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されど、人生はこんなにも美しい

私たちのことを振り返れば、何を話せば、どこから話せばいいんだろうと言葉に詰まる。でも結局言いたいことはひとつだけなんだと思う。あなたに出会えてほんとうによかった。

あなたは恋人以上にそう思えるただひとりの人。

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彼女の結婚式を迎える前から「当日はきっとものすごく泣いてしまうんだろうな」と思っていたけれど、当日、私は自分が思っていた以上の何倍も早く、多く泣いた。そんな私を見つけた彼女は、その瞬間にとてもかわいい笑顔で大きく笑った。

彼女が今まで見たきたなかで一番綺麗だったから、これまでの私たちのことを思い出したから、彼女の生きた人生を知っているから、旦那さんと手を取り合って笑い合う姿を心から嬉しいと思ったから。こういうことすべて、これ以上のいろんなことすべてが涙になった感覚だった。

直視していると涙が止まらなくてどんどん視界が滲んでいくから顔を下げて泣きたいのに今の彼女をしっかり見ていたかった。だから視線は下げられず、真っ直ぐ彼女を見ていた。

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彼女は、出会った頃から誰よりも美しく同い年の友人のなかでも大人びていてた。小学生とは思えないほど落ち着いた様子で絵を描いているときの瞳や手つきに目を奪われ、その無駄のない所作で描かれる絵を見たとき、私は気づいたら彼女に話しかけていた。それはまさに心が動く、という感覚だった。

それから私と彼女は、出会うのが必然だったようにそれが昔から決まっていたかのようにごくごく自然に一緒にいるようになった。

あのとき、声をかけてほんとうによかった、あのとき図書館であなたを見つけられた私は幸運だった、繰り返しそう思った。何度も何度も出会えてよかったと思った。

彼女と私は、小学生で出会い、高校も同じところへ進学したため一緒に過ごした時間は結構長い。けれど、一緒にいる時間、マシンガントークをすることもあれば特別なことは話さず互いに好きなことをしていることも多かった。

彼女が絵を描く音や匂いは私を深い眠りに誘い寝てしまうことも多かったし、彼女が隣にいると私の創作も捗った。大人になって住む場所が遠くなり、頻繁に会うことができなくなってからはよく「隣に置いておきたい、隣にいてくれるだけでいい」と電話やLINEで話した。

私と彼女は、互いの空気にまったくの違和感なく馴染んだ。どんなにしんどくて辛い時期も2人でいる時間だけは、大きな何かに守られているようにとても穏やかだった。

現実から逃げ出すことを夢見て早く大人になりたいねと話して迎えたあの朝、2人で毛布にくるまってみた冬の満点の空、「一緒にここを出よう」「東京の大学に行こうよ」と彼女が言った放課後の夕焼け、私のバイトと彼女のデッサン教室の終わりに待ち合わせて食べたミスドの味、私の母親に「私が一緒にいます」と言ってくれた凛とした声、雪の中飛び込んではしゃいだ休日、恋の話をしてばかみたいに騒いだ夜、

思い出せば私たちには思い出がありすぎて、どれが一番大事な思い出だったかんなんて決められない。

私は彼女の隣にいると、自分のことを好きでいられた。彼女の隣は、私が私のままで、ここにいていいんだと心からそう思わせてくれる場所だった。私たちが育ってきた環境は良いものではなかったかもしれないけれど、でも今10代を思い返せば、彼女といたときの笑っている自分ばかりを思い出せる。

彼女と出会えたことだけで、もう私の人生は恵まれていたのかもしれない。そんなこと思える友達に出会えたんだ、これが僥倖じゃなければなんだっていうの。

あなたといた時間だけ、私のなかでやけにきらきらして眩しい。だからほかの人との記憶とか思い出が薄れちゃう。

私の人生に光をくれてほんとうにありがとう。私は命を終える瞬間も何度もそう思って彼女に出会えた喜びを噛み締めるのだろう。

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結婚式を終えたあと、彼女のお母さんがこちらに来て「ずっとお礼を言いたかった」と、「小学生の頃学校に行きたいくないと言っていた娘が学校が楽しいというようになって、話を聞いたら(私)ちゃんが教室に来てくれるからって」「それからは楽しそうで、(私)ちゃんと出会えてよかったねって」
「ほんとうにありがとう、ありがとうね」と、涙を流して何度も私にありがとうと言った。

