ブレードランナー(1982年・米)
『ブレードランナー』は、1982年のアメリカ合衆国のSF映画。監督はリドリー・スコット、出演はハリソン・フォード、ルトガー・ハウアー、ショーン・ヤングなど。フィリップ・K・ディックのSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を原作としている。(Wikipediaより)
(2019年に書いたブログ記事を再編集しています)
久しぶりに観ました。もちろんこれは、先日亡くなった俳優ルトガー・ハウアー追悼の意味だったわけですが、冒頭の字幕を見て驚きました。映画は1982年ですが、そこから想い描かれたブレードランナーの未来は2019年、つまり現実の今年だったのです。彼が演じて一躍有名になった本作品のもう1人の主役ネクサス6型レプリカントのロイ・バティと、俳優ルトガー・ハウアーは同じ年に亡くなりました。
今ではお決まりのストーリーのようですが、人に創られた人造人間が隷従を否定し、人としての権利を求めようとします。彼らは人間にとって危険な宇宙開発に使役されていました。昔のドラマを良く知っている人には分かると思いますが、かつて未開の地であったアフリカから奴隷としてアメリカに渡った黒人たちは同じような扱いでした。
最近続編が公開されました。前作から30年後を描いています。
一般的にこの映画は不評だったようですが、ざっと解説を読んだ感じでは、むしろ前作の雰囲気を踏襲したからこそ、普通の映画ファンには地味で暗い印象を与えた可能性があります。ブレードランナーは元来派手なドンパチとアクションを魅せるような話ではありませんから、それを期待して観る人は不満に感じます。(アカデミー賞受賞を始め評論家の評価はまあまあ)
個人的に好きな映画マトリックス三部作に対しても同様の評価があったと思っているので、不評をそのまま鵜呑みにはしません。(2023年現在すでに2回鑑賞済み。好きな映画の1本になりました)
ブレードランナー(ディレクターズカット 最終版)
原作は言わずと知れたフィリップ・K・ディックのSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』です。中学生の時に初めて読み、40代・50代で2度再読しました。映画は3~4回目です。
小説は1968年の作品であり、作中で言うアンドロイドとは人間そっくりの機械です。物語の設定も映画とは少々異なり、主人公には妻がいて、家では本物のペットの代用として電気羊を飼っているのです。本物の動物が貴重になり、人工生物がペットにされていることは映画の中にも表現されています。
しかし映画はそこから20年近く経っていたため、機械のアンドロイドの設定は、遺伝子工学から生み出された人造人間レプリカントになりました。
ブレードランナーとは、脱走したレプリカントを見つけて処分する職務の人間のことです。脱走した最新型ネクサス6型のレプリカントが現れて前任者を殺したため、退職していたデッカード(ハリソン・フォード)が強引に復職させられます。
デッカードはかろうじて脱走者たちの処分に成功しますが、彼が愛情を感じたレプリカントのレイチェルが自意識を持ち脱走したため、処分対象となります…
人造人間、ロボット、アンドロイド…
『ブレードランナー』の映画や原作が多分にオマージュされていると思われるTVゲームです。この作品では、たぶんあえて機械のアンドロイドを描いています。映画と違い、その方が人間との対比を上手く表現しやすいからではないかと思います。ちなみにアンドロイドとは「人間に似たもの」という意味の言葉が語源です。
人間が創造した人に似たものが人間と対決する物語は、フランケンシュタインの怪物がもっとも象徴的な最初のキャラクターです。
元来は、人間が命を創造するという宗教的な意味合いの神への冒涜がテーマだったのかも知れませんが、それがいつからか、人とそれに似た存在の人権をテーマとするようになった気がします。つまり人種と差別の寓話です。
人間に創られたロボットあるいは人造人間は、人間に隷属しなければいけないのかという論争です。そこには個性や感情というものの有無が関係して来ますが、昨今では極端な見方の場合、生き物に見えるロボットに対しても人は同情を感じてしまいます。
ソフトバンクが子会社化したボストンダイナミクスという米国のロボット企業は、一度その動画が「可哀想だ!」という批判の的になり炎上したことがあります。
例え機械であれ、動物に似せてあれば動物のように見え、人間のような姿になれば人のように見るのが人の感情ですが、人権を捉えるには厳密に頭脳がどのくらい人間に近いのか、自我を兼ね備えているのかということになります。
人工的に創られた感情表現だから、それは偽物なのか。それとも彼らは本当に喜怒哀楽を感じているのか。そういった話はむしろアイザック・アシモフの描くロボットの世界の方が先かも知れません。手塚治虫の「鉄腕アトム」、スピルバーグの映画『A.I.』も、同じです。
そしてついに2023年、「ChatGPT」を初めとするAIの実用化が論議されるまでになりました。本格的なロボットが実用化され、次いでAIも現実に運用されるようになりました。ロボットがもう少し進化すれば、高度なAIを搭載して、いずれは本当にSFのようなアンドロイド(人造人間)が生まれる日もそう遠くはないのかも知れません。
すると、一部の学者や有名人が警鐘を鳴らしたAIによる人類への危機も現実味を帯びて来るのでしょうか。
私は子供の頃から人造人間やロボットが大好きでしたから、アトムのようなキャラクターが現実になったら夢のようです。ですが、AIが自我を持つというのはあくまでも妄想の域を出ていません。人間の個性や自我は生物としての複雑な遺伝情報にも影響されていると思うので、人工的に組まれたAIがいくら情報を無限に蓄えても自我を持つとは限らない。
一種の宗教的な奇蹟に近いことだと思うのです。
人類 VS マシーン(アニマトリックスより映画マトリックスの前日譚)
to be continued…