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後南朝の河が流れる


後南朝という時代に惹かれている。
後南朝、なんていう「時代」は、まぁ、ないのだが。
教科書にも載ってない。
足利義満の時代に南北朝の形の上での合一がなり、南朝・北朝から交互に天皇を決める(両統迭立)という取り決めがなされたあとに、その取り決めがあっさりと反故にされて北朝系の天皇ばかりが即位するようになった。
それを不服とする南朝の遺臣たちが、廃された南朝の皇統を担ぎ、50年以上に渡ってゲリラ的に騒動を繰り広げた。これを後南朝という。

最初はここシミルボンにも書いたことのある花田清輝『室町小説集を読んで、だった(→『「膝カックン」的カタルシス』)。
この後南朝周辺のことを書いた連作短編集は、エッセイとも小説ともつかぬ、虚実ない混ぜの、しかも真贋明らかならぬ史料を縱橫に駆使して描く、不思議で難解な物語である。
その第一作は谷崎潤一郎『吉野葛』という小説をとっかかりにして書かれる。
『吉野葛』は谷崎潤一郎が後南朝の悲劇の王子「自天王」の足跡をたどろうとして、なんか途中で諦めてしまうような、半端な小説である(笑)。

『吉野葛』を読んだ花田清輝が『室町小説集』を書く。
そして、『室町小説集』を踏まえて、もう一つ別の物語が生まれていた。

後南朝のことを調べようと、花田清輝を読んだ後にいろいろと探したのだが、森茂暁『闇の歴史、後南朝 後醍醐流の抵抗と終焉』という本くらいしか辿り着かず、悶々としていたのだけれど、なんと、実はものすごく近くに、そう、びっくりするくらい近くに、後南朝の物語は隠れていた。
なんと、家の本棚に(近っ!)

僕は30年来の皆川博子ファンである。1986年に直木賞を受賞した『恋紅』以来ずっと、ほぼ追いかけているし、本棚の一棚分以上、冊数にすれば40冊以上持っているのではないだろうか。
今まで受賞した賞を列挙してみれば、この人の作風の広さがわかりやすいと思う。

学研児童文学賞、小説現代新人賞、日本推理作家協会賞、直木賞、柴田錬三郎賞、吉川英治文学賞、本格ミステリ大賞(wikipediaより)。
江戸川乱歩賞と泉鏡花文学賞も候補には入っている(学研児童文学賞は今回調べて初めて知ったなぁ)。

純文学、幻想文学から本格ミステリーまで多岐にわたった傑作を数々残し、御年87歳、いまだ現役バリバリの怪人だ。

先日、家にある40冊以上の皆川博子の背表紙を眺めていたら、話の内容をまったく思い出せない本があった。24年前に刊行されている『妖櫻記』上下巻
昔は出れば必ず買っていたので、この本も24年前に買ったものだと思われる。なのに、内容を思い出せない。
どうやら読み忘れていたようなのだ。
1993年といえば、皆川博子は『妖櫻記』の他に『骨笛』『滝夜叉』『妖笛』と幻想文学系の著作を続々刊行している。当時、年に4〜5冊ペースで出版する多作な作家(なのにおそるべきクオリティを維持!)だったので、どうやらうっかり買いっぱなしで読み忘れていたらしいのである。

これが、後南朝を舞台にした小説だった!

近っ!

24年間読まれず棚に眠っていた宝を数日前に発見して、今、喜び勇んで読んでいる最中である。
読み終わる前にこれを書いている。どれくらい嬉しいかわかってもらえるだろうか。
上巻を読み終え、下巻に突入。面白すぎて吐きそうだ(笑

作中、花田清輝の『室町小説集』に触れている箇所がある。花田清輝は大法螺吹き、と(愛をもって)貶していて笑った。おそらく『室町小説集』が、『妖櫻記』執筆の端緒になったと思われる。

谷崎潤一郎『吉野葛』 → 花田清輝『室町小説集』 → 皆川博子『妖櫻記』

という、見事な河が流れた。
下巻も半ばを過ぎて、もう少しで終わってしまうのが悲しくて仕方がない。

読み終わったらまた書きます。

(シミルボン 2017.9)

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