見出し画像

「嫌われる勇気」を読んだまとめ vol.2

 みなさんこんにちは,断食をしております.よもぎでございます.この記事を書き始めた10月15日は断食3日目になります.先ほどまで断食の記事を書いていましたが,それをやめて仮眠をとった後,少し勉強をし,飽きたためバイトの時間までこの記事を書くことにしました.

 ここで少し本日の思い出を語ります.本日の出来事はクラスで運動会をしたことです.今日,明日は「特別日課」といってそれぞれの学年,クラスがいろいろなことをします.工場見学をする学年や,インターンシップ報告会をする学年など様々ですが,5年生にもなるとやることもないため,自由にすることを決めて遊んでいい日になってしまうわけです.そこでクラスで運動会を行うことにしました.非常に楽しかったのですが,空腹がつらい.本来なら断食の期間に運動することはNGなようです.詳しくは知りませんが,なんかだめみたいです(笑).調べてなくてごめんなさい.

 さて前置きはこのくらいにして先日読んだ本,「嫌われる勇気」のまとめを引き続き行っていきたいと思います.それでは始めます.

自分のことが嫌いな理由

 前回この物語には,アドラー心理学を心得ている哲人(てつじん)とその考えを論破しようとする青年の二人が登場することを説明いたしました.この青年,自分のことが嫌いなんです.なぜ自分のことが嫌いなのか.哲人に言わせれば「自分のことを好きにならないでおこう」と決心している.というのです.何とも目的論らしい考え方ですね.そんな自分のことを好きにならないでおこうと思う人間なんているのかな?という感覚に襲われますが続けましょう.

 ここで前回のおさらいですが,目的論とは「すべての行動には目的があり,その目的を達成するために決断をする」という考え方です.

 哲人はある例を出します.それが赤面症に悩んでいる少女の話です.その少女には好意を寄せている男性がおり,赤面症が治ったら告白したい,というのです.普通なら,この赤面症を治す必要があると考えますよね.しかし,哲人の意見は違います.どうして赤面症になったのか,どうして赤面症が治らないのか,それは彼女自身が「赤面という症状を必要としている」からである,そう言うのです.

 彼女にとって一番怖いこと,それは「わたし(彼女)」の存在や可能性をすべて否定されることです.意中の相手に告白をしてフラれるということは実際にはそうでないのかもしれませんが,赤面症の彼女からすると自分のすべてを否定された気分になるでしょう.そこで,赤面症を患っていることによって,彼女は「私が彼と付き合うことができないのはこの赤面症があるからだ」と考えることができます.そして最終的には,赤面症が治れば私も彼と付き合うことができる,そう考えることによって可能性の中に生きることができるのです.

 彼女に必要なことは赤面症を治すことではない,ありのままの自分を受け入れ,たとえ結果がどうであっても前に踏み出す勇気を持つことである,そう哲人は言うのです.このことをアドラー心理学では「勇気づけ」といいます.本のタイトルにある「勇気」という言葉,また出てきましたね.

 彼女は結局彼と付き合うことになったようです.その後赤面症が治ったかどうかは哲人には分かりません.しかしただ一つ言えることは彼女自身が赤面症を必要としなくなったということでしょう.

 さて,この例をふまえてなぜ青年が自分のことを嫌いなのか,そしてなぜ自分の短所ばかりを見て自分を好きにならないでおこうとしているのかを考えましょう.彼が自分を嫌いな理由,それは彼が「他者から嫌われ,対人関係の中で傷つくことを過剰に恐れているから」です.

 青年の目的は「他者との関係の中で傷つくのが嫌だから」であり,その目的をかなえるために自分の短所を見つけ,自分のことを嫌いになる.そして対人関係に踏み出さない人間になることで誰ともかかわらずに済むことになり,他者から嫌われたときの理由付けになります.「ああ,こんな性格でなければ自分も他人に受け入れられるのになぁ」そう思うことでしょう.

 青年にとって短所だらけの自分でいることは結局は自分のための「善」となるのです.ここでいう「善」とは良いことの意味ではなく,「ためになる」という意味です.短所だらけの自分でいることは彼自身のためである.そう哲人は言うのです.

 そして哲人は,対人関係の中で傷つかないことはあり得ない,対人関係に踏み出せば大なり小なり傷つくものだし,あなたも他の誰かを傷つけている.そして「悩みを消し去るには,宇宙の中にただ一人で生きるしかない」そういうのです.つまり,次のことを示しています.

・人間の悩みはすべて対人関係の悩みである.

