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【掌編小説】同級生

 カノジョの周りの空気は何だかキラキラしていて、口を開けばそこにふわふわが加わる。そして何気なく返した言葉に飾らない笑顔を向けられたら、制御困難なドキドキまで乗っかってくるんだから勘弁して欲しい。
 甘いお菓子の匂いがしそうなあの子は自然と男どもの視線を引き寄せちゃってんのに、当の本人はまるで無頓着なんだからアブないったらない。自分を良く見せることに必死なクラスメイトとは別の種類みたいな。とにかく天谷恵って子はそんじょそこらのかわいいだけの女とは違うんだ。
 確かに甘くていい匂いもするけど、それだけじゃない。陸上部の敏腕マネとして部員たちを前にした時のあの子の熱さと強さ、そして汗の匂い。懸命にサポートに徹しながら、その目は強く、強く、選手たちを真っ直ぐに見据えている。文字通り魂を込めて声援を送り、走り去る選手の姿を焼き付けるみたいに目を逸らさない先にいる奴らが羨ましいだなんて。
 私がそんなことを思ってるなんて知ったら、あんたはなんて言うだろう。
「あのさメグ、ちょっと目ぇつむってみて?」
「いいよっ、こう?」
 部活のないテスト期間、誰もいない教室で勉強をしていた私たちもそろそろ帰らなくちゃいけない。でもその前に。教室に二人だけという非日常が、気付けば私にそんなことを口走らせた。
 いつものおふざけだと思ったのか、メグは何が起きるのか分からないことを楽しむみたいに目を閉じた。ばさりと音がしそうな長い睫毛。口元は今にもこぼれそうな笑みを堪えるように薄く開いている。
 うん、女の私から見たってあんたは可愛い。羨ましいくらいに女の子なんだから。けどさ、私気づいちゃったんだ。あんたの可愛さをいいなって思うより、あんたが真剣になってる奴らの方が羨ましくなっちゃった。これってさ、もしかしてそういうことなのかなって。
「汐ちゃんまだ? もう開けてもいい?」
 わくわくした口ぶりに、白い頬に近付けかけた顔を急いで離した。まだ、イヤだ。私はまだ、この子といたい。一緒にいたい。友達の中の一番でいたい。
「いいよ開けても! ホラこれっ、前髪の先っちょにゴミついてたから! 目ぇ開けたまんまだと危ないでしょ? ッたく相変わらずぽやっとしてんだからっ」
 必死で誤魔化そうとする私に、メグが照れくさそうに笑う。
「そうだったんだね、ありがとう汐ちゃんっ。何だか汐ちゃん真剣な顔してたし、てっきり私はキスしちゃうのかなって思ってたよ。ふふっ、勘違い勘違い」
「……なによ、してもいいって言うの」
 バカバカ何言ってんだ私のバカやめろって! 理性が叫ぶのに、勝手に動く口を止められなかった。後悔先に立たずとか上手いこと言うな。そんなことをぼんやり考えながら怖くてメグから目を逸らした私の鼻先に、不意に大好きな匂いが近付いた。あまくて優しい、メグの匂いだ。
 びっくりして目を開けようとした途端、制止の声が動きを封じる。
「まだダメだよ」
 囁くように告げられた意味を理解するより先に、右のほっぺたに柔らかいものが触れた。今度こそ驚いて目を開けると、すぐ傍にメグの顔がある。少しでも動いたらくっついてしまいそうなくらい、近くに。
「えへへ、しちゃった」
 恥ずかしそうに早口で言われて、我慢できずにちょびっと涙が出かかった。悲しいとか嬉しいでもなく、仲いい子同士のおふざけで済ませられない自分がイヤだった。私の目が潤んだせいで、メグの瞳に心配の色が浮かぶ。
 ──汐ちゃんが泣いたの、わたしのせいならいいのに。
 かろうじて聞き取れた言葉が幻聴でないことを祈った。確かめようとした矢先にメグの唇が私の口にくっついたから、今度こそ持ち堪えられずに瞼のふちからそれはあふれた。ノートの上に、ぱたりと雫が落ちる。
「いいこ……、いいこ……」
 あやすように髪を撫でられて、また泣いた。期待したいのに怖くて、なんにも言えないんだ。
 誰もいない教室の一番後ろ。向かい合せた机を介し、なんて呼べばいいのか分からない空気に包まれながら柄にもないことを思った。この時がずっと続けばいい、だなんて。顔を上げたら絶対に元の自分に戻ると言い聞かせて、今はされるがままになっていた。
 だってこんなの私らしくない。言いたいことも言えずに俯くだけだなんて。あともう少ししたら教室も出ないといけない。その時にはきっといつも通りにするから。
 そうしたら、ガハハって笑いながら一番に言うんだ。何してくれてんのメグ! いくら仲良くたって、口にするもんじゃないでしょって。そしたらあんたもさ、笑ってごめんって言ってよね。


 ほんと頼むから、お願いね。



↑はメグ目線の短いお話です。




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