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片木さん家のこれまでとこれから~家族の話を聞いてみよう~/ヨコヨコインターン夏③

今回お話しして頂くのは、片木柚さんのお母さん。
片木さん家の、これまでとこれからのお話を聞く機会を設けました。


1. 片木さん家ってこんな家族。

写真左が片木さん。なんと高校の部活では、少林寺拳法全国2位の実力!
参加者の学生さんの中にも経験者がおられ、親近感が湧きました!と盛り上がりました。

片岡:司会を担当させていただく片岡です。柚さんの相談員を担当し、今年で四年目になります。
今回のインターンで家族の話を聞く機会を設けている意図を補足でお伝えすると、支援をする側の話だけを聞くだけでなく、支援を受ける側の立場でもあるご家族を知る、そして思いを聞いて、支援とは一方的なものではないという事を知って欲しいと思ったからです。
まず最初に、片木さんと娘の柚さんの人柄を知ってもらった上で、これまでとこれからのことについてお話しを聞いていきたいと思います。

片木さん:柚の母の片木彩です。 生まれも育ちも滋賀県です。
自分の性格は、周りからは平和主義で飾らない、いじられ役、ポジティブな考え方をしていると言われます。自分では、自分のご機嫌をとるのが上手、気分転換がちゃんとできるとタイプだと思っています。
お笑いが大好きです!

我が家は、主人と私とお姉ちゃんと柚ちゃんの四人家族です。
柚ちゃんはおてんばでアウトドア派、カラダを動かすことや戦隊もの、ばいきんまん、ダークヒーローが好きなお調子もので、面白いことが大好きな関西の女の子!って感じです。おじいちゃんの事が大好きで、私の父なんですが、元警察官で趣味で日本舞踊の黒田節を踊ったりします。クセが強めです(笑)。そのふり幅の大きさに私の友達にもファンが多いです。
柚ちゃんはおじいちゃんのエキスをしっかり受け継いでいますね。

2. 育児書なんて何一つ参考にならない、怒涛の赤ちゃん時代。

片岡:まず柚ちゃんを出産された時のことを教えてください。

片木さん:長女は健常で生まれ、何事もなく成長しました。
だけど柚ちゃんの時は、妊娠が分かった時点で切迫早産で、絶対安静で入院しながら生活をするという状態が続きました。25週目のある日、大きな総合病院ならNICUがあるので転院してくださいと言われ、あっという間に転院。しかしそこでも、もうどうにもできないと言われてすぐに帝王切開をすることになりました。本人が産まれた後も、たくさんの処置をする必要があったので、おめでとうございますって言われない出産でしたね。生まれた時の体重は668gでした、大体500mlのペットボトルくらいの大きさです。

わけが分からないまま産後2日が経ち、これからどんなリスクがあるかということを医師から説明されましたが、全然頭に入ってきませんでした。

NICUで7ヶ月入院し、同時期に生まれたお子さんとお母さんの退院をたくさん見送り、冬に生まれて夏に退院することができました。

鼻に酸素チューブを付けた状態での退院で、ミルクを飲んでも吐いてしまうということが続き、そんな中で心不全を起こしてしまってまた入院することになりました 。NICUを退院するともうNICUにはもう戻れないということだったので、ICUに入院して一 般病棟へ戻るという形で、なんとか1歳のお誕生日を病院で迎えることができました。

片岡:怒涛の一年間ですね。

片木さん:生まれた瞬間から生活が一変しましたね 。思ってもいない状態での出産で、子育てというよりも看護です。生きるか死ぬか毎日考える、そんな状態で子育てと思う余裕はなかった。

普通、赤ちゃんは泣くものだけど、この子については「体調不良に繫がるので泣かさないようにしてください。」と病院で言われて。入浴も本人からしたら大仕事で、お風呂に入ると力尽きてしまう。毎回真っ青になる様子をみて、家でどうにかなってしまうんじゃないかと毎日不安を感じていました。なので病院で入院している方が気持ち的にはずっと安心でしたね。

一般の育児書なんて何ひとつ参考にならない。体調を壊すと一般病棟で入院するので、看護師さんもどうケアしたらいいか分からずビビってしまう程の状態でした。夫は仕事で朝も早く、夜も遅いので、祖父母にも協力してもらい、家族全員で一日一日を乗り越えた感じです。

