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被災地で起きた在日朝鮮人の虐殺。『関東大震災』から読み解く悲劇の背景【ブックレビュー】

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1923年9月1日に起きた関東大震災の被災地で、多くの在日朝鮮人が殺害された「関東大震災朝鮮人虐殺事件」。大学に入り初めて知ったこの事件の存在をより知るため、一冊の本を手に取った。

*この記事には一部差別的表現をそのまま引用した箇所があります。

姜徳相「関東大震災」の表紙。筆者撮影

学んでこなかった悲劇

9月1日は「防災の日」だ。2022年から99年前、1923年9月1日に起きた関東大震災にちなんで制定された。

震災自体も悲惨な出来事であった一方、震災直後に人間により起こされた悲劇を知っているだろうか。東京府(現在の東京都)、神奈川県、千葉県、埼玉県などの被災地において多数の在日朝鮮人が殺害された「関東大震災朝鮮人虐殺事件」だ。

在日朝鮮人とは、戦前の日本による植民地支配によって渡日した人々、その子孫のことを指す。筆者は小〜中学校で日本史を学んだにも関わらず、この事件があったことを大学に入るまで知らなかった。自分の国で過去に人種差別による虐殺があったことに衝撃を受け、同じ過ちを防ぐ為にも詳しく知る必要があると考えた。

この記事では、中公新書の「関東大震災」を通じ、なぜ在日朝鮮人への虐殺が起きたのかに迫る。
※著者の姜徳相(読み:カン・ドクサン)氏は在日韓国人初の国立大学教授となった人物であり、在日韓人歴史資料館の初代館長である。

日常に潜む差別感情が虐殺に繋がる

なぜ、そもそも「関東大震災朝鮮人虐殺事件」は起きたのか。

関東大震災の発生直後、在日朝鮮人が放火や暴行等を行っているという根拠ない噂やデマが流れた。それに触発された市民による自警団や一部の警察・軍隊が、在日朝鮮人を殺害したという経緯だ。

姜徳相氏によると、噂やデマの発生源には二つ説がある。民衆の深層心理にある朝鮮人差別観が影響して噂やデマが発生した自然発生説。権力者が特定の予断にもとづき噂やデマを広めた、上からの流言説だ。その上で姜徳相氏は、上からの流言説を支持している。

姜徳相氏は、朝鮮人を普段から敵視と監視していた、特別高等警察の内鮮課に着目した。原因不明の火災が被災地で多数発生していた当時、疑心暗鬼に陥った特別高等警察の内鮮課を中心とする警察の一部が「放火の犯人は朝鮮人だ」などのデマを発生もしくは助長させた可能性があると指摘している。


Pixabay、イメージ写真 


一方、政府は地域の住民が朝鮮人から身を守るための自警団の成立を後押しした。
さらに軍隊や警察はそれらの団体に武器を供与し、朝鮮人を殺害しても構わないという指示を出したという証言が存在している。例えば当時の陸軍少将が「朝鮮人とみれば片っ端からたたき切ってしまえ!」と発言したという記録も残っている。
 
仮に噂やデマ発生源が民衆だったとしても、権威的な立場にいる人間や機関がそれを広めた役割を無視することはできない。姜徳相氏は「権威のない噂は広がることはない」「真実性は流言自体の持つ内容より、誰の口を媒介にした噂であるかが重要な与件となる」と述べている。

守ってくれる「国」がない人々

虐殺の被害調査における日本当局の対応も、真実を遠ざけようとしていた。朝鮮人への残虐行為に軍隊が加担した場合も、「状況的にやむを得ない行為」だと処理された。

このような事件の矮小化の理由として、姜徳相氏は「朝鮮人民が亡国の民」であることが基本的な理由だと指摘している。関東大震災発生時の朝鮮半島は日本の統治下にあり、朝鮮人の権利を主張する状態になかった。

筆者は、事件が大きく取り上げられない理由として事件の詳細に不明点があることが理由の一つだと感じた。本書は多様な資料を用いて事件実態の解明を行おうとしながらも、所々に著者の推測に頼る点があった。

特に噂やデマの発生源に関しては資料が残りにくいこともあり、推察が大きい部分を占める。これは著者の責任ではなく正確な調査が行われなかったことが原因だろう。政府側の報告書や朝鮮人による調査など複数の説が紹介され、虐殺による犠牲者がそれぞれ約200や6,000と全く異なる数を示している。

また本書では朝鮮人が国家のない民族だったため迫害の隠ぺいを助長させたという指摘がある。この指摘は国家の役割を再認識させられる。

現代も国家からの保護を受けられない人々の問題が取り上げられるが、アイデンティティーの問題にとどまらず、人権の問題に発展しうることがわかるだろう。

例えばクルド人は「国を持たない世界最大の民族」だと言われ、トルコやシリアなどでは少数民族であることを理由に迫害を受けている。本書では比較として、震災当時、朝鮮人に間違われた中国人も殺害されたが、中国政府が調査団を派遣して抗議した例が挙げられている。国家は自国民や民族を守る集団という側面がある。その保護の存在しない状態は危険と隣り合わせだ。

写真=Pixabay、イメージ写真

胸に刻まなければいけない教訓

最後に、本書は差別意識をもつ社会の危険性を学ぶことができる。非常事態のなかで一般市民が武器を取り、同じ人間を疑い殺害していく様子を著者は紹介している。

災害の混乱の中でデマが広まり、特定の集団に対する差別意識が相まって狂気じみた行為に走ったのだ。普段からの偏見、差別感情が虐殺を引き起こしたのである。現代の社会においても程度や手法は変わるかもしれないが、誤った情報や差別感情により被害が拡大することは十分にありうる。

在日朝鮮人への差別は、未だに根強く残る、現代社会の問題でもある。日本人の朝鮮人への差別感情は、地続きのものとして存在し続けている。ネット上では、「この国から出ていけ」と排除をあおられ、「ゴキブリ朝鮮人」と誹謗中傷にさらされるなど、在日朝鮮人の人権状況は深刻である。

戦前、飛行場建設に従事するために朝鮮人が生活していた、京都府宇治市のウトロ地区は、差別感情に基づいた動機で放火された。日々の憎悪感情の先にあるのが、放火であり、虐殺なのだ。

自分は差別なんてしていないと考えるのも、危険なのではないだろうか。多数派に所属し、権利や制度に守られている時点で、それは特権だ。排除をしている側に知らないうちに与していることになると思う。そのことをまずは強く意識したい。

また、日本社会で差別を受けずに暮らしたいという当たり前の権利を求めている在日朝鮮人に、どれだけ多数派の私たちが連帯できるかで状況は変わる。私自身は、これからも在日朝鮮人が少しでも差別を受けずに暮らせるように、ともにあり続けたいし、学び続けるつもりだ。


執筆者:井上一輝(外部ライター。大学生。興味分野は環境問題、メンタルヘルス、人種差別)
編集者:原野百々恵/Momoe Harano




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