【追記有〼】台湾の民主化過程を考えてみるnote ② 「日本植民地統治時代(1895年~1945年)」
台湾の民主化を追うnoteも今回で2回目!
あれですよ、前回までのやつがね、んまぁ文章が固いと。
方々からお叱りを受けてまして(受けてない)、今回からはまぁ書いてることは真面目なんだけれども少しばかりはふざけようと、そいういう態度で書き進めております。
まぁ歴史のこと書くからって、硬い文章である必要ないですから、ね!
…ね!
というわけではじまりはじまり~
日本の台湾植民地時代
まずはこちらをご覧ください!
この年表、前回も示したんですが、まぁまず何を言いたいかというとね、1900年ちょうどぐらいから日本は中国との戦争(日清戦争)に勝って、所謂下関条約でもって、台湾を1945年の終戦まで植民地として占領してました!ということですね。
この事実を知らなくてね、もしくは無視してね、台湾は親日だよね~なんてはしゃぐことは、しゃらくさいわけですな。
だって、占領して日本の文化を押し付けて、搾取してたんだもの。台湾の言葉も話させないように日本語学校つくってね。子供から教育するわけでしょう、日本と同化させようっていってね。
ところが、この植民地支配に対して台湾の人々がすんなりと受け入れていたかというと、もちろんそんなことはなく。
時は1911年、中国では辛亥革命なるものが起きました。
辛亥革命によって中国は、(日本が戦争で勝った)清という国から1912年に現在の台湾の国名であります中華民国になったわけです。
この中華民国という国は、孫文さんを中心としていたわけですが、「三民主義」なるものを唱えておりました。それは、『民族主義(民族の独立)』『民権主義(政治の民主化)』『民生主義(民衆生活の安定)』の3つからなる革命の指導理論のことです。
つまり、民族を守ろう、政治を民主化しよう、そういう空気が中国では醸成されていたわけですねぇ。
ではそのときにですね、ちらっと横を見てみたらですよ、日本が台湾をですね、植民地化しているわけです。
したら誰がどう思いますか? そう!
台湾の人は思いますねぇ「俺らも民族を守るべきだ。植民地支配なんてやってらんねぇ」と。
で、このあたりから辛亥革命を発端として、台湾内での武装蜂起・民族運動がおこってくるわけです。
日本植民地時代の民族運動
このあたりのことはDIAMOND ONLINEの連載記事にいい文章がありましたので、ぜひとも読んでみていただきたい。(→こちら!)
私的にはこの文章の姿勢に非常に共感してまして、負の歴史もちゃんと知って意識したうえで物事を考えなさいね、と。
で、この文章を読み進めたら、何か思い出したり、感じたりしませんでしたかな。
おやおや、気づかなかった!
それはもったいない!
ここです、ここ。
ここ。
ここを丁寧に描いた映画が「セデック・バレ」(2013年、ウェイ・ダーション監督)なのです。
映画ではセデック族が中心に描かれ、そのゲリラ的な日本人との闘いが素晴らしく泥臭い派手なアクションを見せてくれます。この映画、民族のリアルとその考え方、生き方が悉くかっこいいのですが、彼らの多くは日本人の反撃により死んでいきます。
そこにある程度歴史の知識が重なると、何とも言えない、こう、申し訳なさとか色んな感情が生まれます。自分は結構その感情は大切だと思ってます。
でも、自分はこの映画が面白いと思うし、かっこいいとも思うのですなぁ。
だから過去の歴史を知って痛みを知って反省することと、「あぁこの映画面白いなぁ、かっこいいなぁ」と思うのは両立します、ね。
まぁ、だから、ウェイ・ダーション監督は映画って表現でこの出来事を描いたんだと思いますしね。
つまりは、みんなこの映画みてよぉ、面白いんだからさぁ。
長いけど、ね!!
