孫子を読む。
中高生で読んだ「論語の読み方」、20代に読んだ「老子の読み方」。それぞれの翻訳原書は結局買っただけで満足してしまい、パラパラと読み漁った程度で熟読はしてないです。やはり面白いのは解説書の方。訳者によって読み方が違う部分もあり、好き嫌いはそこでも決まると思います。
とにかく中国の実用的な古典哲学は、原書ではなく解説書を読むことから始めるのをお薦めします。それが面白いと感じなければやめる。
さて、59歳にして初めて買ってきた兵法の代名詞と言える「孫子」の解説書ですが、最初から古本で買ったのは初めてかも知れません。20代までは普通の本屋で新品の本を購入することが当たり前でした。だからその頃は同じテーマでも選択の幅がありましたが、今近所のブックオフで「孫子」を探してもこれ1冊しかありませんでした。
しかしそれも考え方によっては「一期一会」です。
巡り合ったその1冊こそが自分にとっての運命の書かも知れません。そしてその想いはこの本の序説を読んだだけで報われました。まさに我が意を得たりという内容でした。今まで一度も読んでこなかったのに、自分が求めていた考え方そのものでした。
戦わずして勝つ
自分が内に秘めていた考えそのままのことが「孫子の兵法」の極意でした。それを読み、この本を手に取ったことが正解だったと思いました。ネット全盛になってから、喧嘩っぱやい人々の声ばかりが優勢になり、何かあれば、とにかく「やりかえせ」という声が多い。それは間違っていると思うのですが、でも戦わない選択は逆に否定される始末です。
映画やドラマ、アニメにゲーム、日本ほど中国の古典に影響されたエンターテイメントを数多く作って来た国はないにも関わらず、中国共産党に支配された中国人と同じように、先人の哲学を理解していない人の方が増えてしまっている印象です。
百戦百勝は善の善なる者に非ず
もちろんそれは誰にでもできる簡単なことではありません。だからこそ優秀な軍師の言葉に学ぶ必要があります。そしてそれは現代社会における人の生き方にも活かせるはずです。
「孫子」は戦争をする為の本ではないし、「論語」や多くの哲学書は決して空想や妄想の話、ましてや宗教ではありません。今日や明日、嫌な日々を乗り越えて行く為の教訓です。有名な政治家や経営者がこういった本を読んでいたという話を良く聞きますが、「へえ、やっぱり偉い人達は我々とは出来が違うな」ではないのです。そういう書物を理想にして生きるから、強くなって行ける。
人生負け組の弱く情けない私のような人間にこそ必要なものです。
有名な中国哲学は大体ネットに全訳文が転がっています。ただし、それだけ読んでも眠くなるだけということを理解しましょう。まずは読みやすい解説書を見つけて読む。それに共感できて初めて元を開いてみるのです。でもそこで義務的に読もうとすれば、哲学は離れて行きます。哲人の教訓は一朝一夕には身に付きません。10年20年30年と、繰り返し思い出しては意識すること。「そんなかったるい事やってられねえ」まあそうです。
とりあえず好きな一文の意味だけでも理解しておく。それで十分。わざわざ言葉に出して言う必要はないのです。