「人の顔が見える『対話』へ」核廃絶を目指す大学生は、なぜ議員に会いに行くのか?
高橋悠太さんは「説得」ではなく「対話」を大切に、国会議員に直接「核兵器禁止条約に賛同していますか」と問いかける活動をする学生団体「KNOW NUKES TOKYO」(ノーニュークストーキョー)の代表だ。団体の設立は昨年の5月だが、個人では活動を始めて来年で10年になる。現在の活動にかける思い、葛藤、将来を聞いた。(聞き手:三井滉大・原野百々恵)
「核の当事者」は被爆者だけじゃない、私たちもだ。
ストックホルム国際平和研究所によれば、「核弾頭数」は約13,000発、核不拡散条約(NPT)非締約国を含む核保有国は、9カ国にのぼる(2021年1月時点)。世界の核弾頭のうち、約3800発は「実戦用に配備され、その約半数は数時間で発射できる態勢をとっている」という(川崎,2021)。
そうした核兵器の脅威と隣り合わせの時代に、広島・長崎の平和へのアクションとは別の方法で、活動を始めた高橋さん。 団体名「KNOW NUKES TOKYO」には、非核の「NO NUKES」、学ぶ「KNOW NUKES」、新たな一歩のための「KNOW NEW 」(NO NUKESとかけている)という意味が込められている。
ー「KNOW NUKES TOKYO」の設立・概要について教えてください
2021年の5月3日に設立された、首都圏で核兵器廃絶のための学生団体です。「KNOW NUKES TOKYO」というくらいですから、核兵器の問題を被爆地以外で考えたいというニュアンスが込められています。
原爆や核兵器と聞いたときに、皆さんは何を想像するでしょうか。多くの場合、「被爆者」や「広島・長崎」ということを思い浮かべると思います。しかし世界には、約13,000発という核兵器が存在しています。原爆の被爆者は当時被爆した被爆者の方々ですが、私たちも13,000発の核の時代を生きる当事者です。
そうした(核兵器の)議論を広島・長崎に矮小化してはいけないと思うのです。しかし残念ながら、東京では広島・長崎のように被爆者と会える機会が少ないです。被爆者の方々からお話を伺えるなど、核の問題をより自分事として捉えるきっかけを作るにはどうすれば良いかと考えて、設立したのが「NO NUKES TOKYO」です。
ー首都圏での活動ということですが、高橋さんが携わっている他の活動との違いはあるのですか。
東京でマルチに活動しているということです。私自身がこの問題に関わり始めて来年で10年くらいになるんですね。中学校1年のクラブ活動で、初めて被爆者と出会いました。それから署名活動、証言集のまとめや聞き取りをずっとやってきて、それはすごく意味があったのですが、広島・長崎の平和へのアプローチに疑問を持つようになりました。
8月6日や8月9日になれば折り鶴を折ったり、平和の歌を歌ったりするのは大切なのですが、それがどこまで目の前の核軍縮を進めているのか、疑問でした。よりダイレクトで直接的なアクションをしたいと思っていました。
*高橋さんは「KNOW NUKES TOKYO」のほか、「カクワカ広島」で国会議員に核兵器の問題をどう考えるか尋ね、「議員ウォッチ」では核政策に対する、議員の立場を可視化する活動を行っている。
「対話」の姿勢を大切に
高橋さんは、核兵器禁止条約成立に貢献したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が、締結に向けて議員へのロビーイングを行ったことに触発され、面会活動を始めた。これまでに、30人以上の議員と面会を重ねてきた。
面会に至るまで4ヶ月かかった場合もある。しかし対話によって、少しずつ成果は出ている。核兵器を減らすためにしていることはあるか、ある議員に尋ねたところ「個人として現時点でやっていることはない」と回答された。その後、議員は個人政策の1番目に「核のない平和な社会」を掲げたのだ。
*核兵器禁止条約とは、2021年1月に発効した(条約採択は17年)、「核兵器を非人道兵器として全面的に禁止し、核廃絶への道筋を定めた史上初の条約」である。ICANは106カ国から607団体が参加し(21年10月現在)、核兵器禁止条約の成立を進めた「NGOの連合体」である(川崎,2021)。
ー議員との面会や講演での反応はいかがですか。
国会議員に「あなたの考えは違うんじゃないですか」というと逆ギレされたり、冷たい対応をされたりするなど、対話が閉ざされることが多い気がします。本来は誰よりもそういうものを受け止めて、自分の考えのなかに落とし込むというか、受容すべき人たちなんだと思います。
ー講演では核兵器の抑止論や安全保障上必要という声は多いですか。
