行き、進む自分に必ず付随してくる。
ついて来てくれる。でも、それは良い事だけでなく、悪い事も。
だから悪いマインドはなるべく持たないように、人間だから多少は抱いてしまうけれど、なる早でそれらを手放し、明るくて前向きな良いマインドを持ち、それが引き寄せていく良いものだけを味方にして行かなくては、と思うのだ。
彼の憔悴の表情に辛くて本当にたくさん涙を流した。
消えてしまうのではないかと思う程に青白い顔、
その虚ろな目に、心配で心細くて足元がずっと浮いたような、でも自分の足はズブズブと沈み、重くて引き摺るように歩いていた。
あれから相変わらず食事の味が曖昧で、美味しいのか不味いのかも興味がない感覚は抜けない。
彼が心からまた笑えるまで、ご飯を本当に美味しいな、と思えるまで、きっと自分も同じなのかも知れない。
けれども彼が、世の中やマスコミに、ではなく
これからの自分自身に「立ち向かう覚悟」を
あのフォトラインに立つ姿から感じたから、
自分もまた一緒に、「この私自身」に立ち向かい、
しっかり歩みを進めなくては、とやっと最近、
心に決め、腹落ちした。
彼と彼らにとって、今回の事はそのキャリアや、様々なものを脅かす事柄のように今は思えていたとしても、その悔しさや悲しみ、怒りも、そして彼自身に向けた怒りや後悔、懺悔の想いも、全てを必ず乗り越えて昇華させ、その先に咲かせる花を、私達にまた見せてくれると信じている。
これまでも、本当に色々な事があり、後悔や懺悔も沢山しただろうし、そしてあまりにも多くの憎悪や批判に晒され、それでもお互いの絆と信念で彼らは乗り越えて来たのだから。
私に、そして世界中のもの凄い数の人達に
生きる力をくれた彼ら。
私はユンギさんから、人を愛する事の幸せを教えてもらった。
私が彼と彼らにあげられるのは、信じる事。
そしてこの先も手を離さず一緒にいるという、
約束。
ずっとこの先も、悲喜交々、色々な事を共に乗り越えて行くんだ。
打ち克つんだ、一緒に。
彼と彼らとは運命共同体だから。
私のこれからの人生もずっと応援します
ミン・ユンギと防弾少年団を。
大好きだよ。
彼らに強くて明るくて優しい光が
溢れるほどに降り注ぎますように。
それを毎日、真剣に祈りながら
私も幸せでいます。
それを共にしてくれるARMYの皆さんの幸せも
真剣に祈ります。
皆幸せでいましょう。
Thank you for you all, Yoongi, BTS and ARMYs.
2024.9.20