こころの雨模様には、自分自身が傘をさそう
なんとなく、体調が優れなかった。
熱を測ってみると微熱。なんとなく喉が痛い。
なんとなく体が重い。
「ちょっとだけ」いつもよりも疲れているような気がしていた。
風邪と呼べるかもわからないくらい、だけどなんとなく変な感覚だった。
そこで、だ。
2日間、ゆっくりと休んでみた。
勉強も休み。SNSも休み。部屋の電気も20時に消して寝てみた。
いつも寝ない時間に寝たもんだから、0時に目が覚めてしまったりと睡眠時間が確保できたわけではなかったけれど、すごくスッキリした。
体調不良というよりも、ちょっと疲れていたんだと思う。
毎日勉強尽くしで、社会と英語をありとあらゆる方法を使って勉強していく中で、右脳と左脳をしっかり毎日刺激していたのだから、無理もないよね。
(しかも、苦手な社会科目なんだもの)
ここ最近は、手洗いうがいの大切さを訴えかける動きがある。
少しの体調不良にも敏感だ。
なんとなく、味覚が…とか。
のどがイガイガするなぁとか、先日の人混み行ったよなぁ…なんて思う人もいると思う。
だけれど、こころがひいた風邪には鈍感で無頓着だ。
実際の風邪の時は、誰かと比べて辛い辛くないかなんて考えることはないはず。
37度だけれど、あの人は平熱が37度って言ってたからわたしも大丈夫!となるのではなく、普段よりも熱が高めだから風邪の前兆かなぁとか、だから体調がいまいちだったのか!と気付くきっかけになる。
こころの風邪の時はどうだろう。
疲れているって言っても、みんな疲れているよなぁ。
こんなところで音を上げちゃだめだ!わたしがまだまだなんだ…なんて、誰かと比較してしまいがち。
その感覚は自分のものだから、比較して無理することなんてないんだよね。
人に会わない時間が増えた今でも、SNSやインターネットなどで人と「接している」時間はさほど変わらない気がする。
この環境下においても、対人関係で疲れてしまうことだって山ほどある。
だけれど、人に直接会えないからこそ、自分の不調には自分が気付かないといけない時期でもある。
いまだからこそ、自分のこころに敏感になっていくことが大切かもしれない。
自分のことを、もっと大切に生きていいと思う。
自分のこころには、自分で傘をさそう。
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