結構多いです。史実を知らなかったり、科学的根拠を持たなかったり、感情で話していることが多いなと思っています。その場合は対話を重ねれば、糸口が見えて、長い目で見れば(核兵器は)危険だよねくらいにはいくことができます。
ー面会活動や講演を見ていると、対話姿勢を大切にしているように見えます。
意識しますし、無意識のうちにそういう方向性になっていると思います。ちょっと間違えると「対話」ではなく「説得」になってしまいます。「説得」のスタンスになると、テーブルにつく前にシャットアウトされてしまいます。
本当は意見が違うけど、有益な情報や価値観を持っている場合もあります。反対の立場の人は私たちの弱点を突いてくれます。弱点を突いてくれることは、より高みを目指すことに繋がります。
「現実は変わらない、無理だ」という声と向き合って
ー活動を行ったり、声を上げたりすることへの葛藤はありましたか。
これだけ声を上げても社会が変わらないという葛藤と、声を上げれば上げるほど、周りにいる人が離れることもあります。何か新しい常識を作るのはめちゃくちゃ難しいです。「そんなことは無理だ」と言われます。「現実は変わらない、無理だ」という言葉が一番の障壁だと思います。これは挫折を経験したし、悔しいです。そうしたときは一緒に動く仲間や世界の人のことを想像します。
大学入学してしばらくした頃ですが、仲の良かった人が僕のSNSを見て、「お前の活動は意味があると思うけど、核廃絶は夢物語だと思う」とズバッと言われました。自分の軸がへし折られたような気がしてショックでした。信頼していた人たちが離れていったり、方向性が違うと言われたりするのは、見知らぬ人に言われるより苦しいです。「人間の考えだから違っていても仕方ないよね」と切り分けています。そうしないと潰れてしまいます。
「被爆者と出会った記憶」を引き継いで
被爆者は年々減少している。被爆者がゼロになったとき、証言というデータだけが残る。高橋さんはそれを「温かみに欠ける」ものだと心配している。だからこそ、被爆者の記憶継承ではなく、「被爆者と出会った記憶」を語り継ぐことを目指す。そこには被爆者という、ひとりの人間が見えるから。
ー被爆者の証言ではない、被爆の記憶継承をどのように考えていますか。核兵器のない世界に行動することに移り変わるのですか。
それ(継承方法)はもっと多様なんじゃないですか。これまでに蓄積してきた証言を発信したりする人もいれば、自分がこういう人と出会ったんだよねということを、語り部2世のようにする人もいると思います。僕みたいに核兵器廃絶という中に落とし込む人もいると思います。いろいろな方がいると思います。
ー高橋さんは被爆の継承を、核兵器廃絶という行動面に移されました。そう思ったのは被爆者に「自分のような人を生み出して欲しくない」と言われたことが大きいですか。
それは大きいです。「自分を忘れないでくれ」というのではなくて、被爆者は「同じ思いを誰にもさせないでくれ」という風に言います。その願いに答えるというのは、核兵器をゼロにするということです。
被爆者がいなくなった世界をもっと議論すべきだと思います。全く人間がいなくて、紙の証言や映像が残るわけです。それってすごく温かみに欠けるなと思います。それを受け取った人たちが、それをどう読むのかということが心配です。私は実は「被爆者の記憶」を受け継ぐのではなくて、「彼らと出会った記憶」を語り継ぐという方が大切だと思います。
持続可能な活動を目指して「平和への活動を生活の糧にする」
ー今後のキャリアについてどのように考えていますか。
今やっている「KNOW NUKES TOKYO」を法人化したり、その中で事業収入、人件費がちゃんと回っていくサイクルを作っていきたいと思います。今の平和へのアプローチを仕事にしたいと思っています。
残念ながら、大学を卒業すると、多くの声を上げてきた人たちが、核の問題から離れてしまいます。この問題については、NPOや企業で取り組んでいるところが少ないです。そうすると、これまで有能だった人たちが就職して消えていっちゃう訳です。
その結果、いびつな構造になります。核兵器の問題に関わっている人が、定年退職した70歳以上のおじいちゃんか、高校生以下になります。それ以外の人たちが、活動をしながら食べていける環境を「KNOW NUKES TOKYO」でつくっていきます。企業との協賛であったり、マンスリーサポートであったり、既存の団体と連携した、より大きなアクションです。
執筆者:三井滉大/ Kodai Mitsui
編集者:原野百々恵/Momoe Harano
インタビューを受けてくれた人:高橋悠太さん。広島県福山市出身。盈進中学高等学校卒。中高のクラブ活動「ヒューマンライツ部」での経験から、核廃絶を目指す。「 KNOW NUKES TOKYO」「カクワカ広島」共同代表。慶應義塾大学法学部4年。