気持ちの源を考えること、が好き
私って何が好きなんだろう?
って、あらためて振り返ったら
意外な言葉が出てきた。
気持ちの源を考えること
感情、本音、潜在意識を考えることが好き。
今まで「何が好き?」
「何かやりたいことはないの?」
と聞かれても
何も答えられなかった。
好きなものはたくさんあったけど、
やりたいことはよくわからなかった。
でも、気づいてしまった。
私が無意識にしてしまうこと
時間がなくてもしてしまうこと
やめろと言われてもしてしまうこと。
それが
なぜ、感情はわきおこるのか?
という考察だ。
「なぜ、私はイライラしたんだろう」
「なぜ、彼女はむすっとしたんだろう」
「なぜ、彼は声を荒げたんだろう….」
感情はメッセージだ。
自分の心と体の本音が
感情として溢れるのだ。
例えば、イライラは
自分がこまっている証。
理解されたい証。
感情は、
言葉よりもずっと
素直だ。
無意識で、本質的で、信じられるものだ。
でも、なかなかその輪郭は
はっきり現れない。
きちんと問いかけて
言葉にして現れるまでには
少々、根気がいる。
だから、人の気持ちは想像するしかないし
自分で自分の気持ちがわからない時があるのだ。
わからないままでもいい。
でも、私は知りたいんだ。
人となり
私は小説や映画鑑賞が好きだ。
特に、感情が揺れ動くような物語が好きだ。
そこでさまざまな人の気持ちにふれられるのはもちろん、
映画やドラマであれば
その役を演じた役者さんまで
生い立ちを検索する。
どんなことが人生の転機になり
どんな選択をして
どんな人生を歩んできたのか。
ものすごく興味があるのだ。
気づけばインタビュー記事を
読み漁って1日を終えてしまう。
言語化する仕事
気づけば私の仕事は
ライター
カウンセラーなど
人の気持ちを扱う仕事になっていた。
意外と取材とカウンセリングは似ていて、
私の問いかけによって
相手の気持ちを言葉にしていく仕事だ。
私は、相手が自分自身でも
気づいていなかった気持ちに気づく瞬間が
ものすごく感動的で
ものすごくやりがいを感じる。
気づいたらできることになっていて、
気づいたら好きなことになっていた。
やりたいことと、
できることが一致している仕事。
本音を言えない怖さ、知る怖さ
私は、自分の本音を話すことが苦手だ。
小さい頃からずっと、
いい子でいることが楽だった。
だから、社会的にいいとされる自分でいようとつとめた。
そこには、自分の本音は不要だった。
でも、それではダメだった気づいたのが
高校受験の面接のとき。
私は面接官の前で、本音と共に涙が溢れた。
私は、どうやら
自分のことを話すと
涙を流すタイプだということを、その時に知った。
自分の気持ちを話していかないと
私が私でなくなる怖さを感じた。
だから、私は自分の気持ちに耳を傾け始めた。
私は好きなことがたくさんある。
でも、やりたいことがわからないのは、
自分の本音にたどりついていないからかもしれない。
自分の本当の願いを知ることが、怖いと思っているかもしれない。
願いを叶えるためには
痛みが伴うもの。
その願いを言葉にしたら、
勇気や覚悟、努力が必要だと思っているのかな。
私は今、何を恐れているのかな。
真実は、すでに自分の心の中にある。
だから今日も、気持ちに耳を傾けよう。