弱さは強みになる【死にたい夜に効く話.22冊目】『弱いロボット』岡田美智男著
昔、ペットを飼っていた。
ビビりで体は弱くて、たまにドジをする。ただ、愛嬌のレベルが桁違い。
「もーしょうがないなぁ」
そうやって、面倒をみてあげているうちに、家族全員は見事に手中に収められ、もはや、家はその子が中心に回っていたと言っても過言ではなかった。
弱いロボットを知った時、きっと目の前にしたら、かつての「もーしょうがないなぁ」な感情が出てくるんだろうなぁとは思っていた。
それにしても、
かわいいにも程がある。
『弱いロボット』
豊橋技術科学大学教授の岡田美智男先生が生み出した「弱いロボット」
それは、「一人では何もできない」ロボットだ。思わず助けてあげたくなってしまう。
人間の形をしているわけでもないのに、人間味を感じる。
ゴミ箱ロボット。自分でゴミを拾えないから、人に拾ってもらう。
昔ばなしをしてくれるロボット。たまに忘れるし間違える。
ラボ公式サイト。たくさんの弱いロボットたちが紹介されている。ちょっとシュールな佇まいに、ふふっと笑ってしまうのはわたしだけだろうか。
弱いロボットたちがどのようにして生み出されてきたのかが語られる。
ただ、ロボットの作り方や、技術的なことがメインじゃない。
ロボットの話でありながら、人間の話、コミュニケーションの話なのだ。
以下「はじめに」から。
歩くとはどういうことか。
雑談とはなんなのか。
わたしたちが、何気なくしている行動とはなんなんのか。
話は言語学、哲学、心理学など、さまざまな分野の知識が縦横無尽に混ざり合いながら展開していく。
(なお、ピングーがちょいちょい例として出されるため予習しておくように)
ロボットを通して、人間とは何かという新たな発見があり、
人間を通して、新たなロボットのあり方を発見する。
「む〜」というロボットを子どもの療育施設や高齢者福祉施設に連れて行った時のエピソードは、どこかほのぼのしていて好き。コミュニケーションとはなんなのかを考えさせられる。
子どもたちの中には、親や先生に「面倒をみてもらう」立場から、「面倒をみてあげる」立場になり、周囲の大人たちをびっくりさせたり、高齢者の方が、家族の面倒をみてきたことを再び体感しているのか、生き生きとした様子をみせたりしたらしい。
「もーしょうがないなぁ」と手を貸すことは、ある意味、自分がいることの意味を与えてくれることでもある。
手を貸す側の人にとっては、「誰かに必要とされている」という感覚は、ある種の癒しや救いにもなっている気がする。
弱いロボットは、ただ「かわいいロボット」で収まらない何かがある。
コミュニケーションという形をとって、人の中に眠っていたものを引き出す何かがある。
ちなみに、ドラえもんを作ろうとしている研究者・大澤正彦先生の著書『ドラえもんを本気でつくる』の中では、HAI(ヒューマン・エージェント・インタラクション)の例として弱いロボットが挙げられている。
弱いロボットにあるのは、「他力本願」な「委ねる力」だ。
拾えないなら、拾ってもらう。
動けないなら、動かしてもらう。
間違えたなら、教えてもらう。
ロボットの弱さは、ロボットと人との間に新たな関係性を生む。
ときに弱いロボットを媒介にして、周囲の人と人との間を結びつけ、新たな関係性を生む。
まるで、うちで飼ってたペットみたいに。
これはロボットやペットに限った話じゃなくて、人間にも当てはまるんじゃないか。
ゴミ箱ロボット開発時のこと。
「すべての課題を自分の中だけで解決しなければ」というこだわりをあきらめてみれば…
自分は、ポジティヴな諦めは時に必要と思っている。
以前は完璧主義が抜けきれず、「弱さ」とはよくないもので、どうにかそれを克服するか、あるいは隠すべきものだと思っていた。
だからこそ、ペットを飼った時、むしろ「弱さ」を持つからこそ、家の中で絶対的な地位を確立する様を見て、弱さとは決してネガティヴなものではない、と気づいた時は衝撃だった。
弱さがあったおかげで、ゴミ箱ロボットは、結果的にゴミを拾うという目的を果たせているし、昔ばなしをするロボットは、子どもたちの興味を惹きつけてコミュニケーションを取ることに成功している。
人間だって、自分の「弱さ」を認めて、それをどう使うかが問題なんじゃないか?
もしそれがうまくいくとしたら、「弱さ」は「強み」になるんだろう。
「弱さ」を活かすも殺すも、自分次第なのだ。
まぁ、そういうわけで、わたしは今この子達を家にお迎えしたくてたまらないわけなんだけど、
かわいいにも程がある。
〈参考文献〉
岡田美智男『弱いロボット』医学書院、2012年
岡田美智男『〈弱いロボット〉の思考:わたし・身体・コミュニケーション』講談社、2017年
大澤正彦『ドラえもんを本気でつくる』PHP研究所、2020年
(追記)
岡田先生の別著書『〈弱いロボット〉の思考:わたし・身体・コミュニケーション』には技術の変遷や制作の過程がより詳しく書かれていて、こちらもおもしろい。先生と学生さんたちとの掛け合いが、いい味出してる。