と、心から思うわけですよ。
これね。
とりあえず、トレイラーでもみればいいじゃない。
最終的に映画の宣伝的な文章になりましたが、それでいいと思ってます。
思ってるけど、少しだけまとめますね。
1900年以降に日本は日清戦争に勝った結果として台湾を植民地化した。
↓
台湾の人々は辛亥革命をきっかけにして、日本に対して武装蜂起を何度も行った。
↓
1931年に台湾共産党・民進党を日本が粛清したことで、この時期の民族運動・社会運動は一過性のものに終わった。
↓
台湾をめぐる植民地統治は1945年の終戦をもって終了。新たなフェーズに入る。
このあたりの歴史の進み方は、ざっくり年表をまとめたものですね。
日本統治時代、台湾は「ハードな権威主義体制」どころか、「日本に植民地化され自身でかじ取りをできなかった状態」だったわけです。
その中でも民族運動はあったし、書いてないけど板垣退助の影響で思想的な民族運動もあったらしいです。そうなってくると、辛亥革命後の武装蜂起と思想的な民族運動はきちんと線引きをして丁寧に説明した方がいいかもですが、わたしの不勉強もあり、「とりあえず反日、もしくは、民族運動的な動きはあったものの、日本の大規模な粛清で一過性のものとなった」という認識で終えさせてください。
(詳しい方は優しく教えてください、お願いします)
と、いうわけで、次回は終戦後の台湾、「蒋介石総統時代」から再開します!乞うご期待!!
今日は以上になりまーす
【追記:日本植民地時代の民主化運動について】
本文ではさらりと流してしまったこのころの民主化を求める運動(民族運動)は、よく考えれば武装蜂起とともに(もしくはそれよりも)書いておくべきことだと、やっぱり思い、追記します。
つまり、思想的なものがなければ武装蜂起もないわけですし、その思想的なものは日本からの影響があったものもあるわけですので、是非書きましょう。
このころの民族運動は2種類に分けられます。
自治主義的なもの
社会主義的なもの
自治主義的なもの
この思想は植民地というシステムは受け入れたうえで、台湾人への自治権(議会の設置、地方自治、全面選挙等)を求める思想でした。
このころ、日本との同化政策がとられていたわけで、自然、日本の思想などは台湾に入ってきやすい環境でした。ですから、板垣退助の台湾同化会の思想が源流で非常に日本的な思想です。
だって「植民地を受け入れたうえで」という考えは、支配側からの意見ですよね、どう考えても。
この思想によって台湾民衆党が組織されましたが、うまくいかなかったようです。
社会主義的なもの
この思想は、まず植民地というシステム自体に批判的で、そもそもの台湾人(中国人)としての民族独立を求めるものでした。特徴でいえば、社会主義的な考えと、民族主義の考えがミックスされたようなイメージだったようです。植民地支配に批判的であるということで、非常に中国的な思想だといえるでしょう。
で、結局同じようなことを書いてしまうのですが、これらは一過性のものに終わります。
というのも、1930年ぐらいから日本は戦争動員体制に入り、1931年に台湾共産党と民衆党の粛清があったからです。
1936年に日中戦争に突入しますが、日中戦争勃発当時は台湾人の徴兵はなかったようですが、1937年ぐらいから軍夫の募集があり、1942年からは兵志願制度があったようです。つまり、台湾人も日本の戦争に駆り出されはじめ、大きな世界大戦へと突入していくのです。(参考:ウィキペディアですみません。。。)
日本の戦争に巻き込まれた台湾(このころは韓国もですが)に、民族運動を行う余裕などなかった、というのが本筋だろうなぁ、というのが私の思ったところです。
かように、日本統治時代でいえば、民主主義的なものを求める運動というのはこれら民族運動が該当し、1945年の終戦まで、台湾は植民地だったわけですから、とてもとても民主化の兆しなど皆無だったと言わざるを得ないと思います。
追記、真面目!
追記、終わり!
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