見出し画像

インド楽しいから行こうよ(チャンディーガル編)

長くなっちゃったけど読んでほしい。そして、チャンディーガルに行こう

まずはモダニズム建築(鉄・ガラス・コンクリートなどを使用した20世紀の建築)の街、チャンディーガルに向かう。
1日目インドに夕方入国しデリーで1泊した私は、翌日夜中の3時にホテルを出てまた車でインディラ・ガンディー空港に向かった。チャンディーガルはデリーから50分程度で着き、早い到着だった。

早朝4時台のインディラ・ガンディー空港 国内線ターミナルの地下
思ったより店が開いていて皆朝食を摂っていた
チャンディーガル空港 バスに載って移動
荷物待ちのところにクリシュナとアルジュナがいる
チャンディーガルの地図 チャンディーガルにいる!
チャンディーガルの交差点をまさに通過する瞬間 どこにも信号はなく、環状交差点になっている


コルビュジエとチャンディーガル

なぜインドにモダニズム建築の街が?というところから始める。
まず、コルビュジエは都市を作りたかった人なのだ。
1920〜1930年代に3つ大きな都市計画案を発表しているが、どれも300万人の大都市の案である。集合住宅、公共施設、自動車の交通網の整備などが重視されたのも特徴的だった。最後の「輝ける都市」案は中心部から外への都市の拡張性(どんどん新しい建物を造ることができる)が特徴で、チャンディーガルにもその理論の実践が伺える。しかし、チャンディーガルの主要建築が1950年代に多く建設されているように長年実現はしなかった。
そしてインド側の話をすると、インドの独立が関係している。
1947年にインドとパキスタンが分裂して独立した際、インド側にパンジャーブ地方の州都がなくなってしまったのだ。パンジャーブ地方は元々州都がパキスタン側のラーホールにあった。州都が無くなったという事情で当時のネルー首相は何人かの欧米の建築家に州都の計画を頼んだが、いろいろあって頓挫してしまった。そうしたなか当時60代のコルビュジエに依頼をしたという流れだ。
コルビュジエはビジネスパートナーであり従兄弟のピエール・ジャンヌレや弟子たちと共にパンジャーブ州の新しい都市をつくり出すことになった。

この辺の話はスイスの公共放送の記事が興味深い。
これを読んだ後に街の風景を見るとまた違った感想もあるだろう。

着いたぞ、いろいろと見学しよう

ジャンヌレの家

まずはコルビュジエのいとこ、ピエールジャンヌレが住んでいた家だ。
完全に高級住宅街の中にあり、ガイドさんに「隣も博物館ですか?」と聞いたら一般人の豪華な邸宅だった。(とても大きな表札だった)

ピエール・ジャンヌレの家の前のマンホール 1950年頃のもの!
オークションサイトではほぼ同じものが150万円~で出品されていた…
ピエール・ジャンヌレが11年住んだ家
こういった日除けに雨季や暑さの厳しいインドとモダニズム建築の折衷を感じてしまう
このあと出てくるGandhi Bhawanもピエール・ジャンヌレが関わっている
車内から撮ったGhandi Bhawan 蓮の花をイメージしたデザイン ガンジーの功績を知ることのできる場所だそう

政府博物館

 外観は撮っていなかった… 写真のようなピロティがモダニズムの公共建築らしい
この天井と柱が上野の西洋美術館を想起させた。とはいえ西洋美術館はカラフルではない
瞑想するブッダ ガンダーラ美術だ
笛を吹いた女性がモチーフのことから、音楽を題材にしたラーガ・マーラという絵画かもしれない
おそらく赤子のクリシュナと思われる ラージプト絵画だろうか?
近現代の作品もあった

政府博物館は多くのインド細密画があったが、どれもライティングが悲しい事になっていた。繊細な絵画の保存が理由かもしれないが勿体無い。
ただ、比較的コンパクトな空間でインドの美術を概観できるのでオススメだ。

ル・コルビュジエセンター

木に覆われて気持ちのよい建物だったが外観の写真がない。
早朝から行動開始でこのころ12時間は経過していた。疲れも最高潮だ。

建築博物館 多分…失念してしまった…

この幻の計画については現地に行くまで知らなかったので存在を知ることができてよかった
幻のアルベルト・メイヤーのプラン
マチェイ・ノヴィツキが1950年に飛行機事故で亡くなったことを機に中止した。
ジャンヌレの椅子 座れないのが残念だ
これは…

どんな計画だったのか知りたくない?