劣等感のお話

 劣等感,それは誰しも抱く感情なのではないでしょうか.しかし,劣等感は客観的な事実ではなく,主観的な解釈にすぎません.背が低いということに劣等感を感じるのであれば,それを「背が低いことによって他人を威圧せず,くつろがせることができる.」そう考えることもできます.簡単に言えば思い込むことができます.この思い込み,つまり主観の良いところは自分の手で選択可能であるということです.

 劣等感というものはどうして生まれるのでしょうか.人間には向上したいと願い,理想の状態を追求する普遍的な欲求が存在します.アドラー心理学ではこのことを「優越性の追求」という風に呼びます.

 これと対をなすのが劣等感です.人は誰しも優越性の追求という,「向上したい状態」におり,何らかの目標を掲げてそこにむかって努力していますが,理想に到達できていない自分に対してまるで劣っているかのような感覚を抱きます.これが正しい劣等感です.この劣等感は現在の状態に満足できないことからくるものですから,今より頑張って理想の自分に近づこうと努力する動機づけになるわけです.つまり,劣等感はバネになるわけです.

 先ほど正しい劣等感というように表現しましたが,正しい劣等感が存在するのであれば,間違った劣等感というものが存在するはずですよね.それが,劣等コンプレックスです.このコンプレックスというのは「複雑な」という意味の英単語complexの意味です.この劣等コンプレックスは自分の理想像と現在の自分を見比べて,「どうせ自分なんて」という考えによって諦めさせてしまいます.いや,自ら諦めるとう選択肢を選んでしまう,そう表現したほうが正しいでしょうか.

 正しい劣等感は努力や成長を促すきっかけになるものですが,対する劣等コンプレックスは,自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めます.具体的には「私は学歴が低いから成功できない」と考えたりします.このような因果関係のことを,アドラーは「見かけの因果律」と呼びます.本来は何の因果関係も持たないところに,あたかも重大な因果関係があるかのように自らを説明し,納得させてします.なぜこのような考え方をしてしまうのでしょうか.それは一歩前に踏み出すことが怖い,あるいは現実的な努力をしたくないという考えに起因しています.現在の楽しみの時間を削ってまで変わりたくない,すなわち今のライフスタイルを変える「勇気」を持ち合わせていないのです.多少の不満や不自由があったとしても今のままのスタイルを変えないでおくほうが楽なのです.

優越コンプレックス

 先ほどお話しした劣等コンプレックスは見かけの因果律に基づいて本来なんの因果関係も持たないところに因果関係を見出して,言い訳に使います.先ほど挙げた学歴の例を用いて話を進めていきます.学歴コンプレックスを抱いている人は「私は学歴が低いから,成功できない」そう言います.逆に言うとこれは,「学歴さえ高ければ,私は大きく成功できるのだ」ということもできます.これは劣等コンプレックスの持つもう一つの側面です.「AだからBできない」といっている人は,「Aさえなければ,私は有能であり価値があるのだ」と言外に暗示しているのです.

 そして,劣等コンプレックスはもう一つの特殊な心理状態を生み出します.それが見出しにある,「優越コンプレックス」です.これは,あたかも自分が優れているかのようにふるまい,偽りの優越感に浸ることです.身近な例として挙げられるのが「権威づけ」です.

 「権威付け」は,経歴詐称をしたり,ファッションにおいて過度なブランド信仰をしたりすることによって,本来優れているのは「わたし」ではないのに,権威と結びつけることによって私が優れていると見せかけることです.つまり,偽りの優越感です.優越コンプレックスの根底には猛烈な劣等感が存在します.劣等感に苦しみながらそれをばねにして成長していくのではなく,「自分はダメだ」というような劣等コンプレックスでも我慢できない,すると自分が優れているかのような偽りの優越感,つまり「優越コンプレックス」に発展するのです.

 優越コンプレックスもう一つの例が,「自慢したがる人」です.わざわざ言葉にして自慢している人は自分に自信がないのです.もしも自慢するひとがいるとするのであれば,それは劣等感を感じているに過ぎないのです.もし本当に自信を持っているとするのならば,他人に自慢したりなどはしません.劣等感が強いからこそ自慢し,自らが優れていることを誇示する.そうでもしないと自分が他人に認めてもらえない,と恐れている.これは完全な優越コンプレックスです.

 そして最後にもう一つなるほどな,と思った例があったので紹介します.それは「不幸自慢」です.生い立ちなど自らに降りかかった不幸をまるで自慢するかのように語る人,こうした人達は,不幸であることによって「特別」であろうとし,不幸であるという一点において人の上に立とうとします.周りが自分の不幸をくみ取って,腫れ物に触れるように大事に,慎重に取り扱うようになる.そうすることによって自らの不幸を武器に相手を支配しようとする.そう哲人は語りました.不幸自慢をする人間というのは周りにあまりいませんが,自分は不幸自慢をしないようにしたいなと思います.すごくためになる内容なのに感想がショボくてごめんなさい(笑).でも,本当にためになる内容ですよね!