片岡:お母さんだけでなく家族全員で、その時の状況に応じて、どういう生活が良いのか考えていかれたのですね。本人の健康状態を支えながら、他の家族も新たに生活の形を作っていくということは大変なことですね。

3. いろんなお母さんとの出会いがあった療育の世界。

片岡:出生からしばらく家と病院の往復の生活が続いたとのことでしたが、
柚ちゃんは3歳から療育園の通所を開始されますね。
(※療育とは未就学の障害をもつお子さんが対象で、専門的な知識を持った職員が療育を行っている場所。)

片木さん:療育園は保健師さんに提案してもらいました、はじめは体調のこともあり通所できるかのかなと不安に思ったのですが、少しでも柚ちゃんの世界が広がる方がいいなと思ったので、通園を決めました。

片岡:療育園では、色々なお子さんや親御さんと出会う機会が多くあったと思うのですが、どうでしたか?

片木さん:療育園では子どもとの分離の時間があり、親御さん同士、同じ気持ちで分かり合えるということ前提で、自由にお話ししてくださいねと言わわれたんですが、

子どもにも色んな子がいて、その子どもの様子を見て、そっちはそれで悩んでいるかもしれないけど、こっちはまだそこまでもたどり着いてないんですけど…と思ったり、そういうマイナスの気持ちになったりして。

だけど、療育に通い続けているうちに、日を追うごとにだんだんそれぞれの子の特性、課題が見えてきて、その子の親御さんのことも知ると、少しずつお互いが受け入れることはできなくても受け止められるようになり、保護者同士の関係ができていったように思います。
全て理解はできないけど、受け止める余裕が親の中にも生まれていくような感じです。 今思い返すと、様々な立場のお母さんがいることを知って、自分自身もいろんなものの見方を学びました。

4. 「特別」ではなく「当たり前」の存在に、保育園で子どもたちと過ごす日々。

片岡:柚ちゃんは療育園を経て、地域の保育園に一年通っています。
保育園で過ごす日々はどうでしたか?

片木さん:療育の先生から、地域の小学校に行く可能性が少しでもあるなら、療育よりも大きな集団の中の生活も経験した方がいいよ、という提案があったんです。養護学校に進学した場合、健常児の同い年の子たちと今後関わる機会もありません、その時に先生から言われた
「集団の輪の中に入っている柚ちゃんが想像できる」
という言葉に背中を押してもらいました。

とはいえ、体調を崩さないかという不安もあったり、いざ保育園に連れて行ったら周囲の子どもたちから、「歩けへん子やん !ハイハイしてる!」と言われたり、それに慣れるまでは親としては複雑でしたね。話している会話とか運動面など、我が子とは全然違っていて凹みました。

だけど、娘は毎日保育園に楽しく通っていて、お友達との関わりの中で、自分の気持ちをOKとか、〇や×を手で表現できるようになっていきました。

歌う時も声はでないけど、口を大きく動かして周りの子のマネをする姿もありました。食事もお友達に「みて!柚ちゃん全部食べたで」など言ってもらえることが嬉しいので、自分から口に運ぶようにもなり、みんなと一緒に食べる経験や「柚ちゃんのとなりで食べたい」と言ってもらえることなど、保育園では初めての経験をたくさんすることができたと思っています。

違いはあっても、先生やお友達が娘を『特別』として扱うのではなく、それが「柚ちゃんにとっての『当たり前』なんやなあ」と受け入れてくれて、本人もすごく成長したと思います。

片岡:手厚い支援を受ける事ができる療育を経ての保育園、それは柚さんにとっても、ご家族にとっても大きなチャレンジですよね。

片木さん:療育では先生が1対1で付きっきりだったけど、保育園ではいい意味で雑な感じを経験することができて、親としてはうれしかったですね。保育園では、「まずやってみましょう!」となんでもチャレンジさせてくれました。守られすぎないところがちょうどそのときの私の気持ちと重なったんですよね。それが心配なお母さんもいるけれど、私はそれがええやん!と思えました。

5. どこまでが親の負担?悩んだ小学校選び。

片岡:健常のお子さんは、自宅から一番近い地域の小学校に行くというのが「当たり前の選択肢」になっていることが多いと思いますが、障害のあるお子さんの家族は、そこでどうするのか考える機会がありますね。養護学校にするか地域の小学校にするか、ということはどう考えられましたか?