ル・コルビュジエセンターの壁面 都市計画の概観

これについては行政のウェブサイトが分かりやすい。(自動翻訳)

ル・コルビュジエは、チャンディーガルの基本計画を、明確に定義された頭部 (国会議事堂、セクター 1)、心臓 (シティセンター セクター 17)、肺 (レジャーバレー、無数のオープンスペース、セクター緑地) を備えた人体に類似したものとして構想しました。 )、知性(文化および教育機関)、循環システム(道路網、7V)、内臓(工業地帯)です。都市のコンセプトは、「住む」「働く」「心と身体のケア」「循環」という4大機能に基づいています。住宅部門が居住部分を構成し、国会議事堂、市内中心部、教育地区(大学院研究院、パンジャブ工科大学、パンジャブ大学)および工業地域が作業部分を構成します。レジャーバレー、庭園、セクターグリーン、オープンコートヤードなどは、体と精神のケアに最適です。循環システムは、7V と呼ばれる 7 種類の道路で構成されています。その後、この循環システムに V8 と呼ばれるサイクリスト用の経路が追加されました。

チャンディーガル行政公式のウェブサイトより

追加すると、図のほぼ中心部にある緑色の線は公園や緑地だ。
「この公園が都市の背骨で、頭があり心肺があり手足が広がっているのだ。」という説明をセンターの人から受けた。

セクターの中心部にあるローズ・ガーデン トリップアドバイザーのチャンディーガルでは5位だ
バラの時期ではないので咲いてないが、多くのバラが植えられていた。

各セクターは自給自足できるように設計されており、ショッピング施設やコミュニティ施設が徒歩圏内にあります。

チャンディーガル行政公式のウェブサイトより

現代日本の、特に地方で課題となっているスマートシティの先駆けの要素もある。

いやいやサムネの世界遺産見せてよ

キャピトル・コンプレックスは行政機関が集まるエリアだ。
敷地内はガイドツアーのみの見学、1日3回しかないので要注意。
また、受付でパスポートの提示と必要事項の記入が必要。カバンなどの荷物はロッカーに入れる。

リアルタイムで投稿していたインスタストーリー
高等裁判所 ガイドツアーでは近づくことができなかった。
建物内にいる人たちはどうやって入ったのか不明。職員…ではなさそうだ
州議事堂と影の塔 これ以上近づけなかった。合同庁舎も同様の理由で見学できず
議会があったのかもしれない
オープンハンド・モニュメント

この鳥にも見える不思議な手、コンセプトがある。
"the hand to give and the hand to take; peace and prosperity, and the unity of mankind"(与える手と受け取る手、平和と繁栄、人類の結束)

風によって向きを変える 手を叩くと反響する
モニュメントを見ている人と無関心な犬


住んでる人写ってなくね?

これまでの写真、住んでいる犬しか写っていない。
都市だ人体だ計画だ結束だと言っても、重要なのはその街で今生きる人がどのように街を「使っているか」だろう。素晴らしい計画は計画として、私が強く惹かれるのはそちらだ。
というわけで昼時のショッピングエリアや高級ショッピングモールの話をしてチャンディーガル編はおしまいにする。

リアルタイムのインスタストーリー 長々と書いたが感想はこれに尽きる
ショッピングエリア
お昼時の列 奥の三角は大きなサモサ 右側赤いターバンの人はシク教の人だろう。
チャンディーガルでは他の都市に比べシク教の人を多く見かけた
スクナ湖 ジャンヌレの遺骨が撒かれたとか

エランテモール

見てのとおり高級ショッピングモールだ。
新宿伊勢丹と越谷レイクタウンが合体したような場所である。
前回のインド旅行でもモールに行ったが比ではない。おそらく国内レベルでトップの部類なのだろう。これもインドだ。

裏側はハイアットでホテル直通らしい。そんなことは知らずに徒歩で入る
金属探知機で検査 男女別になっている
????すごいところに来てしまった
しかしなんとなく馴染みのショップが並ぶ。フォレスト・エッセンシャルやカーマのコスメショップもあって嬉しい
ここだけ見ると都内の店舗と言ってもちょっと騙せるだろう
高い、が北インドの冬には必需品だろう
お馴染みの99ルピーショップがあった 品物も日本と同じ
日本にこんな規模と価格帯のショッピングモールは無理だろう…と思いながら帰る
フォレスト・エッセンシャルの化粧品や食料品を抱えとぼとぼ歩いて帰る
モールから一歩出た先はこのような風景だ
日暮前これに座って談笑している人たちがいた。その跡だ

さようなら(まだ3日目朝)

もうチャンディーガル市街地もはずれだ。さようなら
牛 どこにでもいる
郊外のユニクロ これだけ見たら私の地元のユニクロと勘違いしてしまう


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集