おいしい歳時(1月、「屋台ラーメンには気をつけろ」)
幼稚園の年長か小学一年生ぐらいのころ、住んでいたアパートタイプの社宅に秋から冬にかけてラーメンの屋台がやってきた。週に一度、金曜日とか土曜日の夜にてれれーれれとラッパの音を流して赤提灯を下げた軽トラックが社宅の前に停まった。馴染みの音が流れると建物から大人も子供もぞろぞろ出てきて、結構な人数が外でラーメンを啜った。味噌か醤油か塩から味を選んで、バターコーンとかチャーシュートッピングとか、色々工夫をしていたようである。寒い季節にだけ屋台はやってくるから、冷えた空気の中で啜るラーメンというのはなんとも言えず美味しかった記憶がある。ただその美味しい記憶にくっついて、どうにもマズい記憶も同時に想起される。
その日いつものように近所の子供達に混じってラーメンを注文して、大人がお金を払っているあいだ、少し高くなったコンクリートの塀のところにみな自分のラーメンを置いてお喋りしていた。僕もその辺りにラーメンを置いたはずだけれど、辺りは薄暗くなり始めて、ラーメンは冷めそうだし僕は早くラーメンを食べたいのに、並んでいるラーメンはどれも同じものに見えた。僕は僕のラーメンがどれだかわからなくなったのだった。このころの僕は近所の子供達の中でも比較的年下で、年上に振り回される嫌な思い出もあったけれど、自分だけが幼いが故に泣いてしまえばなんとかなると思っていた節がある。自分のラーメンがどれだかわからない、でもすぐにでも熱々のラーメンを啜りたい。困った僕は、あたりをつけて多分これだというものを選んで、ラーメンの前にかがんで勢いよく麺を啜りだした。その瞬間後ろから聞こえる「それ俺のやつや!」の声、その瞬間僕は(心の準備をしていたとおりに)大きな声で泣き出した。駆け寄ってくる大人たち、泣きじゃくる僕、困惑するラーメンの持ち主。遠ざかる記憶。その後のことはほとんど覚えていない。
確かな記憶としてあるのは、「わかんないけどどれでもいいから食ってやろう」という食い意地と、「なにかあったら泣いてやろう」という幼い性根の悪さと、実際にことが起こったときにわんわん泣きじゃくったことだけである。自分の記憶の中では、自分自身が少なくとも小学一年生以下だったと思っているのだけれど、曖昧な記憶だからもしかするとある程度大きくなっていて小学三年生とか四年生のころのことだったのかもしれない。だとすると泣きに対する考え方が怖い。誰かに確認してみたいけれど、家族やなんやに聞いてみて、本当は小学六年のころだった、とかだったら人間的にもうダメだから、誰にも詳しくは聞けずにいて幼い頃の食い意地と意地の悪さの思い出としてほんわり自分の中だけで持っている。
いつの間にか社宅にラーメンの屋台は来なくなって、随分前にその家からも引っ越した。僕のラーメン取り違え事件が、ラーメン屋台が来なくなった理由でなければいいと、今でも屋台のラーメンを思い出しては思うのである。あー、ラーメン食べたい。