式の最中にあれだけ泣いたのに、それ以上の涙が流れて止まらなかった。

出会ったのは学校の近くの図書館で学校ではクラスも離れていたから彼女の出会う前のことなんて私は全然わからなかった。だからそんなことを思ってくれていたこともそれをお母さんに話していたことも、私はその瞬間まで知らなかった。

彼女のお母さんが話している間私は首を横に振って泣き続けるだけで、けれど、そのあときちんと救われたのは私の方だと、彼女がいなければ私は生きていたかも分からないのだとそういう気持ちを伝えられた。

よく知らない人たちからすればぱっと見私は明るく前向きで強い子で、彼女は常に冷静で落ち着いていて繊細な子。そう見られてきたし、そう言われてきたことも多くて、仲が良いことを不思議に思われたことは実際何度もある。

けれど違う。全然違う。実際のところ、私は取り繕うのが上手なだけで全然明るくもなければ強くなんかないし、すぐに「もうだめだ」って座り込んでしまう。彼女はそんな私を強制的に立たせてくれるような子。凛としていて真っ直ぐで芯がとても強い女性。

絵を描いているときの佇まいはとても繊細で美しいけれど、私は知っている、彼女は私なんかよりもずっと太陽のように大きく笑う。無邪気でふざけることにも全力で、楽しみを心から楽しむことをができる人。

いつだって、そんな彼女に助けられていたのは私の方。

ほんとうに彼女は私にとってとても大きな存在で、芯の強い彼女に救われてばかりで、だからこそ、大人になった今でも私は助けられているばかりだねと思っていた。

でも違ってた。私もちゃんとあなたを助けられていたんだね。

これまでのいろいろなことを思い出してはそんなことを思うたび涙は当然止まらなかったし、何よりも結婚式という大事な場で、彼女のお母さんがわざわざそれを伝えにきてくれたことが、ほんとうに嬉しかった。

10代の頃はいろいろあって、彼女の家にいる時間はとても長く、突然泊まるということもあったけれど、彼女のお母さんは何も聞かずに、いつも仕事に行く前に私たちの朝ごはんを用意してくれていた。

彼女の実家のリビングはいつもコーヒーとパンと新築の匂いがした。その匂いを嗅ぐと彼女の隣にいるような気がして、彼女の実家のリビングを思い出して、今でもほっとする。

苦くて飲めなかったコーヒーも年を重ねて飲めるようになって、コーヒーをはじめておいしいと感じた日に思い出したのは彼女のお母さんだった。

私の家は、パンを食べる習慣がまったくと言っていいほどなく、だから彼女の家で朝ごはんを食べてイングリッシュマフィンの存在を知ったときは「こんなにおいしいものがあるのか…!」ととても驚いた。

彼女は「ええ…イングリッシュマフィン、私はあんまり好きじゃない」と言っていたけれど「ええ!どうして!おいしいじゃん!」と私は何度も感動していた。

私にとってイングリッシュマフィンは彼女と彼女のお母さんを思い出すパンで、パンのなかでも特別思入れがある。

当時は辛くて苦しくてたまらなかったけれど、そんな過去にさえ思い出して温かい気持ちになれる時間は確かにあって、私たちの笑い声は遠く響いていた。流した涙は数えきれず、でも、私たちは確かに笑っていた。

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彼女は、友人や親友と表現するにはあまりにも足りなくてどんな言葉を尽くしても届かないのだろうけど、やっぱり一番溢れる気持ちはあなたに出会えてよかったという気持ちだった。

心に影を落とすことがあってもあなたがその先を歩む選択をできるように、私はいつも味方でいる。

誰よりも淀みない幸せに包まれ、あなたとあなたの愛する人が共に生きる日々に温かな光が差し続けますように。


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改めて、結婚おめでとう!!!!!!



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