他者との競争

 僕は結構穏やかな性格だと自負していますが結構負けず嫌いなとこはあるんですよ.他人と比較して自分が劣っているな,と感じると悔しくなったり,劣っている言い訳を考えたりして素直に「負け」を認めることができないんですよね.

 上で説明した「優越性の追求」の定義は人間の向上したいと願い,理想の状態を追求する普遍的な欲求ですが,これが他者より優れていようとする欲求であると理解してしまうとそれは間違いです.アドラーは「同じ平らな地平に前を進んでいる人もいれば,その後ろを進んでいる人もいる」そうイメージし,

 優越性の追求とは自らの足を一歩前に踏み出す意思であって,他者よりも上にいこう,という競争の意思ではない,つまり人生は競争ではないということです.誰とも競争することなくただ前を向いて歩いていけばよいのです.

 健全な劣等感とは,他者との比較の中で生まれるものではなく,「理想の自分」との比較から生まれるものである.

 この言葉,すごーく心に刺さりました.他者をうらやむのではなく,理想の自分とくらべて劣等感を感じ,その劣等感をバネに自らを高めていかなければならないと教えられている気がしました.また,こんな言葉もあります.

われわれは「同じではないけれど対等」

 この言葉を聞いて何を思いますか?この言葉が示すのは「人は誰しも違っておりその違いを善悪や優劣と絡めてはいけない」ということです.そもそも他人と比べることは間違っているんですね.先ほど僕が負けず嫌いで「負け」を認めることができないと書きましたが,その「負け」という感覚自体が間違っていましたね.もし勝ち負けを付けるとするのならば自分と比較しするのが正しいのかもしれませんね.

他者の幸福を祝えない理由

 先ほど人生が競争ではないことを示しました.アドラー心理学ではすべての悩みは対人関係の悩みである,そう打ち出しています.これは上にも書いたのですが,すべての悩みが人との関係のことであるという風に言ったわけですね.そしてここからが大事です.

対人関係の軸に「競争」があると,人は対人関係の悩みから逃れられず,不幸から逃れることができない.

 競争というものには必ず勝者と敗者がつきものです.そして勝ち負けを意識すると必ず生まれるもの.それが「劣等感」です.そうして他者と比べることで劣等コンプレックスや優越コンプレックスになってしまいます.その結果,自分にとって他者はどのような存在になると思いますか?それは「」です.もっと言うといつのまにか,他者全般のことを,ひいては世界のことを「敵」だとみなすようになるのです.

 では,競争という考えをなくし他者と接した場合,他者はどのような存在になるのでしょうか.それは「仲間」です.ちょっと青春臭がするな,と思いましたがここではスルーします(笑).

 他者の幸福を祝えない人,それは対人関係を競争で考え,他者の幸福を「わたしの負け」であるかのようにとらえているから,祝福できないのです.

 そして最後に,哲人は「人々は私の仲間なのだ」と実感ができていれば,世界の見え方が全く違うものになる.そう言いました.そうすることによって競争から解放され,対人関係の悩みは激減することになります.

おわりに

 皆さんいかがでしたでしょうか.非常に長くなってしまいましたね.まだ嫌われる勇気の第二章てきなところは終わってないのですが,今回はここら辺にして次回に回したいと思います.長かったですね~~.普段書いているレポートよりかは短いはずですが,やはり自分の頭の中を整理しながら文章をまとめるのは時間がかかりますね.

 今回,最も重要だと思ったこと,それは

 対人関係の軸に「競争」があると,人は対人関係の悩みから逃れられず,不幸から逃れることができない.

 これに尽きると思います.他者との競争は豊かに生きていく上でまったくもって必要のないことなのですね.そのほかにも劣等感のお話,優越コンプレックスの話など,非常に面白い内容ばかりだったのではないでしょうか.

 また,そのほか今回紹介できなかったところをサラッと紹介すると,相手に喧嘩を売られたときは喧嘩を買ってはいけない.なぜなら相手の「目的」は勝つことによって自分のちからを証明したい.ただそれだけなのです.もしもその時に言い負かしたとしても,次に相手は「復讐」の段階に入り,またどこかであなたを苦しめてくるでしょう.喧嘩を売られたときは買わないことをお勧めされました.

 はい,非常にながくなりましたがいかがだったでしょうか.すごーくためになる話でしたね.

 この記事を書き始めてからちょうど1日たって,本日もバイトです.断食4日目ですが頑張ります.では皆さん,良い一日をすごしてくださいねーーー

 次回の記事でお会いしましょう.それでは!!!!!

 よもぎ

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集