2021-2022
2021年は総合して、“他人の苦しみ”に苦しむ1年でした。
自分以外の人が苦しんでいる姿や、その地獄を垣間見ることで、自分もその苦しみを体験せんとばかりに、引き摺り込まれてしまうことが多かった。
やっぱり、苦しみや悲しみは伝染する。それが近しい距離であればあるほどに。
他人の苦しみはわかりっこないのに、理解しようがないのに、わかってあげなきゃ自分が解決してあげなきゃ寄り添ってあげなきゃ、とばかり考えていました。今もふと気を緩めていると、その思考のループに陥ります。
言わずもがなこの思考は自分の首を絞めることにも繋がっていて、新たな地獄を独自展開してしまう。
苦しみは本当に沼のようだ。もがけばもがくほど身動きが取れなくなるし、処理しきれないから留まってしまう。
誰か助けてくれ、と思います。でもこの苦しみに気づいて助けてくれる友達はいない、とも思います。それゆえ孤独を感じます。それらも全て自分が独自展開した地獄の中の一要素でした。
孤独って、被害妄想に近いことが多いなあと、わたしの場合は思います。
地獄の緩和策として、少しずつ内省を繰り返すことで、自分が感じていることを拾い上げていく作業を講じました。
でもこの作業ってかなり根気がいるし、いちど気づいたことは忘れないようにすることがさらに大事だと思うようになりました。
ただこれが本当に難しい。結論に辿り着いたはずのことをまた思い出して考え込んでしまっていたなんてことは結構ある。
だから、このように記録しておこうと思った次第。
わたしは、自分の苦しみや地獄は自分だけのもの、誰にも侵害されず否定されない、特別なものだと思っています。
だからこそ、他人の苦しみや地獄にわたしが干渉すること自体が烏滸がましいとさえ言えてしまう。
他人に左右されない、されるべきではないもの。自分の世界は自分だけのものですからね。それは幸福の尺度や感度に関しても同じように言えると思います。
「ならば、自分が感じたように行動すればいいだけだ」と簡単に言いはしますが、その習慣がこれまでなかった人間にとってはなかなか難易度が高い。他人の顔色を最優先に自分の行動を決めていたので。
聞こえはいいですが、自分に責任を負わせたくなかっただけだからなあ。
だから少しずつ、自分の性格や感覚と、新たな気づきや取り入れたいものを選ぶところから、選んだ後はそれらをうまく折衷していくのです。
(うまく、の部分は要検討)(ここがいちばん重要なんだがな)
2022年は大きく、“自分のことは自分で決める”と、“他人と比べない”という2つの目標を立てました。
自分の苦しみを他人のせいにしないこと。そして自分の苦しみや幸福を他人と比べないこと。
また、今わたしの中に、まわりに、確かにあるものをしっかりと見ること。
他人にぶつけてみて跳ね返ってきたもので自分を象り自己定義するのもいいですが、まずは自分の感覚を優先してあげたい気分の年始です。
まあ、あまり気負いすぎず過敏にはならず、いい感じに適当に。自分のために生きてくれる自分を大切に。
追伸:おいしいものたくさん食べたいです。