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【掌編小説】不在の解と存在の不安と

 最近、街中や観光地のライブカメラ映像を流しておくことにはまっている。時間ごとに行き交う人波が増えたり減ったりする淡々とした映像を見るともなしに眺めていると、日々の暮らしについて回るどうしようもなさや煩雑さに追われる精神をリセットとまでは言わないが、多少なりとも癒やす効果のあることに気づいたからだ。
 バラエティ番組の賑やかさや、敢えて距離を置きたいニュース等、インターネットを含めれば溢れかえる情報に疲弊してしまう時、自分の属する世界を客観視することで一息つけるのがありがたい。
 ようやくこぎつけた金曜の夜。一週間の頑張りを労うべく、普段よりワンランク上の惣菜を買い込んで帰宅する。パックのままテーブルに並べるが、皿に移して味が変わるわけでなし。疲れた体には視覚の楽しみより、洗い物の労力削減の方が重要だ。
 箸を口に運びながら、空いた手でリモコンを操作する。全国各地、時により海外の景色も選択肢に入るライブカメラだが、週末の夜に関しては自分が離脱してきた都会のカメラ映像を見ることに決めている。
 走り抜ける電車の間隔は短く、信号が変わるたびに自動車が列をなす。足早にそれぞれの方向へ歩む人々はこれから会社に戻るのか、既に退社して帰路の最中なのか。曜日がら、遊びに出かける人もいるだろう。同じ時間を生きながら、目的や行き先は人の数だけ存在し、自分もまたその枠に括られる一人なのだということに、どこか不思議な心地を抱く。
 そんなことを思いながら、値段の分だけ衣が厚すぎないエビフライに伸ばしかけた箸が止まった。ライブカメラの映像をただ流しているだけでは、細かい人物の判定はほぼできない。にも拘らず、オレの目は映像の中の『ひとり』に吸い寄せられていく。せいぜい男か女の区別がつくかどうかという範疇において、ソイツは明らかに異質だった。
 その男は、別段奇抜な服装ってわけじゃない。ただソイツが着ているT シャツには見覚えがあり過ぎる。大好きなYouTubeチャンネルで発売された数量限定のそれは、つい先日ウチにも届いたばかりだ。お目にかかったことはないが、たまたま同じ趣味のヤツかも知れない。Tシャツだけならそう思うところ、ソイツが履いているジーパンとスニーカーは、休みが来たら届いたばかりのシャツと合わせるために新調したものと激似だし、何よりその男の顔がどう見てもオレにしか見えない。
 遠目からのざっくりとした印象すら伝わるかどうかという人の群れの中で、その男だけはなぜか認識できる、ような気がする。実際にそうなのか、ある種の思い込みがそうさせているのかは定かではない。だがオレは、それを自分だと感じた。そんなわけはないのに、理屈の全てをすっ飛ばし、自分だと認識してしまった。
 指から離れた箸が音を立ててテーブルを転がったが、オレの目はひたすら画面の中の男を追う。男が口にしたドリンクの形態さえ見えるなんてことがあるか。あるわけない。それなのに、わかると感じる。某コーヒーショップの季節限定ドリンク、それもまた明日の休日に飲もうとしていた代物だ。
 この不快と不安を表す言葉が出てこないまま、即効性の毒が回るような衝動にまかせてテレビの電源を落とし、椅子を立つ。このまま画面を見続けることも無理なら、部屋にいることすら恐怖を覚えた。
 一週間をやり遂げた自分をいたわるはずが、なんでこんなことに。何でもいいからこの現象に対する解答が欲しかった。単なる気のせいでも疲れが高じたでもいい。無自覚に溜まったストレスのせいなら、それ専門のクリニックを受診することにも抵抗はないのだから。
 部屋を出たところで答えが見つかるとも思えないが、物理的に環境を変えでもしなければ落ち着こうにも落ち着けない。外へ飛び出したはいいがあてもなく、とにかく人のいる場所に行きたくて近所のコンビニに向かった。
 明るい店内で思い思いに商品を選ぶ客の姿、そこそこ忙しい時間帯だろうに愛想のいい接客を続ける店員の声に忘れていた安堵が込み上げる。心許なく冷えた体内にそれが満ちるまで、目にとまった雑誌をめくりながらじっとその時を待つことにする。ひとまずの方針が決まっただけで、グラつく精神にか細いながらも芯が通る気がした。
 だが不意に浮かぶ余計な思考が水を差しては安堵から引き剥がそうとするたび、頁を捲る指が強張るのを抑えられない。
 あの映像に突如として現れた『異物』。それが知らぬ間にこの店にも紛れ込んではいないか。店に入ってくる客、出て行く客、たった今自分の後ろを通り過ぎた客はどうだ。そんなビジョンを振り払おうとすればするほどリアルに描いてしまう、嫌すぎる引き寄せの法則から何とか抜け出そうと苦心する。
 どのくらいそこにいたのか。気づけば客の出入りも落ち着き、店内の雰囲気もゆったりしたものに変わっていた。その空気を目一杯吸い込んで、読んでいた雑誌をレジへ持っていく。肺に満たした空気と適当に立ち読みをした雑誌。それらはこの店で得た普通の日常だ。それを御守り代わりにアパートへ戻る。数時間前に駆け下りた階段を、今度は意図してゆっくりと上った。
 三階建ての最上階、一番右端のドアの前で深呼吸をする。慌てすぎて施錠し忘れたという不安もあったが、戸締まりは忘れなかったようだ。ガチャリという音と共に鍵が回る。ドアを開けるのは少し緊張した。あの映像を目にした部屋というだけで拭い去れない不快と違和が甦るが、玄関の外に突っ立ったままでもいられない。
 オレは思い切って玄関へ足を踏み入れた。三メートルばかりの短い廊下を進み、リビング兼寝室のドアを開ける。
 そこには誰もいない。いてたまるか。願いに沿うように、見慣れた空間に人の姿はない。だがテーブルには、在った。広げたままの惣菜と転がった箸の横に、某コーヒーショップのカップが倒れてテーブルを汚している。
 僅かに残った中身の色から察するに、それは期間限定ドリンクで明日飲もうと思っていてさっき見た『オレ』が飲んでいたやつで。
 買ってきた雑誌が床に落ち、無残に折れた頁が広がった表紙からはみ出している。本の形から逸脱した不自然さは、まるで高い所から落下した人間を思わせた。
 嫌な想像ばかり浮かぶことが嫌だ。オレが出かけている間に帰宅したらしい人物は、テーブルに並んだ惣菜を見てなんと思ったのか。

 どうして昨日食べたものがここに。

 そう思ったが最後、言い知れぬ恐怖に衝き動かされて部屋を飛び出して行ってくれたのならいい。
 それなら、赦せる。

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