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母が最も辛い病気ランキング上位の病気になった話。

ご覧頂きありがとうございます🕊️

医師が選ぶ【辛い病気ランキング】

母がこれの第2位の病気になってしまった話です。
2023年5月に母は息を引き取りました。
この病気については珍しく情報も少ない為、
同じ病気と闘う方や、支える方への参考になればと思い記事にすることにしました。

指定難病85 特発性間質性肺炎。

間質性肺炎の中でも原因が特定出来ないのが
特発性間質性肺炎です。
この病気は、肺の壁に炎症や損傷が起きることによって壁が厚く固くなってしまう病気です。
厚く固くなった肺は上手く動かすことが出来ないので空気を上手く取り込めなくなります。
母がなったのはその中でも、

特発性肺線維症

というタイプのものでした。
これは、予後が悪く診断された時には既に
進行していた為「最悪の場合は2-3年程」と
言われました。

主な症状

・初期は無症状であることが多い。
・進行すると咳や息切れ。
 (乾いた咳が殆どです。)
・初めは坂道や階段などでの息切れが目立ちます。
 進行すると、軽い動作でも息切れや呼吸困難が
 起きます。(着替えや、状態を起こしたり。)

身近な感染症をきっかけにして
急性増悪を起こす可能性もあり、
それが起きると急激に状態が進行するリスクがあります。

多くの患者さんがこの病気について例えるならば、

一生水の中で溺れている感じ。

と言うそうです。
想像しただけでどれ程恐ろしいかが分かります。

はじまり。

母は介護職をしていました。
当時59歳くらいだったと思います。
少しの動作で息切れがするようになり、乾いた咳が気になるとの事で病院へ。
検査をして市民病院へ紹介状。
その後呼吸器専門の病院へまた紹介状。
そこでやっと間質性肺炎の診断が出ました。

かれこれ1ヶ月ほどかかっていたと思います。

有効な治療法は無く、臓器移植を待ったとしてそれが成功しても5年生存率は7割。
厳しすぎる現状。

進行は待ってくれない。

そんな母を自宅で最後まで介護して看取った話を何回かに分けて投稿しようと思います。
その時私は24-25歳くらいで、娘は3-4歳頃でした。

母は診断された後も少しの間介護の仕事を続けていました。
それも上手くいかなくなり仕事の内容を変えてもらったりしながら続けてはいましたが、休職することになりました。

発覚からの流れ。

そこからは厳しい闘病生活。

診断されてから約10ヶ月くらいで酸素を上手く取り入れる補助をする為に呼吸器をつける生活。
1年ほどで車椅子。1年半程で歩けなくなりました。

ちょうど2年ぐらい経過した時に
母は息を引き取りました。

臓器移植を待つ時間なんて果てしなく長く
到底叶いませんでした。

この話について。

この話については分けて投稿します。
今回は間質性肺炎の病気について。
次回からははパターン別の介護のサポートについてや、子育てとの両立をするに当たっての迷い、看取った後の自分自身のメンタルや乗り越え方等を投稿していこうかと思います。


ここまでご覧頂きありがとうございます🕊️

かなり重い内容になってしまいますが、
お付き合い頂けたら有難いです。

どうか宜しくお願いします😔

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