片木さん:その当時、地域の小学校に進学するなら、身体虚弱クラスに在籍で、先生は子ども2人に対して1人の配置で、もう一人の子が体を動かしたり、移動したりする時は、柚ちゃんが待ちの状態になることが必ず出てくることになると説明を受けました。
看護師の配置についても、入学から看護師がいるという事が、難しいかもと言われ…学校としては求人は出しているので、看護師が見つかるまでは、医療行為の時間にお母さんが学校に来て対応をしてほしいと 。もし看護師さんが見つかったとしても、その方がお休みの時はお母さんが来てくださいという事も言われました。本人が小学校に進学したら、私は働こうと思っていたので、それは結構厳しいなと思いました。

その事に加えて、本人にとって身辺自立が大事かなと思っていたのでその部分のサポートや支援体制を考慮した上で、養護学校の進学を決めました。

片岡:片木さんの場合、地域の学校に進学も検討したけれど、その時のクラスの状態では、家族の生活にもかなり制限が出る可能性があるというところで悩まれたんですね。

6. これからの暮らしと、身近な支援者に対して思うこと。

片岡:生まれてから今に至るまでのお話をお聞きしましたが、柚ちゃんのこれからについて、お母さんが今思っていることを教えてください。

片木さん:今のところ考えているのは、学校卒業後は生活介護事業所に通所かなあ、と。あとはまだまだ先で分からないけど、体も大きくなってきて、色んなことが大変になってきたら、私の休憩のためにショートステイとかも利用したりすることもできるのかなと思っています。

片岡さん:本人の成長に伴って、利用できるものがあれば活用するという感じですかね。 柚さんは学校終了後に放課後等デイサービスを利用していますね。 周りの支援者について思うことはありますか?

片木さん:支援者さんには本当に感謝しかないですね。やりすぎず適度な距離感でできるところは見守って、できないところはちょっと手伝って、上手に関わってくださっているなと感じます。

どの事業所にもそれぞれのカラーがあって、本人もこの事業所ではこの活動が楽しみ!ここではこれをしたい!と楽しみにしています。
支援者さんもそれぞれタイプが違って、本人にピッタリな支援は何なのかを探してくれていて、心をつかむ関わりをしてくれているんだな、と思います。

7. 母の人生も一度きり、やりたいことをやる!

片岡:柚ちゃんのこれまでの12年の間にはいろんなことがあるし、12年かけてお母さんもお母さんになっていくっていうストーリーがありましたね。
現在、片木さんは週3日カフェで働いておられますよね。お仕事の方はどうですか?

働いている時は「よし自分のこと!」と気持ちを切り替えています。
それって大事な事だなあと思います。

働くことについて難しいかなと思っていたけど、実際やってみたら出来るなあと。もちろん元気なお子さんに比べると、体調を崩すことも多いですし、調子が崩れる前に休むこともあるので、職場に言い出しにくいな…といった事はあります。だけど今の職場はそういったことも理解して頂いているので、働きやすいですね。

8. 学生さんの感想

・子育ては親だけの責任ではなく、その環境を整えるのが福祉の役割だと思った。
・療育を経て、地域の保育園での経験について、いろいろな子供が共に過ごす時間について考えさせられた。本人が難しいことを先に手助けするのではなく、見守り、その人の力を引き出すという事。障害児の親や兄弟に対しての支援、良い社会とは何なのか、ということを考えるきっかけになった
・小学校を選ぶにあたり、地域の学校か支援学校か迷った。というエピソードを聞いて、どんな選択をしても受け入れられる社会だったらいいなと思った。
・地域の保育園で過ごしたエピソードから、他の子どもたちとの関わりから共感力などが養われるのだなあと思った。
・親としての喜びを感じてもらえるようにサポートするということも支援で大事な事だと思った。

当日はクッキーとお茶をお共に、リラックスした雰囲気でお話をお聞きしました。
質疑応答では、片木さんに学生さんが聞いてみたいことを質問したり、
みんなで感じたことをお話したり。時間が足りない程の盛り上がりでした♪
片木さんのお話の後は、療育園の見学。
未就学児の支援が必要なお子さんが、療育を受けながら過ごす様子を見学しました。

次回はヨコヨコインターン最終日、学生さんによる報告会です!

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