読書感想)デッド・ゾーン スティーヴン・キング 新潮文庫
カルト映画監督となったデヴィッド・クローネンバーグ作品の為、映画DVDの方は高値で買えないので原作を読むことにしました。キング好きだし。
物語の背景は70年代。ヴェトナム戦争が終わったあたり。もう50年=半世紀も前のアメリカですが、当時はカルト宗教が流行っていたのでしょうか、主人公の母親が狂信者として描かれています。まるでコロナ禍で怪しげな思想に感化された人々を連想させます。確か映画化された他のキング作品にも似たキャラが出て来たような。映画化された「キャリー」「霧(ミスト)」とか。とにかくカルト集団や偏狭な思想を共有させようとする存在はいつの時代にも現れます。今に始まったことではなく、洗脳されてしまうのはいつも情報弱者。彼らは一度洗脳されると客観性を失い、他の意見を受け入れられなくなる。宗教は常に奇蹟を売り物にしますが、思い込みと本物の奇蹟は似て非なるものです。
日本にもいる好きな作家たちを例に取れば、人気作家は売れ始めた頃が一番脂が乗った時期で一番面白い作品を書いていると思っています。決して、歳をとったから老練な作品をものにするとは限りません。多少粗が目立っても、人気が爆発した初期の作品の方が絶対に面白い。そういうものです。
その意味で本作「デッド・ゾーン」も、キングが一番面白かった時代の一作だと確信します。読んでいると正に映画のワンシーンが思い浮かぶような小説。こんなにしっかりディティールを描く作家は世界にもそんなに多くないと思います。昔「グリーンマイル」を読んだ時に(スティーヴン・キングは映画を観るより原作を読むべき)だと考えたのは間違いじゃなかったと今も思います。
小説「デッド・ゾーン」のあらすじ
小さな町の高校教師ジョニー・スミスは、自動車事故で重傷を負い、5年近く昏睡状態に陥った。昏睡から目覚めて、世の中が彼のいない間に変わってしまったことを知り、ショックを受ける。彼のガールフレンドであるサラは他の男性と結婚してしまって子供をもうけており、彼の母は宗教に入れ込んだあげく亡くなり、彼自身は脳障害まで抱え込むことになった。
ジョニーの脳障害の部分「デッドゾーン」は、住所と数字を処理するのと同じくらい、想像(ビジュアライゼーション)の能力に何らかのつながりがあった。障害と引き換えに彼の脳は、休止状態にあった脳の部分(人がどのような出来事に遭遇するかに関連している)を活性化し、その結果、他人や物に触ることで、それに関する過去、現在、未来を見通せる超能力を持つに至った。ジョニーが見る映像の断片は、彼にははっきりした意味はわからないのだが、ジョニーは、物事が進むにつれてなんとかして意味を見つけ出そうとする。ジョニーには、自分がせねばならないことの全容や、どんな悲劇を逸らさねばならぬのかといったことは明確にはできない。(Wikipediaより)
後半、ジョニーが気になる派手なパフォーマンスの選挙候補者とその演説会場の盛り上がりは、まるでドナルド・トランプ大統領を予見したかのような…
ジョニーは自分が新しく手に入れたこの能力を使い、彼の理学療法士の家が火事で焼失しそうになったところを助け、メイン州キャッスルロックのジョージ・バナーマン保安官に協力して連続殺人犯の正体を特定し、大火災からティーンエイジャー達を救う。自分の武勇にもかかわらず、ジョニーは新しい能力が贈り物よりもむしろ呪いであると考えて、使うことに気が進まず、昔のような普通の生活に戻りたいと願うようになる。ところが…(Wikipediaより)
一般的なドラマは、主人公が事故に会い昏睡状態に陥ったら、「…◎◎年後」という形で一気に時間を進めてしまうものです。ところがキングは違います。主人公が昏睡状態の4~5年の間に起きる関係者の出来事を描写して行くのです。省略せずに。それが読まなきゃ分からないスティーヴン・キングの凄さ。
映画『デッドゾーン』はたぶん中学生の頃にTV放映を観て気に入りました。それ以来一度も観たことがありません。でも小説で満足できました。
1970年代と言えば日本も超能力ブームで、海外の殺人事件で超能力者が協力を求められた云々という話がTVで紹介されるようになった時期でした。「デッド・ゾーン」はそれが元ネタかも知れません。
事故によって得た自分の能力に懐疑的になっていた主人公は、ある日とある人物が近い将来に破滅的な選択をすることに気づいてしまう。その時彼は… 昭和から平成、そして21世紀の令和にたどり着いた今の認識から言えば「デッド・ゾーン」はかなり地味なストーリーです。いかにもキングらしい盛り上がりはありますが、そんなに気持ち良い展開というわけでもないです。でもこの長編小説の描写の細かさには結構驚かされました。もちろん翻訳を読んでいるわけですが、それにしても日本にもスティーヴン・キングのような作家がいても良いような気がします。該当する作家が思い浮かばないのは少々残念です。